オルフェイアの秘密
「風習?」
「そ。舞踏会で知り合って、いいなと思う相手がいたら一緒に抜けていくの」
「まじか」
確かにそう言われてみれば、先ほどからぽつぽつとどこかへ去っていく男女を見かける。
こういうイベントである以上そういうことが起こるのも不思議ではない。向かった先で、やはり自分ではない誰かとして一夜きりの関係を結ぶのだろう。それともそこから絆がはぐくまれることもあるのだろうか。
しかしそれをオルフェイアが切り出すということは。
「なあ、オルフェイアにはどこか行くところがあるのか?」
「ないわ。だから、一緒にどこでもないところに行かない?」
「そのナンパ文句、俺は好きだ」
どこでもないところに行けば俺も、俺ではない誰かになれるかもしれない。
俺は再びオルフェイアの手を取る。そうだ、俺は帝国に向き合う必要はない。幸い俺は腕には自信がある。オルフェイアも魔法に関してはなかなかのものだし、用心棒でも魔物狩りでもすれば食べるには困らないだろう。
だったら俺たちはどこでもないところに行けばいい。リアや王国の人たちは怒るかもしれないが、どうせ何かを決断して行動したところで誰かの邪魔にはなってしまう。どの道リアやイレーネ、それに平和に暮らす人々皆の願いをかなえることは出来ないのだ。
それならば何を言われたとしても構うものか。俺は血縁や生い立ちの呪縛から解き放たれてやる。
「そう言ってくれると思ったわ」
オルフェイアは微笑むと俺の手をとってホールを出る。そして隣にある建物に入る。先ほどのホールと一転してこちらは簡素な宿に見える。しかし壁だけは彩度の強い色で塗られていた。
「ここは?」
「そりゃ、舞踏会で一緒に抜け出した人々が行くところよ」
そこまで言われれば俺は察してしまう。こんな夜中にテンションが上がった男女が一緒に来てすることと言えば……。急な話ではあるが、それもいいか。現実逃避の夜遊びの最後を飾るにはある意味うってつけかもしれない。
「……ごめんなさい、ただお話したかったからどっか入ろうと思っただけで。それとも、したい?」
したいと言ったらさせてくれるのか? 俺は胸がどくりと脈打つのを感じる。
いや、やめておこう。俺たちはもう夜遊びするだけの関係じゃない。これから運命を共にするというのならオルフェイア抱えているものを知らなければならない。それは実際の行為よりも重要なことだ。
「まず話を聞かせてくれ。逃げるにしてもするにしても、俺はお前のことが知りたい」
「そうね。それにこれから時間はいくらでもあるわ」
こうして俺たちは安宿の一部屋に入ったのだった。
安宿だけあって、室内には簡素なベッドが一つ備え付けられているだけだった。本当に夜を明かすためだけの部屋のようである。
仕方ないので俺たちはベッドの上に向かい合って座る。見つめ合うと、オルフェイアはぽつぽつと語り始める。
「そもそもの発端は八年ほど前のこと。私の妹が全身が少しずつ石のようになっていくという奇病にかかった。私は必死で治療法を探したけどそもそもそんな病気の例自体が見つからなかった。となれば後は腕利きの魔法使いに治してもらうしかない」
魔法というのはまだ解明されていないところが多い存在である。低級魔法や汎用魔法では切り傷を治したりちょっと疲れを癒したりがせいぜいだが、上級魔法になれば骨折を一瞬で治したり瀕死の病人を治したりすることも出来ることがある。
もちろん、治るものと治らないものはあるが、その境界は魔術師の腕によって異なる。当然、魔法の腕が立つ者ほど治せる可能性は高い。また、未知の病気なら治るものであるという可能性もあると言える。
「でも、私が頼める程度の魔法使いに未知の病気を治せるほどの者はいなかった。そんなとき、帝国大臣オルテガが私に声をかけてきた。『よろしければ治療を試させてもらえませんか? その代わり、あなたにはしていただきたいことがあるのです』と。藁にもすがる想いだった私は二つ返事でOKした。まあ、今の私がそのときに戻って同じことを聞かれても結局はOKすると思うけど」
帝国大臣オルテガは政治だけでなく魔術においても帝国随一と評判である。最近は平和だが、ひと昔前まで帝国は他国と戦争状態にあり、武術なり魔術なり個人的な力を持たない者は重職にはつけなかった。
「そもそもオルテガとはどういう知り合いだったんだ?」
「元々私は冒険者として帝国の依頼を受けることもあったのよ。で、妹の件も結構色んな所に相談していたから耳に入ったんじゃないかしら」
とはいえなぜ帝国大臣が一介の冒険者程度に、と思ったが続くオルフェイアの言葉を聞いて理解した。
「オルテガは妹の病気の進行を止めることに成功した。さすがにすでに石化した部分の治療までは無理だったけど。それを確認してからオルテガは私に対価を突き付けた。それはオルテガが研究していた悪魔と契約する魔法の実験台になること」
「……」
なるほど、それでオルフェイアは悪魔契約について調べていたのか。俺は腹の奥からにわかに怒りがこみあげてくるのを感じながら話を聞く。そんな俺とは裏腹にオルフェイアは淡々とした調子で続ける。
「オルテガは私に悪魔契約の術式を施した。あなたはよくご存じだと思うけど、八年前帝国はエルトランド王国と最後の戦いを繰り広げていた。主戦派だったオルテガは力を欲していた。私は元々適正が高かったみたいで、強大な力を得た。悪魔契約について知識を深めるためというのもあったけど、自分じゃない者に悪魔契約をさせてその力を使わせるというのも目的だったらしいわ。それもあって帝国は王国に勝利を収めた」
それを聞いた俺は身体が燃え上がるような怒りを覚えた。王国が滅ぼされた時もここまで激しい怒りは覚えなかった。幼かったこともあるが、国と国が戦っている以上いつかは滅ぼされることもある。多少の善悪はあれど、強い方が正義という世界である。
だが、この大臣の行いは非道としか言いようがない。地を這う蟻をあえて踏みつぶすのを見たような不快感を覚える。
恐らくオルフェイアはわざと詳細を飛ばしたのだろう、八年前の戦いについては一言で済ませられていた。単に敗者である俺に気を遣ったのか、話したくないようなことがあったのか、それは分からない。
そしてオルフェイアは右腕をまくってみせる。そこにはびっしりと魔法陣が書き込まれていた。俺もその意味が分かるほど詳しくはないが、見るだけで背筋に冷たいものが走った。
例えるなら、異国語で書かれたおぞましい文章を一部の単語だけ理解してしまったというようなものだろうか。もしくは、極端に視力を悪くしておぞましい魔物を見たような。
ちなみに、オルフェイアはぼかして述べたが、オルフェイアは俺の仇ということになる。しかし、八年前のあの軍勢の中に悪魔契約者がいたとは。
驚きはしたものの、オルフェイアに対する憎しみは湧き上がってこない。が、大臣に対する感情は別である。オルテガのやっていることは病弱な妹を人質にしてオルフェイアを禁呪の実験体にした、ということである。
たまたまオルフェイアは今無事であるが一歩間違えがあればどうなっていたか分かったものではない。
「……許せない」
気が付くと、俺の口からは押し殺した声が漏れ出ていた。