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第58話 異能伝奇が終わった後に

「私は、家族が幸せならば、それでいいの」


 思ったよりもあっさりと片付いてしまった委員会との交渉を終えて、俺たちは七尾家へ帰る最中だった。

 高級車の静かな社内で、俺と千尋さんは隣り合う座席に居て、視線も合わせずに、言葉を交わしていた。


「例え、家族から嫌われようとも、恐れられようとも、家族が幸せならば、私も幸せ」

「…………そういう本心は俺じゃなくて、子供さんたちに言えばいいのでは?」

「一番上の子ならばともかく、久幸と楓は信じないわ。もう既に、我が家での私の、そういう信用はストップ安ですから」

「一体、何をどうしたらそこまで?」

「子供の頃から、定期的にこう、強く生きてもらうために、度々ちょっとした悪戯に嵌めて、悪意や害意に対して耐性を付ける教育をしていたことぐらいしか心当たりがないわね」

「日頃の行いじゃねーか」

「うふふふ、やっぱり、そっかぁ」


 くすくす、と愉快そうに微笑む千尋さん。

 俺はその様子を横目で眺めつつ、ため息を吐いた。

 結局のところ、この七尾千尋という怪物は、なんてことはない、俺たちにとってはラスボスでありながら、最大の味方だったのである。

 やれ、こうなるのだったならば、もっと早く色々ばらした方が良かっただろうか?


「いえいえ、その場合であれば、私はきっと貴方を信じ切ることは出来なかったわね。私が読み取れるのは心の表層だけ。故に、私はとても人を信じにくいの。最初から言われていても、きっと、私は貴方の心の内にある策謀はどんな物かと、いつまでも勘繰っていたでしょうね。そうなれば、貴方たちが懸念していた通りの、とても意地の悪い母親として貴方たちの望みを邪魔していたかもしれないわ」

「じゃあ、俺たちの馬鹿も無駄ではなかった感じですか?」

「かもしれないわね? まぁ、最初から素直に楓が、私に鈴音ちゃんのことを話していれば、そもそも問題すら生まれなかったかもしれないけど」

「楓ェ……」

「うふふふ」


 そもそも、俺たちの、あの偽装関係こそが、問題の始まりだった。

 楓にもうちょっと身内を信じる心があれば、このような遠回りはしなかったのかもしれない。しかし、そうなってくると、俺とあいつらが出会えないことになるのだが、ううむ。


「安心しなさいな、天野伊織君」


 内心でちょっとした悩みを思い浮かべた俺へ、即座に千尋さんの言葉が飛んでくる。


「貴方が、楓と鈴音ちゃん。それと美優と一緒に居られる未来の方が、きっと幸せよ。だから、何も間違っていないわ。始まりが偽りだったとしても、貴方たちにはちゃんと、幸福な未来が待っているもの」

「…………はい」


 さて、どんな言葉の刃が突きつけられるのかと身構えていた俺だが、思いもよらぬ優しい言葉に目を丸くしてしまう。

 おかしいな。

 千尋さんは身内に対して優しい人だが、基本、身内以外は何とも思っていないはず。


「別に、間違っていないわ」


 ほら、やっぱり。


「でも、ほら? 今後、ひょっとしたら家族になる可能性もあるじゃない?」

「………………子供の件に関しては、問題解決したから、蒸し返さないでくださいね?」

「ええ、それはもちろん。けれど、あの子たちの人生の節目には、きっと私の言葉が蘇るわ。その時、果たしてどうなることやら」

「ふん。それは俺たちが考える事です、余計なお世話は結構」

「うふふふ、そうね、そうかもしれないわ。じゃあ、これが最後よ」


 怪訝そうに首を傾げる俺へ、千尋さんは悪戯っ子のような大人げない笑みを向けて、言う。


「始まりは偽りだったとしても、幸せになれるわ。だって、他ならぬ私が、そうなのだから」


 その顔は、思わず笑ってしまうほど楓によく似ていて。

 やはり、親子なのだと俺は納得してしまったのだった。



●●●



 勝利には打ち上げが付き物であると、かつて、叔父さんは語っていた。

 どれだけ疲れていても、痛みを抱えていても、まずは、打ち上げであると。


「塩辛い肴と酒をたらふく飲むのは、涙を流しても枯れないためだ……なんて、少しはお前の言うハードボイルドらしい理由を探してみたが、結局のところ、区切りを付けているだけに過ぎない。ここで、一区切りだと、自分たちに教えてやらないといつまでの続いていくように思えば、疲れるからな」


