第8話 楽しい晩御飯
晩御飯は、出張料理人による懐石料理だった。
「天野君。娘と交際を始めるきっかけのような物を教えてもらってもいいかな? いや、何か勘繰るような言い方になってしまったが、男親としては我が子がどんな風に好かれているのか、というのを知りたいものでね」
懐石料理とは簡単に言ってしまえば、和食のコース料理である。
食事に順番があり、一つ一つの皿にはそんなに量が盛られておらず、けれど、最後まで食べると相応に腹が膨れるので、慣れていない人は苦手かもしれない。
かく言う俺も、この場で懐石料理を食べるまでは苦手だった。
俺は食事のペースを自分で管理したいタイプの人間だったので、どちらかと言えば、最初から全部を並べておいて欲しいな、と思っているところもあった。
けれど、この場で食べた物は違う。
「…………天野君? いや、わかるよ。うちの娘は確かに、綺麗だ。可愛い。親の贔屓目を抜きにしても、それは間違いないだろう。だからと言って、『きれい、かわいい、なんかすきです!』とふわふわした言動で返されても困るのだが。というか、え? 聞いているよね? 私の話をしっかりと聞いているよね?」
無理などまるで感じず、するり、するりと腹の中に入っていくような料理ばかりだ。
食事を平らげた後も、大して待ったような印象はなく、直ぐに次の料理へ。しかも、料理一つ一つを食べる際に、どの品も新鮮な気分で箸を付けることが出来る。これは、料理の味もそうだけれど、見た目も考えられて作られているのだろう。
「ああ、すまない。愚問だったね。うん、君がしっかりとこちらの話を聞いているのは分かっている。ただ、こう、ね? 食事を始めてから、明らかに人格が違うというか、物凄く無邪気な笑みを浮かべながらご飯を食べていると、ひょっとして話半分で返事をされているんじゃないかと不安になって」
「お父さん、天野君に失礼よ、それは」
「そ、そうだったな」
「…………大体、私たちまだ、仮交際なのよ? 本格交際していないの。それなのに、家族揃っての食事へいきなり呼び出すなんて非常識だわ」
「それに関してはお父さん、何も言えないな。このクソ爺が強行したんだからね」
「お? 俺のやることに文句を言うたァ、随分と成長したなァ、クソガキ」
「お? やんのか、老いぼれ」
「んもう、誠司さんに、お義父さん。子供たちと、彼氏さんが見ている前でやめてください」
「「ぐぁあああああああああ!! 腕がぁあああああああああああああ!!?」」
野菜のみずみずしさ。
焼き魚の旨味。
煮物の澄み渡ったような味の調和。
シンプルな味付けで、けれど、なおかつ複雑な旨味を提供してくれる吸い物。
コースの最後を飾るに相応しい、美しく、繊細な甘さの和菓子。
どれも素晴らしく美味しかった。
うん、今日、この場に来てよかったと心底思う。
「ごちそうさまでした、と。ん? 七尾さん、君のお父さんとお爺さんが片腕を抑えて蹲っているけれど、何かあった?」
「…………天野君って、そうなのね。こう、食事の時は、食事に集中するタイプの人なのね?」
「いやいや、食事を食べながらもきちんとした態度で受け答えしていたつもりだったけど?」
「ふっわふっわだったわ。言動がこう、とてもゆるふわしていたわ。顔つきも無邪気な少年の笑みを浮かべていたもの」
「…………マジか?」
「マジよ」
七尾さんから、ガチの心配の視線を受けて、俺はショックを受けた。
少なくとも、俺は食事中でも今までしっかりしていたつもりだったのに。
そうか、駄目だったのか。そうか、そうか…………ううむ、反省せねば。
「あの、天野君? そんなに落ち込まなくても」
「いいや、不覚だった」
「ご飯を美味しく食べるってことは、大切だと思うし」
「だが、君のご家族の前で……」
「そもそも、食事中は味に集中すべきなのよ。貴方の行いは道徳的に間違っていないわ」
七尾さんからのフォローが身に染みる。
天使の如き笑みではなく、親しみを感じる人間の微笑み。それを受けて、俺は大いに反省した。本来、俺が七尾さんをフォローすべき立場だというのに、依頼人である七尾さんに助けてもらうことになるとは。
どうやら、まだまだ俺は理想のハードボイルドとは程遠いらしい。
ここは反省して、素直に善意を受け取ろう。
「ありがとう、七尾さん。そう言ってもらえるとありがたい」
「楓、でいいわよ。交際中でしょう?」
「仮交際、だけどな?」
「ふふっ、そうね。でも、ほら、ここは七尾さんだらけだし」
「なるほど、確かに」
俺も所詮は、ただの学生だ。
たった一人で出来ることには限りがある…………なんてことは、今時、誰でも知っているような訓戒だけれど、こうして心底実感するのは難しい。他ならぬこの俺が、七尾さんの駄目な部分をきっちりと補おうと肩ひじを張りまくっていたように。痛く無ければ、人は中々覚えない、か。
「美味しかった?」
「ああ、とても」
「それは良かったわ。私が子供の頃から、ずっと贔屓にしている店の人なの」
「どんな店? 将来、機会があれば自分でも足を運んでみたい」
「じゃあ、今度の週末一緒に行く?」
「ん…………いや、この料理は自分で稼げるようになってから行くことにするよ」
