狼
その後俺たちは帝都に入り、式の準備は順調に進んだ。その間に俺たちは会場の間取りや席の配置、式のプログラムからどのくらい人が来るかまで様々なことをリサーチした。
これではまるでただの式を楽しみにしてる人だが、式のことを調べていても怪しまれないし、情報ソースはすぐ近くに大量に転がっているので準備は順調だった。
俺とリアの間では帝を討つプランのシミュレーションと、イレギュラーが発生した場合のプランも五つ考えた。リアが思いのほか計画的に準備していたことが分かったり、魔法が使える俺が加わって戦略に幅が加わったりと、俺たちはそこそこ楽しく過ごした。
そんなこんなで迎えた式の前日。俺たちは最後の打ち合わせと聞いてイレーネに集められた。ちなみに俺たち、というのは来賓の者全員である。イレーネはもう一度式の手順を確認する。
しかし俺たちは基本的に来賓なので何もすることはない。せいぜい入口と出口を確認するぐらいである。基本的に覚えなければならないことが多いのはイレーネである。
そんな訳でそこまで緊張感もなく集まりが終わるというころ、イレーネはそうそう、と思い出したかのように付け足す。
「明日の服装はそれぞれ最低限の礼儀をわきまえたものなら何でもいいけど、武器は持ち込み禁止ね」
「!?」
リアの表情が変わる。ルーカスは足が悪いと言ってシルイに留まっているしモルドは王都から動いてないから、ここにいる中で俺たちの計画を知っているのは俺たちだけなはずである。だからここで表情が変わったのは俺とリアだけだった。
「両国の平和を誓う式典だから、ごめんね」
そう言ったときのイレーネは明らかに俺たち二人を見ていた気がした。俺とリアは明らかに怪しいし、殺気とかで勘づいたのかもしれない。ちなみに、俺たち以外の者たちは驚きはしても文句は言わない。
そんな中、リアは敢然と立ち上がる。
「それはひどいです! 私の剣は父上の形見! 重要な式典にもっていかないなんてありえません!」
「どれだけ大事なものでも武器は武器だわ」
イレーネは静かだが絶対に譲らないという意志を込めて言う。リアは刺すような目で睨みつけたが、イレーネは動じなかった。
ちなみにリアの言っていることはおおむね正論であり、俺たちの事前調査によれば帝国も剣に限っては武器の持ち込みを認めていた。この世界の国は全て武力により成り立っているため、身分のある者が剣を携帯することは当然のこととみなされていた。特にリアは将軍の娘という身分で参加するというのだからなおさらである。
やがてリアの表情から何かを察したのだろう、イレーネは真剣な表情になる。
「残念だわ。でも、私は絶対にこの式を成功させる」
イレーネの迫力に、覚悟が決まっているはずのリアですら一瞬たじろいでしまう。リアにはリアの覚悟があるように、イレーネにはイレーネの覚悟があるのだろう。リアの表情が蒼白になる。
「そうですか、ちょっと体調が悪いので出ます」
「お、俺もついていきます」
リアは逃げるように部屋を駆け出す。この状況で不自然なこと極まりなかったが今はそれどころではない。俺は慌てて、走っていくリアについていく。
そのままリアは帝都外の平原まで走っていき、悔しそうに天に向かって慟哭する。
「くそ! 帝国の靴を舐める王国再興なんてするからてっきり頭の中お花畑のお姫様かと思っていたらそこまでの覚悟だったかッ!」
さすがにその評価はひどすぎないだろうか。
本当に頭の中がお花畑だったらここまでこぎつけることは出来ないはずだ。イレーネとて、主戦派を抑え、帝国に交渉し、頭を下げ、色々な努力をしたはずである。
「リア、自分だけが覚悟を決めていると思ったら大間違いだ。世の中には、どんな形であれ国を再興することに必死な者もいるし、平和が一番の者もいる」
俺が迷っている間に見てきたことだ。リアは自分の覚悟が決まりすぎていて他者を塵のようにしか見ていなかったのだろうが、迷いに迷っていた俺は逆に色んな人のことを見ることが出来たのかもしれない。だからこそ余計に現実に嫌気が差したとも言える。
リアの目から涙がこぼれる。
「うう、これが敵なら斬るのに! まさか姫様が……」
「確かに、姫を斬ったら式自体が開かれないからな」
