エピローグ 好きでやっているのさ
これにて、ハードボイルドを気取る異能少年と、愉快な百合たちとの物語は終幕です。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
すぐに、これが夢だと分かった。
「中々上手くやったじゃないか」
場所は、見覚えのある喫茶店。
いつもと同じ席。
普段ならば、百合二人組が座っているその席には、俺と同じ顔――否、『俺』が座っている。
かつてのように、無貌の仮面は被っていない。
「やれ、一体、どんなことになるかと心配していたけど、どうやら俺の日常は続くみたいだな。これで『俺』も一安心だぜ」
『俺』はのんびりとした手つきで、手元のコーヒーカップへ、どんどん角砂糖を沈めていく。そこからさらに、ミルクを二つほどぶち込むので、まるでコーヒーに対して恨みでもあるような飲み方だと思った。
「気にするなよ、俺。飲みたいように飲むのが、美味しいコーヒーの飲み方って奴だぜ? それとも、ハードボイルドなら、ブラックじゃないと駄目か?」
そうじゃない。
そうじゃないのだが、明らかに、調味料過多で、本来の味を塗りつぶす飲み方や、食べ方は認められない。
「やれ、俺は随分と食事に拘るようになったもんだ。こればかりは、俺たちの明確な違いって奴かね? まぁ、いいさ。どうせ、過去の話さ。直ぐに忘れる」
『俺』はのんびりと、コーヒーのような何かを啜る。
ただ、俺はその様子に何か、嫌な予感がした。まるで、何かが終わってしまうような。すぐ近くに居るはずなのに、どこかへ遠ざかっていっているような、不思議な感覚。
「軽食の一つでも頼もうと思ったけれど、生憎、これから予定があるんでね。それに、末期の一服はこのぐらいでちょうどいい」
気づけば、『俺』の手元にあるコーヒーカップには、半分ぐらいしか琥珀色が存在しない。
『俺』は、残されたそれを、躊躇うことなく口にしていく。
「俺はちゃんと選べたんだ。なら、充分だ。充分すぎる。冥土の土産には、過ぎた物を見せて貰ったさ。何せ、世界を覆した話だ。あっちに居る、『俺』の家族もさぞかし驚くだろうよ」
待ってくれ。
俺は、『俺』を引き留めようと手を伸ばそうとするのだけど、届かない。こんなに近くに居るというのに、届かない。
「俺の異能は、超越だ。乗り越えていく、ということだ。使えば、同じ場所には居られない。俺はそれをきちんと分かっていたし、分かっていて使ったんだ。ちゃんと、未来を選べたんだ。折角、格好良かったんだから、そのままで終わらせようぜ」
終わりではない、と俺は拒否する。
過去は捨てる物でも、消える物でもなくて、背負っていく物だと、否定する。
「違うさ、俺――――いいや、お前の未来を始めるには、無駄な荷物だ。だから、俺が持って行く。まぁ、安心しろ。何も忘れないし、何も失わない。ただ、成長するだけなんだ。幼子が、少年になるように、歩いていく歩幅が変わるだけさ」
駄々っ子のような俺の言葉を切り捨てて、ことりと、『俺』――彼は、コーヒーカップをテーブルへ置いた。
コーヒーカップの中身は、既に飲み干されている。
「ごちそうさまでした。さて、もう時間だ」
引き留める俺の声も聞かずに、彼は席を立つ。
喫茶店の窓の向こう側には、彼の家族が『待ちくたびれた』と言わんばかりの顔つきで、彼を待っている。
そうか、もう終わりなのか。
でも、どうすればいいのだろう?
彼が居なくなってしまえば、俺は一体、何者になるのだろう?
