第59話 偽装関係の終わり
「お、おおおおお……っ!」
俺は、目の前にそびえ立つ肉の山に感動していた。
白磁の大皿に盛りつけられたのは、からっときつね色に揚げられた、肉の塊。そう、からあげである。しかも、揚げたて。衣が香ばしい香りを漂わせて、俺の食欲を誘っている。
無論、からあげの山の隣には、山盛りのキャベツ。レモンのカット。多種多様なソースが揃っていて。さらに、さらに、嬉しいことに、大盛のカレーがどん、とからあげの山に劣らぬ存在感を主張していた。
「先輩、カレーの味付けは甘口でよかったでしょうか?」
「もちろん! 大好きだ!」
質問に即答すると、太刀川は何故か、顔を赤くして視線をさ迷わせた。
ふむ? 今までのパターンだと、料理を褒められると仮面モードでも、素顔モードでも存分にドヤっていたというのに。
「…………えっ、あ、ありがとうございます……私も好きです」
「いや、カレーが、って話じゃねーの? 太刀川後輩」
「わ、分かっていますよ、それくらい! 倉森先輩は、余計なことを言いますね! 料理の時も、手伝ってくれたのは良いのですが、色々と余計な物をカレーにぶち込もうとしますし!」
「余計な物とはなんだ、我が家の隠し味だぞ、ああん?」
「全体的に味が雑になるんですよ! チョコレートとソースをぶち込むのは!」
「はいはい、二人とも、喧嘩しない、喧嘩しない。それより、伊織君が『待て』をされた犬みたいな顔しているわよ?」
誰が犬だ。
カレーに付け合わせの福神漬けを載せたり、トッピングの茹で卵を載せたりしながら、からあげの食べ方を考えているだけではないか。
「そうですね。今日は先輩のお疲れ様会ですし」
「無事に帰ってきてくれただけで、私たちはもう安心だよ…………変なことになってない?」
「大丈夫だぜ! なんか気づくと、周囲の水分を操れる異能が生えてきたけど、基本は使わずに死蔵すればいいだけだし」
「うーん、見知らぬ内に伊織君の戦力が上がっているけど、逆に言えば、それだけってことで」
三人は視線で合図をすると、せーの、と言葉を合わせて、微笑んだ。
「「「じゃあ、存分に召し上がれ♪」」」
「わぁーい!」
許可を得たので、俺は遠慮なくご褒美飯を貪り始めた。
場所は七尾家の食卓。
料理は、俺と千尋さんが委員会で交渉していた時に、下ごしらえをしてくれていたらしい。
俺たちが無事に帰ってくると信じて、丹精込めて作ってくれた料理。しかも、全部俺の好物。俺が好きな味付け。そして、俺は異能使用の反動で猛烈にお腹が減っている。
これはもう、止められねぇな。
「――――――っ!!」
「わぁ、凄い。妙に姿勢良く、上品な食べ方なのに物凄い速度ね?」
「しっかり咀嚼しているのに、咀嚼音が聞こえねぇ」
「それでいて味わっているんだから、流石先輩です」
美味い。
美味すぎるぞ、これは。
まず、からあげなのだが、衣はかりっと、中の肉はジューシィ。肉汁と共に、ニンニクと醤油ベースのタレで味付けされた旨味が、口の中に広がって、幸せな気持ちになる。それでいて、しっかりとした肉の歯ごたえも残しているのだから、ああ、肉を食べているのだなぁ、という満足感が心を満たす。
次に、カレーだ。
からあげをオカズに、カレーを食べるなんて、どこの貴族だよ? などと思ってしまうが、今の俺ならば許される。存分に、この最強コンボを味わってもいいのだ。
「はふぅ……幸せだぁ……」
カレーの甘口。
それは、ただの甘口ではない。
スパイシーな香りと味わいを残しつつも、まろやかで親しみやすい味を作り上げるのは、並大抵の努力では出来ない。加えて、市販のルーではなく、スパイスの調合から自力で行っている太刀川流では尚更だろう。
そこに、福神漬けの食感と、甘じょっぱい味わいがアクセントとなって、無限に食べられる。ああ、カレーは飲み物という言葉があったが、まさしく飲み物の如くするする行けてしまう。まぁ、消化に悪いからきっちり咀嚼はするのだが。
からあげ、カレー。
からあげ、カレー。
これは、ひょっとしては無限ループなのでは? 無限に美食を味わえるのでは? などと思っていると、割とすぐに料理が無くなってしまったので悲しい。
「おかわりもありますよ、先輩」
「わぁい!」
などと悲しんでいると、鍋たっぷりのカレーと、業務用の炊飯器たっぷりのご飯。さらには、どんどん白磁の皿に盛りつけられていくからあげの山を見て、俺は喜びを取り戻した。
ひゅう! 今日はお祭りだぜ!