「違う、馬鹿!」
リアの復讐は短い天命や闘争心の影響が強いが、根底には愛国心がある。そのせいでいくらリアでもイレーネを斬るのには抵抗があるらしかった。
ちなみに俺にとってイレーネは姉にあたるがこの八年間関わりがなかったうえ、母親が違うためあまり親しみはない。
本質的に将軍の娘であるリアの心には忠誠心のようなものが染みついているが、王子である俺にはそういうものはなかった。
「しかしどうする? あくまで剣を隠して持ち込むか?」
「どうかな。もう半分ばれてるみたいなところあるし、それも厳しいかもね」
イレーネが俺たちを疑っている以上身体検査まがいのことをしても不思議ではない。
「もしくは諦めて、当初の予定通り一般参列者に紛れて討ちに行くかだな。俺たちが失踪したら怪しまれるのは確実だが」
「でも、考えてみれば最初はその予定だったな。それでいこうかな。でも、私たちがいなくなればあの姫のことだから何か手を打ってきそうな……」
すっかりリアの中で姫が敵サイドになっている。俺も姫のことは全く考慮していなかったのでかなり驚いてはいるが。正直、どこかで同じ国の人は味方、という甘えがあったのかもしれない。
「くそ、こんなところで邪魔しやがってッ」
リアは天を睨みつける。その表情は横から見ていた俺ですらぞくりとするほど壮絶だった。そんなリアの叫びが天に届いたのか。
もし、リアに剣の才能と短命を与えた神様がいるのならば、そいつに届いたのかもしれない。本当にそうとしか思えないタイミングで、事は起きた。
突然、遠くから地を揺るがすような音が聞こえてきたのである。
「地震か?」
最初、俺はその程度の認識だった。しかし地面は揺れない。そして音は少しずつではあるが近づいてくる。
「どうしたの?……何これ」
リアも少し遅れて気づいたらしい。俺たちは音のする方を見る。すると遠くから黒い靄のようなものが地を這うようにこちらに向けて殺到してくる。この音はこいつらの足音なのだろうか。
となるとこいつらは何かの群れ、そういえば俺は何か重要なことを忘れていたような……というところまで考えて俺は思い出した。
「狼!」
「へ?」
俺の叫びにリアは首をかしげる。靄に見えたのは数えきれないほどの狼の大群だった。俺は狼の大群が迫りつつある中解説する。
「ほら、森の中で狼が飢えて狂暴になっていただろう?」
「そうだっけ」
「そういえばその話したのはオルフェイアだったな。とにかく、誰かが森の中の動物を狩って狼を飢餓状態に追い込んだんだよ。そして狼が嫌うらしいヤコン草という草が同時に乱獲されていた。つまり、王国に味方する誰かが王国に草を持ち込み、狼を狂暴化させて帝都へ突っ込ませたんだろう」
「へー……すごい! そんなこと出来るんだね!」
リアは目をきらきらさせて喜ぶ。
俺も簡単に説明はしたものの、そんなことが本当に出来るのかと聞かれると半信半疑ではあったが。
「でもそんなこと出来る人王国にまだいたんだ。そうか、もしかしてモルド殿はこれを……」
「かもしれんな」
モルドはこの八年、ずっと無害な神官の皮を被って、密かに王族の者を養いながら待ち続けた。その間、同志は次々に反乱や粛正で死んでいき、今や王国に残る主戦派は少ない。それでも待ち続けたのはこの一手があったからだろう、と俺は勝手にモルドの心中を推し量って盛り上がる。さすがモルド。
「もしかしたら、祭に横やりを入れていたのも祭がヤコン草を使うからかもしれないな」
「なるほど。そこまでの深謀遠慮だったとは」
リアもかなり感嘆したようだ。
さて、俺たちに迫る狼の姿が次第にはっきりと見えてくる。誰もかれも飢えて必死の形相をしている。これは俺たちといえど群れに放り込まれたら死ぬかもしれない。
一方、帝都では早くも危機を告げる鐘が鳴っている。あからさまに様子がおかしかったのでもしかしたらある程度のことは察知されていたのかもしれない。となればあらかじめ万一の備えはしてあったのかもしれない。
「よし、帝都へ急ごう」
「う、うん。それでどうするの?」
「結婚式に素手で乗り込むよりも、混乱に乗じて城に紛れ込む方がいいと思わないか?」
「なるほど! それであの狼たちより早く走れるの?」
「何とか。リアは?」