「お前はお前だよ、天野伊織。七尾楓と、倉森鈴音の友達で、灰崎君の相棒で、太刀川美優の恋人だ。そして」
彼は最後に、満足げな笑みを浮かべると、颯爽と歩き出した。
俺に背を向けながら、ひらひらと手を振って。
「最高に格好いい、ハードボイルドを目指す、ただの高校生だろ?」
りりりん、という喫茶店のドアに取り付けられたベルが鳴る。
誰かの姿は、もう見えない。
とてつもない何かを失ったようで、涙がどんどん湧き出て、何も見えない。
俺は、夢の中で声を上げて、泣き喚いた。
それは、余りにも遅い産声で。
――――きっと、夢から覚めたら、忘れているぐらい、些細なことだ。
●●●
世界を一つばかり覆したところで、人々の営みは中々変わらない。
そりゃあ、裏社会のあれこれなどは多少、変動を余儀なくされるが、それも、表側の住人にとってはほとんど関係の無い出来事。精々、知り合いが数人ほど姿を消したり、ほとんど通ったことのない何処かの店が、急に閉店のお知らせをする程度だ。
大企業の商品に、ゴミ屑でも混入していた方が、よっぽど人々の生活に影響を与える。
故に、まだ完全に裏側の人間でもなく、表側の人間とも言い難いこの俺の日常を変えるのは、世界最強クラスの覚醒者という肩書ではない。
「おはようございます、先輩。今日のお味噌汁は、貴方の好きな鰹節と昆布の合わせ出汁ですよ? もちろん、味噌も太刀川家オリジナルブレンドです」
「ああ、ありがとう、太刀川」
「んもう、私たち恋人同士なんですよ? もうちょっと、こう……ね? 伊織先輩♪」
「はいはい、分かったよ、美優」
太刀川美優の恋人兼、婚約者という立場が、俺の日常に変革を促した。
具体的に言うのであれば、現在の家から出て、七尾家の敷地内で暮らすようになってしまったのである。太刀川――美優と、楓、それと倉森の三人とのルームシェア生活である。
更に詳細を話すのであれば、七尾家の日本屋敷に増設するように作られた、新築の一軒家。それが、我らがルームシェアの根城だ。弥助老人が、委員会の騒動を見事解決したことに関して、いたく感激したらしく、僅か一夜のうちに特殊な業者に頼んで増設させたらしい。
いや、ご厚意は嬉しいのだが、美優の料理を朝から食べられるという幸福を得られる機会を作ってくれた弥助老人には感謝の念が堪えないのだが、当然の如く、俺たちがルームシェアなんてしているのには理由がある。
「ふぁあああ…………おは、よう。今日も、いい天気、ね? 二人とも……ふあっ」
「…………お、あ、あよう……」
休日の朝。
時刻は午前七時半を過ぎたころ。
俺が、割烹着姿の美優と共に朝食を楽しんでいたところに、随分と生気のない声が二つ。
一人は、七尾楓。
美しい銀髪は、寝ぐせが所々についてあり、顔が完全にふにゃふにゃで気が抜けている上に、なんとパジャマ姿でのご挨拶である。
もう一人は、倉森鈴音。
髪の毛は元々、ざっくばらんなショートヘアなので変わり無いのだが、黒縁眼鏡を寝床に忘れたらしく、目つきがいつもよりも悪い。さらに、服装がTシャツに、ハーフパンツという完全に無防備な寝間着姿だ。
だらしない。
いくら休日の朝とはいえ、仮にも男子であるこの俺の前に立つのだから、もう少しばかり気を遣っていただきたいところだ。
「んもう! 二人とも、きちんと身だしなみを整えてから来てください!」
当然の如く、美優も二人の体たらくには怒りを示している。
一緒に暮らせばわかることなのだが、割と美優は普段の生活のあれこれに関して、口出ししたり、きっちりとして欲しいタイプの人間だ。俺としては、気が抜けている部分を指摘してもらえて、有難い限りだと思っているのだが、若干、余計なお世話だと思う人も居る。
それが、楓と倉森だ。
「ふ、ふふふ、ごめんね? でも、美優、聞いて欲しいの。今から着替えたら、折角、貴方が作ってくれた朝食が冷めてしまうでしょう? そんなのはいけないわ」
「いえ、でも、身だしなみは――」
