第7話 七尾家
「二人とも、護衛の人たちはお前たちの小間使いではない。これは分かっているね?」
「「はい……」」
「古くからずっと我が家で贔屓にしているからこそ、ちょっとした手間ならサービスとして、あちら側の好意でやってくれるかもしれない。だがね? その好意に甘んじることは、果たして七尾家……いいや、一般的に考えても、雇い主として問題があるのではないかな?」
「「問題あると思います……」」
「久幸。お前は、もう大学生だろう? 分かっていると思うが、人間付き合いと言うのは単純な事ではない。何故、妹の彼氏に……しかも、我々が呼んだ客人を貶めるようなことを言ったんだい? それはいずれ社会人となる者として、最低の行いだと思わないのかい?」
「妹が珍しくテンション高く、調子に乗っているので憎まれ口を叩いてからかってやろうと思っていました。冷静になると、漫画に出てくる嫌味な金持ちみたいなムーブで最低だったと反省しております」
「よろしい。ならば、彼が来たらちゃんと謝りなさい。いいね? これは七尾以前の、人としての問題だ。失礼を働いてしまったら、まず、謝る。わかるかい?」
「…………はい」
「次に、楓。お前はどうしたんだい? いつもは久幸の舌禍を容易くかわすだろう? なのに、どうして今回ばかりは易々と挑発に乗ってしまったんだい? いいや、百歩譲って挑発に乗るのは良いだろう。だが、それを彼氏へ押し付ける形になったのはいただけないな」
「申し訳ありません。自分が認めた男が貶されて、つい、感情的になってしまいました。今後はこのようなことが無いように、精進いたします」
「ああ、その謝罪を彼氏へ言ってあげなさい」
「わかりました」
乱取りの後、シャワーを借りて一汗流して戻ってきたら、七尾さんとそのお兄さんがお父さんらしき人に説教されていた件について。
うわぁ、自分と同い年の高校生と、明らかな年上の人が説教をされているのを見るのは精神的にしんどい物があるなぁ。
…………ともあれ、兄妹はともかく、父親はきちんとした常識人のようで良かった。
「「今回は誠に申し訳ありませんでした」」
「護衛の人たちに遊んでもらっただけだから、大丈夫ですよ。ほら、怪我だって無いし」
兄妹の謝罪を受けた後は、いよいよ晩御飯の時間である。
俺は、まるで旅館の一室の如き客間へと、七尾さんに案内された。決して安っぽくない木造と畳の匂いが感じられる客間。そこに用意された木製のテーブル。それを囲むようにして置かれたいくつかの座布団。その内の一つへ、俺は案内されるがまま腰を下ろす。
「今日は姉さんが居ないから、大分マシ。でも、爺様がいらっしゃるから、気を付けて」
俺の左隣へ席を下ろした七尾さんが、ひっそりと耳打ちしてきた。
ふむ、七尾家の先代当主ね。
七尾さんがここまで言うのだから、並大抵の傑物ではないだろう。警戒しておくべきだ。多少は動きがぎこちなくなるかもしれないが、まぁ、交際数日で彼女に家に呼ばれて、家族に混ざって食卓を囲むという事態なのだから、妥当な緊張に見えるはずだ。
「…………ふん。七尾 久幸だ」
ぶっきらぼうに告げて、俺の右隣に座ったのが、七尾さんのお兄さんだ。
背丈はそれほど高くないが、成人男性の平均程度はある。髪は漆を塗ったような綺麗な黒。背中まで伸びたそれを、几帳面ささえ伺えるほど整えて、髪留めで纏めてある。目の色は、栗色。服装はラフなシャツとジーンズ。目つきは険しいが、それさえ除けば普通に美青年と呼称しても問題ない容姿をしている。
「父の七尾 誠司です。まずは、謝罪を。こちらの都合で呼び出しておいて、その上、うちの者が迷惑をかけてしまって申し訳ありませんでした」
「い、いえいえ、そんな! お気になさらず、ええと、誠司さん?」
