不穏
翌朝、俺は顔にかかる朝日で目を覚ました。
「まぶし……」
上を見ると昨日も見た宿の天井がある。記憶は曖昧だが無事泊まっている宿の部屋で寝ていたらしくほっとする。
しかし目を覚ましたとは言っても頭は痛いし気持ち悪い。寝不足に加えて限界一歩手前まで酒を飲まされたせいだろう。
「水、水……」
とりあえず俺は荷物の中から水筒を取りだし水を口に入れる。喉から体全体へと染み渡るように水が広がり、俺は少ししゃきっとする。これで今日も冒険者が出来る。そう思った瞬間俺は全身に言いようのない憂鬱感を覚えた。
今日から俺はまたリアの隣を歩かなければならない。リアは俺には出来ない覚悟が決まった生き方というものを俺に見せつけてくる。
それに帝国のことを調べるのも面倒くさい。大体、帝国に復讐しようとしているのはリアだけだ。それなのに何故俺が。何というか、いつもよりも思考がマイナスになっていき、全てが嫌になる。
そういえば、非日常的な休日を過ごせば過ごすほど休み明けが憂鬱になるという話を聞いたことがある。元から嫌なことならなおさらだろう。
俺は一瞬だけベッドを見たがそこで強い空腹を覚える。危ない、この空腹が無ければ俺は二度寝していたかもしれない。俺は空腹に導かれるようにして部屋を出ると下の階の食堂に向かう。そこでは俺の気も知らず、リアが呑気にパンをほおばっている。
「あ、カインおはよう」
「……おはよう」
「何か疲れてる? そんなんじゃ先が思いやられるよ?」
「すまんな。ところで今日は帝国のことを調べるって話だったけどどうやって調べるんだ?」
「よく分からないけどその役人を家探しすればいいんじゃない?」
リアはちょっと近所を探してみればいいんじゃない、みたいなテンションで言う。ちょっと森に行って珍しい草をとってくるのとは訳が違う。こいつのことだからどうせ大したことは考えてないと思いつつも聞いてみる。
「どうやって」
「カインがそいつと話している隙に私が家に侵入して調べる」
「却下」
やはりこいつに難しいことは考えられないようだった。
が、リアは不満そうに頬を膨らませる。
「えー、何でよ」
「それで騒動になったら俺が疑われるじゃねえか」
「違うって。ただ危険な方を私が担当しようと思っただけで」
はっきり顔を見られるから俺も危険だと思う。
「まず家に入れる前提なのがおかしいし、そんな決定的な証拠を家に隠し持っているかも分からないだろ」
「そうかな。私だったら家に置いちゃうな」
こいつが役人じゃなかったことに心の底から安堵する。
「置くな。それよりやっぱ役人なら賄賂だろう」
「えー、じゃあカインが自腹切ってね」
「ひどいな」
「嘘々、どうせ私もうすぐ死ぬんだし割り勘でいいよ」
「……」
笑いづらいギャグをにこやかに言われても反応に困る。
はいそうですかとも言えず俺は沈黙する。
「でも、その人と話すのとかはやってね。私は実力行使になるまで隣で立ってるから」
「もうそれでいいよ」
そんな訳で俺たちはロドムという人物に会いに行くことになった。ロドムという人物がどのくらいの身分の人物で、会いたいと言って会えるのかよく分からなかったが、やつが勝手に祭を中止しろと言っているなら祭のことを切り出せば会ってもらえるはずだ。
逆に、祭のことが帝国の共通見解なら門前払いかもしれない。とはいえ、帝国の共通見解ということが分かるならそれはそれで前進ではある。
俺たちは帝城に向かった。基本的に首都の行政機能は城に集中しており、役場類も城の外周に存在している。まさか帝国の役場に来ることがあるとは思っていなかったが、入っていくとそこにはたくさんの人でごった返していた。聞こえてくる会話に耳を澄ませてみると、
「今月は税を待ってくれ」「あれは俺の子ではなく拾った子だから税は払わなくていいはず」
などと税を払いたくないという話ばかりだった。さすがに納税課だけのことはある。俺がどうしたものかと困っていると一人の役人がすっと近づいてくる。