「ちっ。休日の朝ぐらい見逃せよ、お母さんか、お前は」
「誰が! お母さんですか! むしろ、私は年下なのですが!? 倉森先輩!」
楓は従者を籠絡にかかり、倉森は渋い顔で悪態を吐く。
その態度に対して、美優はぷんぷん! という擬音が背後に浮かび上がりそうなほど怒っているが、そこはやはり従者。倉森だけならばともかく、主に対して説教するというのは、未だ、中々難しい様子だ。
やれ、仕方がない。
「確かに、休日の朝だし、多少気が抜けていても文句を言うほどじゃないさ…………そう、昨夜、どこかの誰かさんたちが盛っていなければ、きっと、美優も穏やかな心で注意出来たと思うんだが?」
「「うっ!」」
俺は、恋人である美優に対して助け舟を出しつつ、言葉の弾丸で、だらしない友達二人の胸を打ち抜く。
「…………き、聞こえていたの?」
「へ、変態っ! おまっ! 友達の情事を!!」
「阿呆、カマかけだよ、お二人とも。このルームシェアの建物は……お前らの『練習用』として建てられた建物は、防音対策もばっちりだ。ドアの前を通りがかっても、全然気づかないだろうさ…………首元やら、腕やら、太ももやらに『虫刺され』が無ければ、な?」
「「ひゃうっ!?」」
俺がため息交じりに指摘してやると、ここでやっと、二人は乙女らしい反応をして、床に蹲った。
ああ、よかった。ここで『それが何か?』みたいなリアクションを返されたら、本格的に弟扱いされているのかと疑うところだったぜ。
「好き合っている二人が一緒に居るんだ、別に悪くはない。そう、節制していれば、悪くは無いんだ。だけど、何回目? この四人でルームシェアを始めて何回目? 言っておくけどな? 出されるゴミとかでも色々察してしまうから、マジでほどほどにしてくれな?」
「は、恥ずかしすぎるわ……」
「死んでしまう」
「友達にこういう、性の関係を指摘する俺の方が恥ずかしいわ、阿呆どもめ」
やれやれ、と俺がこれ見よがしに肩を竦めると、二人はむっとした表情で反論を始める。
「ほーう、ほうほう? 言うなぁ、天野ぉ……だが、分かっているぜ、お前は男子高校生。人類の性欲の絶頂」
「つまり、そういう伊織君こそ、うちの従者とエロエロしているんじゃない? ねぇ、美優?」
「………………楓姉さんのエッチ」
「ふ、ふふふ。妹同然に育った幼馴染からの罵倒で心が傷ついたけれど、安心しなさい! 致命傷よ!」
「駄目じゃねーか」
「駄目じゃないわ、伊織君! この痛みを対価に、貴方たちの性事情はなんとなく予想したわ! つまり、その…………え? まだしてないの?」
「婚前交渉は駄目だってさ」
「うちの親は古風なのですよ…………まぁ、守る気はありませんが」
「おっと、後輩? それちょっと初耳だけど?」
「安心してください、伊織先輩! ちゃんとゴムの準備は万全です!」
「そういう問題!?」
「避妊は大切です!」
「それね!」
「それなぁ」
大切だけどさぁ、と俺は何とも言えない表情を作った。
美優のご両親である、太刀川夫妻とは、度々挨拶しているし、数時間に及ぶ素手ゴロの末に、交際と婚約を認められた仲だった。いわば、将来的には結婚を視野に入れている恋人同士であるので、性交渉は当然の流れかもしれないが、それでも俺たちは学生であり、ご両親からは婚前交渉はいけない、と言いつけられている立場だ。
凄く、とても凄くエロいことはしたいのだが、ここは我慢するべきではないだろうか?
「でも、うちの両親は学生時代に出来ちゃった婚ですよ?」
「そっかぁ」
そんな俺の決意は、恋人からもたらされたご両親のアレな過去によって消え去った。
マジかよ、あんな堅物夫婦みたいなツラして、若い頃は、下半身暴れん坊だったのかよ?
「その点、私たちは子供が出来ないから安心ね!」
「まぁな、そこら辺は私たちの利点って奴だな! はっはっは!」
「「…………」」
そして、そこの二人はどうして、自分の言葉で千尋さんの説教を思い出して、凹んでいるんだよ? ええい、この思春期ガールどもめ!
