第54話 窮地
昔々、この世界には『神様』が実在していたのだという。
『神様』は全知全能というわけでは無かったけれども、それでも、数の概念を無意味にするほどの種類力を持ち、量の概念を無価値にするほどのエネルギーを持った存在だったらしい。
無論、こんなものはただの御伽噺だ。
こんな御伽噺を真面目に信じている人間なんて、居たとしても少ないだろう。
そうだな、世界中を探し回って三百人ぐらい居れば、良い方なのではないだろうか?
…………まぁ、問題があるとすれば、その三百人ほどが結託して、一つの組織を作ってしまったことぐらいか。
ああ、なんだっけか? そうそう、いわゆる『三百人委員会』という奴だ。
様々な事象の裏側に存在する、荒唐無稽な陰謀論の一つ。
どうやら、その正体が委員会という組織らしい。
もっとも、委員会という組織の名称も、数ある仮称の一つでしかなく、全容は不明。表立って動いている委員会の勢力は、協会の規模には全く及ばないのだが、委員会の裏で繋がっている、数多のフィクサーたちの勢力を繋ぎ合わせれば、あるいは、拮抗するかもしれない。
ただ、その場合はもれなく、二大組織の激突として第三次世界大戦という名前の、世界の終わりがやって来るかもしれないけれど。
さて、話を戻そう。
そう、『神様』のお話だ。
「覚醒者が持つ、異能の根源に関して、様々な説があるのでござる。人間と枝分かれした進化の系譜。古代から続く、人類とは別の存在を祖とする種族。外来種による影響を受けた、人間の変異によるもの。様々な、荒唐無稽な説を、研究者たちは日夜真面目に調べているのでござりまするが、その中で、委員会の中で強く支持されている説が一つ」
『神様』は、多くの力を持つ超越者だった。
数多の生命を作り出した、惑星の……否、広大なる宇宙の超越者だった。
けれども、ある日、『神様』は生きることに飽きてしまい、自らの手で、自らの命脈を断ってしまう。
『神様』が死んだ日、宙からは、創造主の死を嘆くかのように、多くの星が流れた。
しかし、流れた星々の中には『神様』が残した贈り物が込められていた。
それが、異能の根源。
可能性の雛形。
『神様』からの贈り物。
「遠い昔、我らが惑星に落ちてきた一つの隕石。氷河期を引き起こして、星の支配者を交代させるほどの影響を及ぼした一つの転機。それが始まりであると。それが、人類の始まりであり、神の模倣者たる我々が生まれた理由であると、委員会は信じているのでござるよ」
どんな意図で、それが贈られたのかは分からない。
だが、その贈り物の中には、世界の法則を書き換える権利が入っていて。
贈り物の影響を受けた生命――のちに、人類と呼ばれる種族は誕生した。
これが、数多の神話の中に混じった、余りにも馬鹿らしい始まりの記憶。
「覚醒者とは、人類が神を生み出すための段階の一つであると、我らが上司、委員長たちは考えているのでござりまする」
そして、『俺』が死んで、俺が生まれることになった原因らしい。
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「委員会の上層部はちょっと頭がおかしいというか、ロマンチストの集まりでね? より強い血を掛け合わせて行けば、やがて、世界を救えるような覚醒者――『救世主』が生まれると信じているの。つまり、貴方たち二人は、その礎として選ばれたわけね。こう、何かあの組み合わせ良くない? 推そう、みたいな」
「え? そんなオタクみたいな理由で、私たち絡まれていたの?」
「そうよ。だって、奴らは異能の血筋オタクだもの」
「うわぁ……」
「私たちは古くから続く異能の血族。伊織君は、とある原因によって覚醒した、後天的覚醒者。その二人の子供は、きっと凄いことになるのでは? という割とアバウトな期待が込められているのよ、貴方たちには」
千尋さんが告げた事実は、俺たちの精神に少なくない衝撃を与えた。
何せ、まさか最初が原因だったとは。俺たちの関係の始まりこそが、二人の交際に於ける最大の障害になっていたとは、思わないじゃないか。そんなことを聞かされてしまえば、少なくとも、『あるかもしれない』という説得力を伴った言葉で告げられてば、俺たちはそれを信じてしまう。
俺たちが、とんでもない愚か者であったことを。
「もちろん、委員会だって馬鹿じゃないわ。協会の保護下にある伊織君に、易々と手出しは出来ない。けれど、楓と伊織君の二人が自主的に恋愛をする分には、間接的にその応援をする程度ならば、協会も過干渉と判断しないわ」
「…………あー、その、千尋さん。過干渉じゃないと言いますけど、あの、割と俺、思いっきり街中で襲われたんですけど? 奴ら、恋愛の応援とか生易しいことじゃなくて、直で突撃して来ていたんですが?」
「それは強硬派の中でも、『結婚なんて必要ない! 天野伊織こそ、真なる救世主! むしろ、安易な結婚は彼が神へ至る階梯の邪魔となる!』という派閥の仕業なのよ」
「そんな派閥あるんですか?」
「あったから、あんな茶番染みたことが街中で起こったんじゃないかしら?」
「おお、もう……」
「委員会は馬鹿じゃないけど、どんな組織の中にも馬鹿は居るのよ。賢い馬鹿とか」
俺は思わず額に手を当てて、渋い顔を作った。
駄目じゃん。委員会ってもっとこう、世界の裏側でいろんな陰謀に携わっていたりして、物凄く頭が良い人たちが、俺たち凡人なんか及びつかない深慮の下に計画を立てて行動していると思っていたのに、割とアバウトな行動理由で、俺は割と凹んだ。
まさか、俺と俺の家族が死んだ実験も、アバウトな理由でやってないよな?