俺は大して速く走れないが魔法を使えば何とかなる。するとリアの目がきらりと光った。その力本当に万能なんだな。
「愚問だね」
何が起こっているのかはよく分からないが、リアの体が薄い光に包まれたような気がした。リアは普通に走っているように見えるが、狼との距離は縮まらない。
「最果ての地に住まう七つ首の龍よ、我に翼を与えたまえ」
俺が詠唱すると腕が黒くて硬質な皮膚に包まれ、膜のようなものが伸びていく。さらに腕が二倍ぐらいに伸びて、即席の翼が完成する。翼を羽ばたかせると俺の体はふわりと浮き上がる。もう一度羽ばたかせると前方に向かって体がぐいーんと飛んでいく。
「何それずるい」
下を走るリアが俺を見上げて唇を尖らせる。
「お前のでたらめな身体能力の方がずるい」
俺たちはぐんぐん城の正門に近づいていく。門番の兵士たちは翼を生やした俺と常人離れした速度で走るリアを見てかすかに驚いたが、そんな俺たちの後ろから狼の大群が迫るのを見てすぐにそちらに注意がそれる。
「ねえ、もし狼の突入よりも城門が閉まるのが早そうだったら」
リアは興奮した瞳で俺を見つめる。門が閉まってしまえば狼たちは無力だろう。いくら飢えた狼と言えども城壁を乗り越えることは出来ないはずだ。だからリアの言っていることは戦略的に間違ってはいない。
だが俺は何度か話したリアの復讐の目的を思い出す。確かに帝国を潰すには狼を突入させるのがいいだろう。だが、そうしたところでリアの父や祖国、それに寿命が返ってくる訳ではない。
俺は自分が急速に冷静になったときのことを思い出す。俺の目的は大臣への復讐ではなくオルフェイアを治すこと。リアの目的は帝を討つことというよりは人生の最期を飾ることではないか。
「リア、冷静になれ。狼を引き入れての突入では死に際は飾れない」
「何言ってるの? 帝都を壊滅させる絶好の機会なのに」
リアの表情は紅潮している。目の前にご飯があるのにお預けされている犬のようにも見える。
「落ち着け! 狼の群れに紛れて帝都に突入し帝を討つ。それよりも単身城に討ちいって帝の首を挙げる。その方が剣神に愛された者の散り際として美しいと思わないか!?」
「た、確かに」
リアの表情に動揺が走る。兵を率いて突入ならともかく狼の群れに乗じてというのはいかにも格好悪い。リアの復讐は帝に対する憎しみというよりは自己の生き方という側面が強い。リアには、狼を帝都に乱入させたテロリストではなく、帝に単騎挑んだ剣士として記憶されて欲しかった。
「でも、狼を突入させた方が勝率は……」
珍しくリアが弱気になる。確かに帝の首を挙げるなら単騎の方が格好いいが、それで失敗しては元も子もない。人生最後の賭けの前ではさすがのリアも弱気にならざるを得ないようだった。
「そうだな。だが、そこは勝つしかないだろ。ここで狼なんか使ったらお前の剣が泣くぞ」
俺の言葉にリアは決意を固めたようだった。
「そうだね。復讐の水は喉を潤してくれるけど、危うくおぼれるところだった。ありがとう」
「礼を言うのは帝を討ってからでいい」
俺もオルフェイアのことがあれば気が付かなかった。復讐を目的にするのは他にやることが何もなくなってからで十分だ。
覚悟を決めた俺たちは門番に助けを求める。
「助けてくれ!」
「お、おう、とにかく入れ」
いくら俺が多少すごい魔法を使っていようが、リアの身体能力が高かろうが、後ろから迫る飢えた狼の大群の前では無力と思われたらしい。門番たちは慌てて門を開けて俺とリアを通す。
「ありがとうございます!」
俺たちが門を駆け抜けたとき、狼の群れは数百メートルの距離に迫っている。一分もしないうちにこちらに殺到するだろう。狼たちも本能で帝都には食べ物があると察しているのだろう、進路は正門にまっすぐ向かっていてぶれがない。
兵士たちは急いで紐を引き、門を閉める。ぎぎぎ、と重苦しい音がして門が閉まっていく。突入してくる狼の表情までが鮮明に見えるくらいまで近づいてきたとき……門は閉まった。
次の瞬間、どさどさ、と狼たちが門にぶつかってくる音が耳に入る。いくら狼たちが狂暴でも石で造られた外壁を崩せるとは思えない。ふう、と兵士たちが安堵のため息をつく。
最初に書いたときは狼を突入させてました