……そう、この思春期ガールたちの交際は全面的に認められているのだが、進学からの同居生活に関しては全く認められていない。千尋さん曰く、「この二人は一緒に生活をしたら、何処までも堕落していくタイプよ」とのこと。うん、確かにその通りだと、一緒に生活をしていてよく分かった。
そもそも、このルームシェアは将来、二人が一緒に暮らすにあたっての事前練習であり、俺たちはそれに巻き込まれた――というよりは、乗っかった形になる。
なお、一応、男女が共に一つ屋根の下……友達とはいえ、そういうあれこれを考慮したことを彼女たちの家族に相談したのだが、答えは『お前だったら、問題ない』との全面的な信頼が返ってきた。
「私の妻が認めた、数少ない男だ。それに、娘のために命を張って、なおかつ、きっちり生還した益荒男だろう? 流石の私も、認めざるを得ないよ」
千尋さんから、諸々の事情を説明された誠司さんからは、君しか任せられない、とガチで頼み込まれて。
「今まで勘違いして悪かったな…………そうかよ、全ては……鈴音の…………分かった! そこまで男を見せられたら! 兄として! 妹を頼むしかねぇ!!」
ようやく事態が解決したので、倉森が虎尾さんに説明したところ、虎尾さんは今までの態度を改めるように、俺に対する不信感が反転して、一気に認められてしまって。
というか二人とも、何故か、娘や妹の恋人よりも、俺に対する信頼感が強いので、俺が二人の監視をするということで、ようやくルームシェアの許可を出している始末だった。
うん、二人ともきちんと、互いの家族と話し合うべきだと思う。
「……私たち、将来、伊織君と美優の子供を凄く可愛がりそうな予感がするわ」
「多分、めっちゃ甘やかすわ」
少なくとも、互いのよくわからない未来を考えるよりは、実があるはずだ。
まぁ、などと言っても、俺も人のことは全然言えないのだが。何せ、最近は人付き合いが急激に増えてきて、虎尾さんの就職先の斡旋やら、弥助老人から七尾家がらみの仕事を受けたり、協会に指導を受けている犬飼の様子を見てくることも頼まれているのだ。
ぶっちゃけ、大忙しである。
まさか、ここまで俺の仕事が忙しくなるとは思わなかったぜ。
とりあえず、相棒の灰崎君がスケジュールを整理してくれているので、無理なく、明日から片付けて行こうと思う。
そう、明日から。
今日はこれから、ちょっとした用事があるのだ。
「…………」
「うん? 何かしら、美優。その疑わしい目は」
「言っておくけど、疚しいことは皆無だぞ、天野のことに関しては」
「はい、まぁ、それは分かるのですが………………十年後は分かったものじゃないなぁ、と思いまして。お二人とも、何をするにしても、まず、恋人である私にご相談くださいね?」
「「まったく信頼されていない!?」」
「いえ、だって…………これから、お出かけでしょう? 三人で」
ジト目での美優からの指摘に、何故か黙り込む二人。
おい、そこで黙り込むんじゃない。恋人から浮気判定されるだろが。
「言っておくが、美優。そういうあれじゃないぞ? 普通に飯を食いに行くだけだぞ? 偽装交際の件に関して、お礼がしたいからって言われたから、とっておきの店を紹介して、奢ってもらうだけだぞ?」
「それは、そうですけど…………むーん」
美優から視線を向けられた二人は、どこか罰を悪そうにしながら『友達だから』と言い訳のように、呟く始末。
ええと、二人とも?
「安心しなさい。私が、この世で一番愛しているのは鈴音だし、それが変わることは無いわ」
「私も同じだっての! まったく! 後輩が下衆の勘繰りは止めろ!」
「…………とりあえずは納得してあげましょう」
何かを誤魔化すように言葉を紡ぐ二人へ、疑わしき視線を向けつつも、とりあえず美優はこの場を収めることにしたらしい。
ん、んんんんー? 良く分からないが、この三人は基本的に仲が良いはずなので、それでよしとしよう。
何せ、まだまだ未熟者の俺では、女心をいくら分かろうとしても、そのつま先ほどもきっと、察することなんてできないのだから。
●●●
「待たせたわね」
「準備万端だ」
「…………いや、それほど待っては居ないが、その、随分気合入っているんだな? というか、え? 大丈夫? ドレスコード必要? 俺、仕事用の物に着替えてくる?」
「やれ、馬鹿言っていないで、行くわよ、伊織君」
「そうそう、さっさと行こうぜ。久しぶりの、三人なんだからさ」
朝食の後、俺は身支度を終えた二人を迎えて外出することにした。
本来、楓の外出には専用のボディーガードやら、送迎の車が付きものらしいのだが、今回は遠目で見守っている黒服さんが何人か居るぐらいに留めているようだ。
これが七尾家からの信頼だとすれば、俺は道中、きちんと二人をエスコートしなければなるまい。
しかし、今日が休日だからといって、二人とも私服に気合を入れすぎではないだろうか?