「ともかく、そんな委員会の動きを牽制して、纏めるために、楓が伊織君の子供を産む必要があるのよ。子供さえ生まれてしまえば、委員会の中でも最も大きな穏健派が発言権を持つことになるし、私たちの言動を無視できなくなる。そうなれば、楓と鈴音ちゃんが大手を振って交際していることぐらい、まるで気にしないでしょうし―――少なくとも、貴方たちの周囲が、委員会によって余計な干渉を受けることも無くなるわ」
千尋さんの説明に、俺たち四人は少しの間考えこむ。
理屈は通っている……ように聞こえる。千尋さんの言葉が全て真実と仮定すれば、そうなる。というか、この状況で何か嘘を言って、俺と楓さんの子供を産ませることに、どんなメリットがあるのか分からない。なので、俺たちは真実と仮定するしかない。
その上で考えると、確かに、千尋さんの筋書き通りに物事が進められるのであれば、それが最善策のようにも聞こえる。
「待って頂戴、母さん! 仮に、仮にそうなったとしても! 私は、私たちは自分たちの自由を得るために、友達を犠牲にすることなんて出来ないわ!」
「考え方がネガティブね、楓。逆に考えなさい。犠牲にするんじゃない、皆まとめて幸せになるのだと考えなさい」
「いや、あのですね? 俺、太刀川のことが好きなんで、それはちょっと……」
「もちろん、優先順位はそっちにしなさい。美優が貴方の子供を産んでから、しばらくして、楓を孕ませればいいのよ」
「優先順位の問題じゃないと思います! なぁ、太刀川!」
「は、はい! 千尋様、私はですね、その――」
「楓が伊織君の子供を産めば、貴方は好きな人たちと一緒の家庭で過ごせるわよ? 想像しなさい、伊織君と楓の子供を抱く貴方の姿を。貴方と伊織君の子供が、大切な主の兄弟となる光景を。一緒の家庭で、皆で楽しく、幸せに過ごす姿を」
「…………」
「太刀川ぁ! 真面目に考えこまないで太刀川ぁ!」
駄目だ。短くない期間、千尋さんの言葉に惑わされ続けた太刀川には、その誘惑は毒がありすぎる。戦力にならない。
「…………う、うう、そうなったら、私は、その……」
「大丈夫よ、心配しないで、鈴音ちゃん。貴方のことを愛している楓ですもの、浮気することなんてないわ。無論、貴方の気持ちがもやもやするのもわかるわ。だけどね? こう考えてみて頂戴…………貴方も伊織君の子供を産めば、大家族の出来上がりだ、って」
「大惨事の出来上がりの間違いでは?」
俺は冷静にツッコミをするのだが、千尋さんに語り掛けられている倉森の耳には届かない。
心が折れていない倉森ならば、即座に突っぱねてくれたかもしれないが、今は、考えこみ、赤い顔でそういう未来を検討するところまで来てしまっている。
「大丈夫、焦らなくていいわ。貴方は選べる立場なのだから、ゆっくり考えればいいの。でもね? もしも、楓が最善策を取ったとしても、軽蔑しないで欲しいの。だってそれは、貴方との生活……そして、貴方たちとの生活を守るためなのだから」
「う、うう…………私は、私が、我慢を……」
「うふふふ、大丈夫、我慢しなくていいわ、鈴音ちゃん。辛い時は辛いと言っていいし、苦しい時は苦しいって素直に伝えて、甘えればいいのよ。そして――――――友達と彼女がセックスするのがもやっとするなら、貴方も混ざればいいのよ」
「そんな手が!?」
「どんな手だ!? 落ち着け、倉森ぃ! お前の体質! お前の男嫌いの体質ぅ!」
「他の男ならいざ知らず、伊織君なら大丈夫じゃない?」
「…………まぁ、天野なら、妥協に妥協を重ねて、うん……ええと、天野は、その」
「やめろ! 顔を赤くした後、恥ずかしげに流し目でこちらを見るな! 何を言っても、こちらも恥ずかしくなるだろうが!」