「どのような御用でしょうか? 税金の支払猶予はどんな理由があろうと認めてはおりませんのでそのような用件でしたらお帰りください」
役人はかなりうんざりした様子で言う。さっきの様子を見る限りそう言われても帰らないやつばかりなのだろう。
「いえ、ロドムさんに祭の件でお話が」
「……課をお間違えでは?」
「いえ。ロドムさんにこのままでは祭が開催されてしまう、それを阻止したければ是非会って欲しい、と」
「は?」
役人は露骨に顔をしかめる。いきなりこんなことを言われて理解しろと言う方が無理がある。俺も自分で何を言っているのかよく分からないぐらいだ。
仕方なく小銭を役人に握らせる。
「もう仕方ないですね、これからはこういうのは勘弁してくださいよ」
役人は渋々といった風情で奥へ入っていく。勘弁してくださいと言いつつも本当はそういうのを望んでいるんじゃないだろうか。
ちなみに、その辺で列を作って待たされている人たちは俺を怨嗟の目で睨みつけてくる。俺は悪くないだろ、と思ったが賄賂を払っているので普通に悪かった。
少しして先ほどの役人がでっぷりと太った役人を連れてくる。俺たちのことを羽虫か何かのように見下しており、絵に描いたような嫌な役人という雰囲気だった。よく分からないが服にふさふさした飾りがついているのでもしかしたら平役人より偉いのかもしれない。
「わしに用とは何だ? 立ち話も何だから部屋に入るがいい」
「お、お邪魔します」
ロドムは拍子抜けするほどあっさりと俺たちを通してくれる。俺たちは執務室と思われる小部屋に通される。部屋があるということはやはり平役人ではないのだろう。リアは俺の隣に影のように寄り添って一言もしゃべらない。このまま黙っていてくれるとありがたい。
ロドムは部屋のドアを閉めるといすに腰を下ろし、大きくため息をつく。
「それで何だ? 祭を行うことはならぬと言いつけたはずだが? というかお前は誰だ?」
「いやあ、実は俺たちは祭とかどうでもいいんですよ。ただ、今まで開催されていた祭が急にだめだって言われたから原因を調査しろと言われまして」
「だから婚儀と重なると警備上の問題があるんだ」
当然ロドムは正直に話してくれない。いや、本当に警備上の理由というのが正直な理由だったら申し訳ないが。仕方がないので俺はちょっと強気な説得を試みる。
「別に市民が勝手にやる祭に警備も何もないでしょう。もし教えていただけないなら勝手に調査しますが。俺、彼女があなたの家を家探ししようとしてたのを何とか止めて穏便に話し合いに来たんですよ」
「ちょっと!? 何でたらめ言ってるの?」
リアが急に話を振られて驚いたようにこちらを見る。いや、でたらめじゃないだろ。思いっきりさっきそういう話してただろうが。
ロドムは露骨に嫌そうな顔をするが、俺はそこでダメ押しとばかりに包んできた金貨を渡す。それを見たロドムは、お、という顔をする。どうだ、思ったより額が大きいだろ。最近リアやレスティアにお金をもらった上に、オルクからも報酬をもらっているので実は懐は温かい。
「まああれだ、あんまり言いふらしたりしないんなら教えてやるよ」
ロドムの態度が豹変する。ここまで分かりやすいといっそ清々しい。とはいえこんなやつらに祖国を滅ぼされたと思うと業腹だが。
「もちろんです」
オルクに言うだけなら言いふらしたことにはならないだろう。ロドムは先ほどとは打って変わって嬉しげな顔で話し始める。
「いやあ、実はこれがなかなか傑作でな、俺に祭を中止させろって言ってきたの誰だと思う?」
本当は誰かに打ち明けたくて仕方がなかったのだろう、口調まで砕けた感じで話し始める。
「大臣とか?」
「違う違う。大臣はそんなこと言わねえよ。大臣は王国の民と仲良くして帝国に取り込もうって方針だからな」