………………
…………
……
「ごちそうさまでした」
「「「はい、お粗末様」」」
俺は心地よい満腹感を覚えながら、ふぅ、と満足げに一息。
そんな俺の様子を、まるで、幼い弟を見守るような目で眺める倉森と楓。
うーん、そろそろ弟扱いについてきちんと話し合おうか?
「ふふふ、喜んでくれて何よりだわ。でも、これっぽっちでは全然、私たちの感謝の気持ちは伝えられないと思うから、これからも定期的に、一緒にご飯を食べましょうね?」
「天野には世話になりっぱなしだからな……その、いいだろ?」
「契約の範囲内だから、気にしなくていい…………って、二か月前の俺だったら言うかもしれないが、ここは遠慮なく厚意を受けさせてもらおう」
ハードボイルドの真似事をするのが大好きな俺だったのならば、契約満了後に、依頼人とあまり仲良くするのは気が引ける、なんて言っていたかもしれないが、今は違う。
ハードボイルドとは、やせ我慢であるという持論は変わらないが、やらなくていいやせ我慢はするつもりはない。必要な時は、歯を食いしばって世界を相手でも戦ってやろう。
けれど、必要のない場面だったのなら、格好つけのために友達の手を取らないなんて、そんなひねくれたガキみたいな態度は取る必要は無いと思うのだ。
「それと、契約が終わっても二人は友達だからな。次からは、割引して助けてやるぜ?」
「伊織君の場合、依頼の料金は割高にしてもいいと思うのだけれども?」
「自分を安売りするなよ、馬鹿」
「いや、いやいやいや、今回みたいな騒動は滅多にないからな!?」
普段はもっとこう、ほのぼのとした依頼だよ! 猫探しとか! 浮気調査の手伝いとか! 不良やいじめに悩んでいる奴を助けたりとか!
「それに関しては、ご心配なく、楓姉さんに、倉森先輩。今後、私は影人の業務に加えて、先輩の相棒として、並び立つ予定ですので、そこら辺の金銭感覚も矯正して――」
「あ、相棒枠は灰崎君が居るんで、ちょっと」
「…………」
「こら、伊織君! うちの従者を泣かせないの!」
「あーあ、後輩女子を泣かせたぁ。健気に慕ってくる、後輩女子を泣かせたぁ」
「待って? 落ち着こう、太刀川。情緒が不安定過ぎない?」
「だって、だって…………ずっと、心配して……ううう……」
「悪かった! 俺の言い方が悪かった! 今後、太刀川に手伝って貰うことがあるかもしれないし! それにほら! 太刀川は、その……だな?」
「わ、私は、その……」
「「キース! キース!!」
「うっせぇ! そこの女子二人、うっせぇ! 素直に恋人になって欲しいって言いづらいんだよ! まだ偽装交際中だし!」
囃し立てる女子二人に悪態を吐きつつ、俺はそっぽを向く。
正直、付き合えるものなら、付き合いたい。イチャイチャしたい。登下校を一緒に過ごしたいし、休日はデートに行きたい。
だがしかし、ここで勢い任せに恋人関係になった場合、確実に、今後に影響が出てしまう。具体的に言うのならば、偽装交際を解消した後とか。落ち込んだ演技をしなければならない時に、物凄くテンションが上がって、浮かれてしまう、絶対に。
「なるほど。伊織君の懸念もわかるわ…………好きな子と付き合っていると、時々、歯止めが効かなくなる時があるもの」
「恋人として言うけど、お前は本当に反省しろ」
「ええ、とても反省したわ。今回のことがあって特に…………だから、鈴音と一緒に、考えて決めたの」
「ん、そーだな」
「……? 二人とも、一体、何を決めたんだ? 一応、どんな行動でもフォローはするつもりだが、予定が狂う可能性もあるから、俺にも教えてくれ」
俺の言葉に、二人はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
そして、揃って口元に人差し指を当てて、
「「秘密♪ 来週の昼休みまで、お預け」」
などと言うのだから、追及できない。
追い詰められた様子でもないし、何より、乙女の秘密だ。それを追求して暴くなんて、男として無粋極まりないからな。
「わかった。じゃあ、楽しみにしておく」
一体、何だろうか? ひょっとして、俺の働きを評価して、何か特別なプレゼントだろうか? 二人でお弁当を作って来てくれるのだろうか? だったら、嬉しい。太刀川の料理が一番好きな俺であるが、もちろん、友達二人が弁当を作って来てくれたらとても嬉しいのだから。
俺は、その日まで、少年のような心を抑えながら、ワクワクして待つことにした。
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『『実は! 私たち! 付き合ってまぁーす!!』』
『えぇええええええええええええええええええええええっ!!!!』
騒然とする、体育館に集まった生徒たちを眺めて、俺は引きつった笑みを作った。
隣には、がっつりと肩を抱き合った倉森と楓の姿が。
そして、俺の隣には、感情を廃した無表情の仮面を被った、太刀川の姿が。
…………どうやら、二人からの特別なプレゼントは、とっておきのサプライズだったらしい。