「そ、そうですよ、千尋様! 私は! 楓様はともかく、そこの女の介入は全く認められないんですけど!」
「とりあず、一緒に混ざってみてから考えればいいんじゃない? 楓とも合法的に絡める方法よ、これ」
「そんな手が!?」
「「どんな手だぁ!!?」」
ええい、駄目駄目だ。
太刀川に続いて、倉森も千尋さんの術中に嵌っている。
冷静に考えれば、大分無理のある提案だと分かるはずなのに…………その前段階で、これでもかと言うほどにまともな説教をしていた所為で、屁理屈でも説得力がある状態になっている。その上で、倉森や太刀川を利用して騙すのではなく、あくまで彼女たちのことを思っての発言であるが故に、崩しがたい。
そう、だからこそ恐ろしい。
こちらを騙して、陥れるのではなく、『俺たちのため』と本気で考えて、言葉を弄して来るのがとても厄介だ。何せ、敵対しているのならばともかく、『味方の助言』は感情論で突き返しにくい。千尋さんは既に、楓と倉森の交際を認めた時点で、こちらの味方というポジションに立とうとしていたし、説教の終わりぐらいには完全に味方という扱いになりかけていた。
なんて、恐ろしい。
敵対することすら許さず、こちらへ納得を与えて己の言葉を押し通す。
これが、七尾千尋という怪物か。
「母さん! 言っておくけれど! 私は! まだ認めていないわ! だって、命の問題でしょう!? 母さんが怒ってくれたからこそ、私は大切に考えたい! そういう私たちの問題で生まれてくる子供を利用したり、重荷を背負わせたりしたくないのよ! それに、そういう過程で生まれた子供を、私がちゃんと愛せるかもわからないじゃない」
そんな怪物へ、己の母親へ、まだ心が折れていない楓は依然と立ち向かう。
だが、ここに来て千尋さんが笑みを戻した。しかも、作り物の笑みではなく、心の底から浮かべ得た、本心からの慈愛の笑み。
「大丈夫よ、楓。貴方は子供をちゃんと愛せるわ――――だって、私の子供ですもの」
「…………か、母さん、それは、その、あまり、関係、なく……」
「それに、貴方が愛せなくとも、私が愛して見せます。何せ、初孫よ? それに、可愛い楓と、とっても頑張り屋さんな伊織君の子供になるのだもの。うん、私が責任を持って、その子を守り通してあげましょう」
「ちょっ、母さん! それは! 私たちの!」
「うふふふ、あまり不甲斐ないとそうなってしまうかもしれないわねー?」
窮地である。
何せ、冷静さを保っているのが、俺しか居なくなった。いいや、実のところ。そんなに冷静ではないのかもしれないが、千尋さんの案に対する反対意見を持つのが、俺しか居ない。
三人とも、ハーレム漫画の最終的な妥協みたいな、結構無理がある千尋さんの話に乗せられてしまっている。
だが、ここで俺が何を言おうとも、もはや、場の空気は完全に千尋さんの物。
俺でさえ、もう半場諦めかけてしまっている。
何より、この方法ならば。必ず倉森と楓の交際の邪魔にはならないし、なんだかんだ、上手くいくだろうという予感があるのだから質が悪い。
俺自身の直感が、俺の選択を制限してしまっている。
「さぁ、後は伊織君の許可があれば大丈夫よ? ――――――さぁ」
「…………ぐ、う」
期待が籠った視線が俺に集まる。
場の空気が、俺の肩に圧し掛かる。
相手が提示するのは、なんやかんやで皆が幸せになる未来。
そう、俺が頷くだけで、それは実現されるのだ。
俺は、俺は………………。
●●●
――――『予定通り』の敗北を得たので、スイッチを切り換えて、覚醒する。
さぁ、後半戦(悪あがき)の始まりだ。