やはりそうなのか。そして、大臣の目論見は大体成功していると言える。いたずらに王国民を弾圧して反感をかうようなことをせずに取り込もうというのは、敵ではあるが結構な切れ者だ。
実際、リアはそれを聞いてわずかに悔しそうな顔をしている。これでもリアのことだから必死に抑えているのだろうが。
「何と王国の神官だぜ! モルドとかいう名だったな。帝国にこびへつらうために王国の祭を中止させたいんだとよ。笑っちゃうぜ。俺たちはそんなの気にしてないってのによ。これには大臣も苦笑いで許したんだとか」
「お、おう」
ロドムはおかしくて仕方がない、といった風情でその話を語る。確かに本当にモルドが媚を売るためにそんな話を持ち掛けたのならロドムがそう思うのも頷ける。
が、傍らでリアが首をかしげる。そう、俺の知っているモルドはそういうタイプではない。目先の自分の欲に囚われず、国のために尽くす硬派な人物のイメージだ。しかし、帝国に媚を売ってイレーネの計画を成功させようという魂胆なのだろうか。あまりイレーネに協力しているという話も聞かなかったが。
「王国の奴らが知ったらさぞ無念だろうからな! 言っちゃだめだぜ」
話しているうちにロドムは大分楽しくなったようだった。
「そ、そうだな」
普通は帝国の嫌がらせか何かだと思うだろうからな。しかし一体どうしたものだろうか。オルクには何と報告するか。この場でこれ以上聞くことはあるだろうか。
「ねえ、あなたの言うことを無視して祭を開催するとどうなるんですか?」
突然リアが口を開く。
するとロドムはうっと言葉に詰まる。
「絶対に許さない」
「つまり、罪とかには問われないってことですね」
「うるせえ」
ロドムは図星を突かれたようで、不機嫌な表情になる。要するに、何となくモルドが媚びへつらってきたので何となくそれを受け入れたということだろうか。
だから別に実際に祭が実行されて困ると言うこともないが、ロドムの面子が潰れるということだろう。
この話をそのまま伝えたらオルクは激怒するだろう。真剣な思いでやってることをこんなしょうもない(モルドの事情は知らないが)理由で潰されてはたまらない。
別に祭に思い入れのない俺ですらその理由が本当ならふざけているとは思う。
「じゃあ、失礼します」
「まじで祭やったら許さないからな」
こうして、俺たちは喧嘩別れのような形で部屋を出ていった。実際のところロドムが権力を使って本気で報復に出てきたらどうなるんだろうか。祭が開催されるかはどっちでも良かったが、一生懸命祭の準備をしているオルクたちがくだらない政治のために悲しい思いをするのはひどいと思った。
「所詮俺には関係ないことだし、全部ぶっちゃけてしまうかな」
「いいんじゃない? この件ばらしたら、彼らの心にも火がついたりするのかな」
リアの言う火、とは愛国心のようなものだろう。この件は理不尽とは思うものの、俺の心に火はつかない。
「どうだろうな」
彼らの心に火をつけるのはいいことなのだろうか。このまま平和な世になっていくのであれば、俺がそれに加わるかは別として、悪いことではないように思うのだが。
「それより私はモルド殿の方が気になるんだよね」
「イレーネ姫の婚儀を成功させるためにゴマすってるんじゃないか?」
「うーん。モルド殿はこんな形での再興は再興と認めないと思うんだけどなあ」
「八年で変わったんじゃ?」
正直、俺はリアほどモルドのことは詳しくないので何とも言えない。リアの方も不思議に思いつつも首をかしげているだけだった。
「どうだろうね。ま、今日はもう解散でいいんじゃない? 一晩考えてみたら?」
リアはまるで他人事のように言う。言うか言わないかは俺が決めることかのように。まあ、俺が受けた依頼なのだから俺が言うことなのだろうが。
「そうだな」
結局、今日分かったのは薄汚れた真実だけ。復讐にも、王国の再興にもやる気が出ない俺。俺はさらに自分の人生に対してやる気を失うのだった。