リア
「……くそ、いまだにあの時のことを忘れられない」
現在。
十五歳になった俺、アレン・エルロンドは出自を隠して旅をしていた。幼い上に第五王子という微妙な身分だった俺はそこまで執拗に捜索されることもなかったため、何とか逃亡と潜伏に成功。最近では成長して容姿も変わったため、帝国内でも普通に旅をしていても問題なかった。
そのため、問題は帝国に追われることよりも俺の自意識だった。八歳まで王子として過ごしたことによる中途半端な王国への帰属意識。王城が攻められた瞬間に落ち延びたことによる中途半端な燃えつき感。そして成人するまでに七年もかかってしまった歳月。
俺は王国のために兵を挙げるというほどの復讐心もなければ、かといって全てを割り切れるほどでもないという中途半端な存在になってしまっていた。
結局、俺は割り切れない想いを心の片隅に引っ掛けたまま惰性のように生きていくのだろうか。最近、やたらそんなことが気になるようになった。いっそ王国も帝国もないどこか遠くに行ってしまおうか。それともこの辺りにまだ留まっているのはまだ何か未練があるからだろうか。
そんなことを考えながら歩いていると、俺は道の少し先に少女が歩いているのを見かけた。こんな街から外れたところを少女が供もつけずに歩いているなんて珍しい、それともこれも帝国が平和になった証だろうか、と思って見てみると俺は何か既視感を覚える。
そうだ、彼女の差している剣だ。彼女の剣は切っ先が地面すれすれまで伸びているかなりの長剣である。そうだ、あの長剣、幼いころリアがいつも肌身離さず抱えていたものだ。そう思って見てみると、彼女はどことなくリアに似ている。
俺は無意識のうちに歩く速さを緩める。今の俺にとって王国に関わる人間は会いたくない者たちだった。王子である自分のアイデンティティがふわふわしているというのにどの面下げて関係者に会えというのか。
幸い相手は気づいていない。俺と彼女の距離は順調に開いていった。
このまま俺の視界から彼女が消えようというときだった。
突然、彼女は何かにつまずいたようによろけた。そして激しくせき込んだ後、そのまま地面にしゃがみこむ。俺はいったん足を止めたが、彼女が立ち上がる様子はない。
俺は少し迷ったが、遠回りすることにする。病人への労りより気まずさが勝ってしまったことに自己嫌悪する。まあ、少し休めば良くなるだろう。そう思って俺はやはり引き返そうとした。
しかし、そんな彼女の元へ明らかに人相の悪い男たちが数人近づいていくのが見える。男たちは手に手に剣や槍といった武器を持ち胸当てだけだが鎧をまとっていて、彼女の行く手に立ちふさがる。明らかに賊の類だ。
いくら顔を合わせたくない相手とはいえ、病に苦しんでいるところを山賊に襲われているのを見過ごす訳にはいかない。俺はハンカチで頬かむりして最低限の変装を施すと彼女の方へと走った。あわよくばただの知らない通りすがりの人として彼女を助けたいものだ。
リアを囲んだ賊たちは武器を構えて下卑た笑いを浮かべる。下衆ではあるがこういう仕事に慣れているのだろう、構えには油断がない。ていうか帝国も街から離れたらそこまで治安良くなってないじゃねえか。
「命が惜しければおとなしく持っている物全部差し出しな」
「当然着ている物もな」
リアはぐったりしている様子だが、賊たちを見ると敵意の色を瞳に宿す。この状況でも彼女は賊に屈するつもりはなさそうだった。
「!」
一瞬、リアの右目が光ったような気がした。それとも、単に剣に反射した光がそう見えただけだろうか。リアはよく分からない言葉を一声叫ぶと体を横たえたまま長剣を抜き放つ。そして眼にも留まらぬ速さで剣を振るう。
まさか咳をして倒れていた相手が反撃してくるとは思わなかったのだろう、油断していた賊の一人は彼女の一撃をよけそこなう。ただし、たとえ油断していなかったとしても避けられはしなかっただろうが。
「ぐああああ!」
俺は目の前に広がる光景を信じられなかった。リアの剣は一撃で山賊の胸当てを砕き、深手を負わせた。斬られた山賊の体からはどくどくと血が溢れ、ぴくりとも動かない。致命傷だ。重病で、しかも地を這う体勢からの一撃でこのような威力を出せるとは……。
いや、感心している場合ではない。今の一撃で山賊たちの表情ががらりと変わる。ここまでは単に金品を奪い取る目的だったが、ここからは彼女を殺すことが目的となる。
一方のリアは相手を倒したのはいいものの、ひと際大きな咳をする。地面が血に染まった。このままではリアは殺されてしまう。
俺が割って入ったのはそんなタイミングだった。
「おいおい、病人から略奪するのはさすがにひどいじゃねえか」
「悪いな、その理屈はこいつが死んでからじゃ手遅れだぜ」
賊は倒れている仲間を指さす。勝手に強盗しようとして返り討ちに遭ったからといって報復するなんてひどい話だ。
「お前らがそんなことしなければそいつは死ななくて済んだと思うんだが」
「うるせえ。よく見ればお前もいい剣持ってるじゃねえか」
まだ無傷の賊たち三人がさっと俺を囲むように移動する。三人か。ただの賊なら大したことはない。俺も剣を抜くとさっさと呪文を詠唱し始める。
「最果ての地に住まう七つ首の龍よ、汝が炎を我に貸したまえ」
言い終わるか終わらないかのうちに俺の剣は赤い光に包まれる。見ようによっては俺の剣は龍の炎の加護を受けているようにも見えなくもない。
「な、何だ」
「こいつ魔法も使うのか」
山賊たちの表情が変わる。俺は彼らの動揺が収まらないうちに一番手近なやつに斬りかかる。
「うわっ」
男は身をかわし、剣は彼の腹すれすれを通過していく。が、次の瞬間男の腹、正確に言うと服が発火する。
「うわあああああああああああああああああああ!」
男は悲鳴を上げて地面を転げまわる。単にのたうち回っているのか火を消そうとしているのか定かではないがとりあえずはいい。俺はそのまま背後から迫る山賊に横なぎに剣を振るう。
彼がそのまま無心で俺に突きかかれば俺に傷を負わせることが出来たかもしれなかったが、彼は仲間の悲鳴を聞いて一瞬気を取られてしまった。
その一瞬が命取りになる。俺の剣が彼の胸部を斬りさき、胸からは血が噴き出し、服は炎上する。
「ぐああああああああああ」
「何だこいつは」
もう一人の男はこの惨劇を見て素早く逃亡に移る。とはいえ仲間を呼ばれる可能性がある以上逃がす訳にはいかない。
俺は大きく腕を振りかぶると、彼の背に向けて剣を投擲する。俺の手を放れた剣は矢のように、というのは自画自賛だが、まっすぐに男の背に突き刺さり男は倒れる。そして彼の服も二人と同じように炎上した。