 当時は、叔父さんの言っていた意味がなんとなくしか理解できていなかった。知識で納得はしていても、共感することは無かったと思う。

 けれども、幾度も相棒の灰崎君と事件を乗り越える度に、段々と言っている意味が分かってきた。そうか、これが打ち上げをする理由なのかと、納得した物である。

 けれども、そういう納得した感情とは別の、もっと何か安堵と共に、胸から込み上げてくるような嬉しさに、今、俺は戸惑っていた。


「大丈夫だったの!? 伊織君!」

「天野! どこか翼とか生えてないか!? なんか、傷とかついてないか!?」

「先輩、今すぐ服を脱いでお風呂に入ってください! 出来ぬというのであれば、私たちが総がかりで先輩を病院へ叩き込みます!!」

「落ち着け、お前ら」


 七尾家に戻ってくるなり、玄関から飛び出てきたのは、俺の大切案な仲間である三人である。

 いつもの余裕のある表情を崩して、心底慌てているような有様の楓。

 いつもの仏頂面を崩して、涙目になりながら、俺の体を弄る倉森。

 いつもの仮面すら取り繕わず、俺の腕を引っ張ってくる太刀川。

 そんな三人組の態度に苦笑しながらも、俺は、奇妙な安堵感を覚えていた。

 …………そうか、俺はようやく、この日常に戻ってこられたのか。


「心配しなくていい。千尋さんの協力で、異能の使用は最低限に留めた。最低限過ぎて、むしろ、『どこが変わったの?』と問われれば、答えに困るほど変わってないぞ、俺は」

「「「ほんとぉ?」」」

「うっわ、全然信用してない顔」

「だって、貴方。追及しないと、絶対に無理をするタイプの人間でしょう? 母さん、実際のところ、どうだったの? 正直に答えて? 嘘を吐いたら、父さんに言いつけるわよ?」

「はいはい、きちんと貴方たちの知っている天野伊織君ですよ、んもう」


 三人は当初、俺の言葉を信じずに、安心できるまでずっと身体検査を行っていた。

 無理もない。何せ、あれだけのシリアスをやって、いざ委員会の幹部たちとの対決! だったのが、まさかここまで最低限の力で解決できるとは思わない。何せ、当事者であるこの俺ですら、今でも中々信じられないぐらいなのだから。

 だからこそ、千尋さんと共に彼女たちに納得してもらうのは少しばかり骨が折れた。


「…………じゃあ、本当に?」

「ああ、喜べ、楓、倉森。お前たちは、もう、自由――」


 そして、ようやく俺たちの説明を、彼女たちが納得した時、思わず不意を突かれた。

 楓と倉森。

 その二人が、突然、俺に向かってタックル――否、抱き着いて来たのである。思いっきり、飛びつくような勢いで。


「……ぐっ! え、ええと? 一体、どうした?」


 やれやれ、お転婆なお嬢さんたちだぜ、と肩を竦めようとするが、動けない。がっつりと、俺の胴体にしがみついて、胸やら背中やらに顔を埋める二人が居るからだ。

 一体、どうした物か、と助けを求めるように太刀川へ視線を向けると、太刀川は『仕方ないですね』と慈愛の笑みを返してくるのみ。

 さて、どうしたものか。


「…………よかったわ」

「……ぐすっ、ああ、本当に……よかっ……た」

「あの、二人とも?」


 しばしの間、二人は俺の体に顔を押し付けてもごもご言っていたが、やがて、ばっと顔を話して、俺を見上げて、言う。


「貴方が、無事で、良かった」

「死ぬんじゃないかと、凄く、心配したんだぞ」


 涙に濡れた声だった。

 鼻が詰まったような声で。

 ついでに言えば、目は真っ赤で、顔は涙でぐちゃぐちゃだ。

 まったく、折角、綺麗で可愛らしい二人だというのに、もったいない。

 俺は、大げさだな、と二人の様子を笑おうと思ったのだけれども、どうにも、胸が詰まったような感触があって、言葉が上手く出せない。

 困った俺は、少し離れた場所に居る太刀川へと縋るように視線を向けた。


「抱きしめて、あげてください。それがきっと、貴方たちの非日常の終わりに相応しいです」


 微苦笑と共に返ってきた言葉の意味は分からなかったが、俺は素直にその通りにした。

 ぎゅっと、二つの体温を腕の中が感じる。二人もまた、抵抗することなく、俺に抱きしめられたまま、体重を預けてきた。

 よくわからない。

 何故、何もかも解決して、ようやく一安心という気持ちになっているというのに、二人は泣いていて、俺もまた、涙を流そうとしているのだろうか?

 まったくよくわからないが。


「…………悪い、心配かけた」


 こうして、誰かを抱きしめている間の時間は、悪くない物だったと思う。

 きっと、ハードボイルドを気取りながら、一人、黄昏ている時間よりも。

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