「お気遣いありがとうございます。お義父さんと呼ばれていたら、暴れ出していたかもしれません」
「ええっ!?」
「冗談です」
真顔でお茶目な冗談を言ってくるのが、七尾さんのお父さんだ。
外見だけは、ごく普通の真面目なサラリーマンという感じで、特筆すべきことは少ない。髪だって黒の短髪である。ただ、銀縁眼鏡の奥に見える、碧眼はやはり父親なのだろう。
…………さりげなく、テーブルを挟んで俺の正面に座ったあたり、案外、冗談ではなかったりするのかもしれないが。
「あらあら! 楓ちゃんの彼氏さんでしょう!? わぁ、まさか楓ちゃんが彼氏さんを連れてくる日が来るなんて! お母さん嬉しいわぁ」
「…………お母さん」
「うふふ、ごめんなさいね、楓ちゃん。お母さん、ちょっとはしゃいじゃって」
「もう……」
そして、割烹着姿のご婦人…………ご婦人? が誠司さんの隣へ座る。
でも、え? お母さん? いやいやいや? 俺から見ると、天然茶髪でゆるふわ系の女子大学生にしか見えない若さなのだが。
俺は思わず、隣に座っている誠司さんへ疑惑の視線を向けるが、誠司さんは慣れているのか、『犯罪ではない』と静かに首を振って応えてくれた。
「初めまして、彼氏さん。楓ちゃんのお母さんの、七尾 千尋です。おばちゃんが年甲斐もなくはしゃいでしまって、ごめんなさいね?」
「あ、いえいえ、そんなそんな、あ、俺は――」
「楓ちゃんから聞いているわ。でも、皆が集まったところで、改めて自己紹介してもらうことになるけど、いいかしら?」
「はい、大丈夫です」
茶髪で、栗色の瞳の若々しいご婦人。
千尋さんが纏う、こうふわっとした空気で緊張が緩みそうになるが、俺は丹田に力を込めて気合を入れ直す。ここは敵地だ、油断してはならない。
…………しかし、父親と母親、両方とも銀髪ではないんだな。
「亡くなったお婆様が、ロシアの人だったの。だから、私はクォーターね」
「ん、ああ、ごめん」
「いいわ、気にしなくても」
態度には出していなかったはずだが、俺の疑問を指して、七尾さんがさらりと答えてくれる。
ううむ、こういうところを見るとやはり、天才美少女なのだが、時折、物凄く残念になってしまうんだよなぁ。
しかし、これも愛嬌と思えば、悪くない。
恐らくは、倉森さんもこういうところを好ましく思っていたのだろうし。
「よぉ。揃っているな」
などと、七尾さんと倉森さんに関してあれこれ思考を巡らせていると、いつの間にか、するりと耳の中に声があった。
聞こえた、という表現よりももっと当たり前のように。さながら、意識せず、常に体内で巡る鼓動の如く。あまりにも自然に、その老人の声は在った。
「今日は無理を言って悪かったな、お前ら。いやぁ、可愛い孫に彼氏が出来たって話だからよ。孫馬鹿としては、一目見て見たくてなぁ」
いつ、戸を開けたのか分からない。
いつ、座ったのか分からない。
ただ、いつの間にか上座へ、小柄な老人が座っていた。小柄で白髪、和装の老人。されど、背筋はしゃんと伸びており、その黒い瞳からは冷たい理性の色を覗かせている。
その癖、口ぶりは好好爺なのだから恐ろしい。
「つーことで、初めましてだ、坊主。俺ァ、七尾 弥助。何、何処にでも居る偏屈な爺だよ。よろしくなァ」
けらけらと朗らかに笑いながらも、冗談のように嘯く七尾さんのお爺さん。
これが、七尾家の先代当主。
控えめに言っても人間のスペックを凌駕している七尾さんが、頭が上がらないと明言する相手だ。
なるほど、確かに、こうして対峙してみればよくわかる。
この人はさながら、七尾さんが天使ならば、このお爺さんは妖怪の如く。
やれ、どうにも楽しい食事会になりそうで嬉しい限りだぜ、まったく。