第5話 災いは即座に来る
ホイ、チャマ。
唐突だけれど、女子から土下座をされた経験はあるだろうか? 俺は無い。いや、無かった。この十七年ほどの人生の中で、女子から土下座されるような体験はしていなかったのだけれども、つい最近、それを経験することになったのである。
「…………この度は、本当にごめんなさい」
しかも、何故か、七尾さんの私室で。
さて、どうしてこんな事態になってしまったのか?
それを説明するには、少しばかり時間を遡らないといけない。
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「とてもごめんなさい。正直に言って、大勢の人に囲まれてとても混乱していたわ。ふふふ、ついつい、脊髄反射で言葉を選んでいたらこんなことに」
「天野、ごめん。お前も薄々気づいていると思うけど、こいつ、こういう恋愛系というか、日常コメディなトラブルが大の苦手で。余計に物事を混乱させるという稀有なポンコツの才能を持っているんだ。まぁ、いざという時や、正常に思考している時は頼りになるんだけど」
「私は感情的になると駄目なタイプの人間です」
「あの! 教室の! 出来事も! 私に対する! 不意打ちでぇ!」
「想いが! 想いが溢れてしまったのよ! ごめんなさい!」
「学校でそういうことしちゃダメだって! やるんだったら、私の家で、って言ってたのに!」
「むらっと来たの! 耐えられなかったの!」
体育館で記者会見を開いた当日の放課後。
俺たちは喫茶【骨休み】で、反省会を開いていた。
周囲の落ち着いた雰囲気と相反して、目の前の女子二人が喧しいが、幸いなことに人が少ない時間帯なのでまだ追い出されていない。
だが、二人がこのままの勢いでヒートアップすれば、それも時間の問題だろう。ここを出禁になって今後の活動拠点を失うのは厄介だ。
「二人とも、そこまでだ。周囲の迷惑になるだろう? 落ち着いてくれ」
「「…………はい」」
ぱんぱん、と手を鳴らして、二人の注意を引き、乾いた言葉で感情を落ち着かせる。
やれ、どうにもこの二人は一緒に居ると際限なく元気になってしまうらしい。実害が無ければ、微笑ましく見過ごせるのだが、俺の仕事が絡んでいるのならば、話は別。
「まず、色々話が盛られた件だが…………これは、俺に関しては大丈夫だ。俺が、二か月後に無様な『振られ役』を演じれば、別れるということは不自然にならない」
「…………でも、それだと貴方の損害が大きいわ」
「そうだよ、天野。こいつのやらかしなのに、お前だけ損するのって、変だろ?」
「何、これも仕事だ。それぐらいはサービスの範疇にしてやるよ」
俺が肩を竦めて苦笑して見せると、二人は揃ってバツが悪そうに俯く。
これでいい。まず、俺が不利益を被ることになったことを理解してもらって。相手に罪悪感を抱いてもらう。肝心なのは、この次だ。抱いた罪悪感に見合った、ささやかな要求。過不足が無いように見極めて、これを通す。
「ただまぁ、七尾さんに協力してもらえば、いくらかは俺の損害が少なくなるがね」
「協力するわ」
「そこは協力する内容を訊いてからにしようぜ?」
「変なことを言ったら、とても怒るから大丈夫よ」
「とても怒る」
「ええ、とても怒るわ」
俺はそっと倉森さんへ視線を向けると、彼女は「ふっ」と悟ったような笑みを浮かべた。
「私はとても怒られた結果、半日ぐらい意識が飛んでいた」
「怖いな、おい」
「だから、安心して協力を要請してほしいの」
「安心できねぇ。まぁ、変なことを言うつもりは最初から無いけどよ」
とりあえず、協力してくれるというので、七尾さんにいくらかリクエストを。
「別れる予定の二週間前から、成績に大きな影響が出ないように少々、生活態度を落としてくれ。といっても、不良になれってわけじゃないぜ? 課題を忘れたり、凡ミスをしたり、あまりその回数が多いと露骨になるから……そうだな、三回ぐらい何かしらのミスをしてくれ。それだけで、伏線としては十分だ」