「そう。なら、その時まで内緒にしておいてあげる」
俺と七尾さんは共に微笑みを浮かべながら、言葉を重ねる。
この時ばかりは俺も、仕事人と依頼人としての関係ではなく、純粋な親しみと共に言葉を交わしていたんじゃないかと思う。
ま、余り気を緩めすぎるといけないと学んだばかりなので、きっちりとボロを出さないようにすることだけは、意識しておかないといけないけどな。
「あらあらあら♪」
「…………むぅ」
ただ、ここで俺と七尾さん――楓さんは同時に気づいた。
俺たちを見る、楓さんの両親の表情がそれぞれただならぬ気配を帯びていることに。
「誠司さん、誠司さん。楓ちゃんは貴方に似て、頑固でプライドが高い上に、無駄に強がる癖があるから彼氏さんが出来るのか心配していたのだけれど。ふふふ、これは私たちの杞憂だったみたいね?」
「私に対して辛辣だな、お前は。それはさておき、私はまだ認めたわけではない。大体、まだ仮交際なのだろう? ここでこう、な? 変に……認める、みたいな? 親からそういう言葉は、こう、返って二人の交際に良くないからこそ、あえて、あえて距離を置いた言葉が必要なのではないかと思う次第だ」
「誠司さん、お茶が手に零れていますが、熱くありませんか?」
「この腹の中で煮えたぎる感情に比べれば、なんてことはない」
「あらまぁ」
え? 何だろう、この空気は。
ご両親の間に流れる、『認めるわけじゃないが、悪い男ではないな』という感じの和やかさとその他色んな物が混ざった空気は。
…………いや、こういう感じで認められるとまずいのではないだろうか? 誠司さんの言う通りこう、相手のご両親、しかも七尾家の方々に認めらえるというのは、確実に偽装関係を解除した後もあまりよろしくないことになりそうなわけで。
「もう、二人とも気が早すぎるわよ。ねぇ、天野君…………いえ、伊織君」
「ははは、そうだね、楓さん」
楓さんはヤバいと思いつつも、俺に下の名前で呼ぶことを望んでおいて、自分は苗字呼びとかちょっとなぁ、と思ったのだろう。天使の微笑を浮かべて、内心の焦燥を隠しながらの一言だったが、その一言でさらにご両親が『やはり』みたいな空気になっている。
しかし、今更、露骨に態度を悪くしたり、さりげなく失点を狙うことも難しい。加減が難しい。つい先ほど、自分自身が未熟であると理解したが故に。
「ふふふ、楓ちゃんに良い人が出来て、本当に良かったわ。ええ、本当に」
結局、俺と楓さんは終始、ご両親……いいや、千尋さんの空気に飲まれてしまい、互いに良い恋人役を演じるしかなかったのだった。
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「ありがとう、伊織君。今日は助かったわ」
「いや、俺も危ういところを助けてもらったし。何より、晩御飯が美味かった。だから、全部チャラにしておこうぜ?」
「それじゃあ、流石にこちらが得しすぎるわ。後で何か…………そうね、うん。何か美味しい物を食べさせてあげるから、期待してなさい」
「おうとも、期待しているさ」
正直、もう少しばかり波乱が起きるかと思っていたが、想定していたよりも和やかに食事は進み、そして、無事に終わった。
楓さんのお兄さんである久幸さんは、退屈そうに食事をしていたが、それだけ。説教されたのが堪えたのか。俺や楓さんにちょっかいは出してこない。また、不敵な笑みを浮かべて俺たちを眺めていたけれど、お爺さんである弥助さんは特にアクションを起こさなかった。
ご両親である、誠司さんや千尋さんは色々と交際について尋ねてきたが、想定外は無い。
まるで、ごく普通の家庭の一幕のように進み、何事もなく食事会は終わったのだった。
「じゃあ、また明日ね、伊織君」
「ん、また明日」
俺は楓さんに見送られて、七尾家の屋敷から出る。
「お待ちしておりました、天野様。ご自宅まで送迎させていただきたく存じまず」
「え? いいんですか? ありがとうございます」
「いえ。我々が無理を言って連れてきたのだから、と主からお言葉です」
「なるほど。んじゃあ、好意に甘んじさせてもらいますね?」
玄関を出てすぐの場所に、下校中に迎えに来たリムジンが停められてあった。リムジンの運転席からは、人相の悪い例の運転手さんが降りて来て、俺を恭しく後部座席へと招いてくれる。
俺はその申し出を快く受け取って、言われるがまま、後部座席へと座った。
「いよぉ、坊主。ちょっとお話しようぜ」
そう、和装の老人――七尾弥助が座る席の隣へ。
「ええ、良いですよ。ご老人。さて、なんの話がお望みです? 楓さんの高校生活ですか? 俺と楓さんの嬉恥ずかしい青春エピソード?」
「かっかっか、それも悪くねぇけどな? だが、ちげぇよ。実を言えば、今日、坊主を招待した理由は、孫の彼氏だからって理由だけじゃあない」
しゃれこうべの怪物が生者を嘲笑うかの如き哄笑を喉の奥から漏らして、七尾弥助は俺へ冷たい視線を向ける。
「俺の一族に、なんの用だ? 『ご同類』よぉ?」
さてはて、どうした物か。
とりあえず俺は、俺が愛するハードボイルド小説の探偵のように、お決まりの台詞を、笑みと共に吐き捨てたのだった。
「やれやれ、だ」