楓はいつも、外へ行くときは身だしなみに気を遣っているから、ある意味いつも通りなのだが、倉森は違う。夏の外出なんて、スニーカーに、デニムのパンツ、Tシャツという、少年の如き出で立ちだというのに、今回は何故か、スカート姿である。しかも、ミニスカート。加えて、ぼさぼさの髪を綺麗に整えて、眼鏡も赤い縁の、センスの良い物へ変わっていた。
「楓、今日の予定の確認しておこう」
「ん、そうね。じゃあ、軽くショッピングを楽しんだ後、予約を入れていた懐石料理のお店でご飯。その後は、軽くショッピングを楽しみつつ、映画鑑賞。後は、夜になったら適当にファミレスでだらだらしながら、映画の感想を言い合いましょう」
「よし、私たちの定番デートコース」
「ちなみに、今回のデートコースは、デート経験が皆無という伊織君の参考になれば、というテーマで組まれています」
「あ、ありがとう?」
「「ふふん」」
倉森と楓は、得意げな表情を作ると、そのまま俺の両脇へ歩み寄った。そして、躊躇うことなく俺の両腕へ、それぞれ組みついた。
うん? これは一体、どういうフォーメーションだろうか? これでは、傍から見れば、両手に可愛らしい女の子と綺麗な女の子を侍らせるクソ野郎に見えてしまう。
「さぁ、行くわよ」
「きょ、今日はたくさん、あ、遊ぶぞ!」
「待て、楓。思惑は分からんが、もう既に倉森が限界だ!」
「…………限界を、越えてやるっ!」
「いや、そんな俺の腕を掴まれながら、少年漫画の主人公みたいな台詞を言われても」
耳まで真っ赤にした倉森が、ぎゅっと俺の腕を掴んで離さない。
隣に居る楓へ、救援を求めて視線を向けたのだが、返ってきたのは愉快そうな微笑みだけ。
「いいじゃない。私よりも、好みなんでしょう?」
その微笑みは、どこか、母親である千尋さんのそれに似ていた。
「それとも、私たちでは嫌かしら? 折角のお礼だから、しばらくの間、『モテモテハーレム野郎』の気持ちを体験させてあげようと思ったのに」
「それはお礼に入るのか?」
「両手に花! で、その…………駄目?」
「ふふふ、残念ね、鈴音。伊織君はきっと、私たちが絡んでいる姿を眺めていることが至高という百合男子だから、私たちにくっ付かれるのが嫌で仕方ないのよ。きっと、解釈違いだ! とか言って振り払われるわ」
おずおずと上目遣いで尋ねてくる倉森と、わざとらしい言い方で俺の退路を悠々と塞ぐ楓。
俺は、やれやれといつも通りに肩を竦めてお道化ようとして、ああ、そういえば、両腕に組み付かれていたのだった、と思い出す。
だったら、たまには気取らず、素直に言葉を吐き出すのも悪くないだろう。
「いいや、俺も好きでこうしているから、何も問題ない」
たまには、百合の花を眺めるのではなく、挟まるのでもなく、寄り添って歩くのも、心が躍る物だと、俺は答えた。
すると、彼女たちは一瞬、目を丸くした後、破顔して抱き着く力を強める。
「「――――この、モテモテハーレム野郎っ!!」」
「はいはい」
実に楽しそうに、俺を罵倒し、思いっきり体重をかけて寄りかかってくる乙女たち。
俺は、そんな乙女たちを支えながら、今度こそ「やれやれ」といつものお決まりの台詞を吐いて、歩いていく。
きっと、これからも俺の周りではトラブルは絶えない。
ぶん殴ったと思った、異能伝奇は懲りずに顔を出すだろうし。
俺は未熟者だから、周囲の人間関係で四苦八苦することは請け合いだろう。
でも、俺はこの日常を手放すつもりはない。
両手に抱えた百合の花を、手放すつもりはない。
我ながら、贅沢な願いだと思うが、幸いなことに、頼れる大人も、背中を預ける相棒も、愛しい恋人も居るのだから、この先もなんとかなると信じよう。
信じて、藻掻いて、乗り越えて行こう。
それが、この俺――――天野伊織が選んだ、日常なのだから。
FIN