「ふむ? それはつまり、私が色ボケして成績を落とす前兆を演出するということかしら?」
「ああ、そういうことだ。きっかけとしては些細なことかもしれないが。そういう伏線があれば、いざという時、『俺は彼女の足を引っ張る存在だ』というもっともらしい言い訳が出来る。これなら、あんな熱血な台詞を吐いていたとしても、別れるにはそれなりに納得できる理由になるだろ?」
「なるほど、そういう方向性で行くのね」
「何も、別れる原因が不仲による物とは限らないのさ」
この世の中には、互いが好き合っていても別れざるを得ないエピソードなど、山のように存在する。
恋愛系の掲示板でも漁れば、飽きるほどにでも。
フィクションも含めるのならば、一種のテンプレートが作成できるぐらいには、事欠かない。
そして、大衆が求める他人の噂話など、リアリティよりも物語性の方が大事なのだ。それなりに形を整えて、飲み込みやすいように情報を加工してやれば、勝手に各々で納得してくれる。
……無論、俺が考えている通りに物事が運ぶとは思わない。俺だって所詮は、背伸びをしているだけの男子高校生に過ぎない。周囲の反応を予測したところで、必ずイレギュラーは発生するだろう。
しかし、例えイレギュラーが発生としても、こういう対策を即座に行っていくことは、決して無意味にならない。少なくとも、何もしないで放置するよりは、格段に。
「ただ、このケースによる別れを演出すると、七尾さんは別れた後も何かしら尾を引くことがあるかもしれない。事あるごとに、とはいかないが、時折、俺との別れ話が日常の中で浮かんでくるかもしれないが、大丈夫だろうか?」
「ええ、問題ないわ。きっちりと別れを惜しむ女を演じてあげる」
「普通で頼む」
「普通にやりなさい、楓」
「えぇ……」
七尾さんは天使の微笑を崩して、不貞腐れたように唇を尖らせる。
そんな子供っぽい七尾さんの様子を見て、倉森さんはため息を吐きながらも、どこか楽しそうに七尾さんの銀髪を手で梳く。
やれ、どうやら俺は場違いのようだな。さっさと切り上げて、二人に時間を提供してやるとしますか。
「ともあれ、俺の方は何も問題ない。対応できる範疇だから、安心してくれ」
「分かったわ。迷惑をかけるわね、天野君」
「誠実な依頼人からのお願いだったら、それなりに融通を利かせるのが仕事人って奴さ。もちろん、それがデフォルトになったら困るがね。ああ、それとさ、俺の方は大丈夫なんだが、七尾家の方は大丈夫か? あんなに盛大に記者会見をやって」
「その上、楓。盛大にイキって、話を盛っただろ? 大丈夫? お兄さんとか、親父さんとか、何かしらしてくるんじゃない?」
「問題ないわ。兄や父ぐらいなら、私でも十分抑えることが可能よ」
俺と倉森さんの心配に対して、七尾さんは天使の微笑で応えて見せた。
「七尾家の麒麟児と言われた、この私よ? 大丈夫、余計なちょっかいを貴方たちにかけさせはしないわ」
その姿は、俺がかつて想像していた通りの、天才美少女、七尾楓で。
不思議と、この人が断言しているのだから大丈夫なのだと、無条件で信じさせるような、頼もしい笑みを浮かべていた。
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そんなやり取りがあった翌日の放課後。
「………………ええと、俺は異様に座席の座り心地の良いこの高級車で、どこに連れていかれるのかな? 七尾さん」
「私の家よ」
「そっかぁ…………本家?」
「本家の子だから、そうね」
「何をさせるの?」
「私の家族と一緒にご飯だって」
「………………この速度なら、飛び降りても大丈夫だな」
「やめて。ハリウッドなアクションを隣の座席で検討するのは止めて?」
俺は下校中に、七尾家の人たちに捕まって、七尾さんと共に本家へと連れていかれることになったのである。
隣の席で座っていた七尾さんは、終始引きつった笑みを浮かべながら「兄や父ならともかく、爺様相手は無理があったわ」と謝罪してくれた。
さてはて、一体、どうなることやら。
とりあえず、七尾家の晩御飯とやらに期待しておこう。