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第50話 失恋に至る尋問

 犬飼八恵子という少女の経歴は、平凡その物だ。

 ごく普通の家庭――まぁ、多少薄れた犬神憑きの家系の更に分家ではあるが――に生まれ、異能やら呪術などに関わらず生きてきたらしい。

 小さい頃は、スポーツクラブに所属して、八畑と共によく野球を続けていて。小学校の頃は、ずっと犬飼が八畑のキャッチャーとして活躍していたのだとか。

 協会の取り調べによれば、もうこの時から既に、犬飼は八畑に恋をしていたようだ。

 イケメンで、他の子供たちよりも飛びぬけて野球の上手い幼馴染。

 加えて、自分はその幼馴染の女房役として、常日頃から一緒に居るというわけだ。しかも、八畑は、荒れていた時期を除けば普通に性格も良く、荒れていた時期でさえ、最低限、幼馴染の犬飼には気を遣っていたというのだから、惚れても仕方ないのかもしれない。

 ただ、問題が一つ。

 犬飼という少女は、気の強い、意地っ張りの少女であり、自分から告白するという思考が中学時代まで希薄だったのだ。


「………………はんっ。要するにアタシは、馬鹿だったんだよ。大馬鹿なのさ」


 八畑への恋心に関して追及したところ、犬飼は自嘲するような渇いた笑みで答えた。

 お姫様になりたかったのだと。

 いつか、王子様(八畑)が自分の魅力に気づいて、互いに意識するようになって、それで、告白してくれるものだと、そう思っていたらしい。

 何せ、犬飼と八畑は家族ぐるみの付き合いだ。互いの両親が、冗談半分、本気半分で、二人の将来について茶化すぐらいには、仲の良い幼馴染だったと確認されている。

 うん、それは確かに勘違いしてもおかしくない。

 犬飼でなくとも、勘違いしてもおかしくないだろう。

 自分はきっと、将来、なんやかんやを経てこの幼馴染と付き合うのだと、勘違いしてもおかしくないシチュエーションだ。


「本当に馬鹿だったんだよ、アタシは。ああ、本当に、本当に」


 それが己の勘違いだと気づいたのは、中学時代だったと、犬飼は供述した。

 八畑の肩が壊れて、精神が荒れていた時期。

 犬飼でさえ、野球の話題は易々と触れられなかった時期。

 何もいいアドバイスが出来ずに、悶々と八畑に対する心配だけが胸に募っていた時、犬飼は思い知ったのだという。

 ある日、金髪を黒く染め直した上に、丸坊主にして。必死にリハビリに励む八畑の姿に安堵した後、思い知ったらしい。


「嬉しかった。八畑がまた野球をやる気になって、アタシはとても嬉しかった。でも、一体、どんなきっかけがあって野球をやる気になったのか、凄く気になった。だから、アタシは恥ずかしがって中々話さない八畑を問い詰めてしまって…………聞いちゃったんだよな。八畑から、好きな人が出来た、って」


 そこから、犬飼の恋心が違う物へと変換されていったのだろう。

 告白するには既に遅く。

 八畑の相棒としてのポジションは、女子という立場が同じ場所に立つことを許さない。相棒ではなく、野球部のマネージャーとしての、外野としての立場しか、犬飼は得ることが出来なかったのだ。

 よって、短くない期間、犬飼は胸の痛みを抱えることになった。


「何度も、何度も、何度も言おうと思った。でも、今更、九郎が苦しんでいる時、何の手助けも出来なかったアタシに、言う資格はないと思った。だから、せめて九郎の恋を手伝ってあげようと思ったんだけど、ぶっちゃけ倉森への脈が無さすぎたというか」


 恋した相手が、普通の女子だったのならば、まだそんなに苦しまなかったのかもしれない。だが、相手は倉森だ。明らかに男子を拒絶している倉森だ。ついでに言えば、滅多に友達も作らない倉森だ。

 犬飼がどのような協力をしようが、きっとまともに会話することすら困難だっただろう。

 それこそ、途中で諦めてしまうほどに。


「一年の頃に、いくらか協力したけど無駄だった。そこからは、あんまり倉森のことは二人の間では話題に挙がらなくて。でも、つい最近、九郎は決心したんだ、倉森に告白するって」


 けれども、俺と楓の偽装交際がきっかけとして、九郎は告白に踏み切る決心を抱く。

 振られる前提としても、せめて、己の想いを伝えようと九郎は。俺に依頼をした。倉森へ、告白する機会を作って欲しい、と。


「アタシは応援した。心の底から応援したつもりだった。だけど、ふとした瞬間、鏡で見る自分の姿は醜く、引きつった笑みを浮かべていて、気持ち悪かった。脈の無い告白をして、振られた後なら、今度こそアタシの好意に気づいて貰えるとか。九郎は脈の無い告白に踏み切ったのに、ずっと長い間、何もできなかったアタシの不甲斐なさとか」


 心に澱が溜まっていくような気分だったのかもしれない。

 逆に、俺が犬飼の立場だったのなら、相当苦しい想いをするだろう。

 自分が好きな人が、自分を好きではない。そんな苦痛が、どうやらこの世界には満ちていて、俺や楓は、奇跡のような確率と、我ながら吹っ飛んだイベントを経て想いを遂げることが出来たけれども、犬飼はそうではなかったのだ。


「みっともないって思った。色々と友達に相談しようと思ったけど、九郎にも倉森にも迷惑がかかると思ってやらなかった。だから、まぁ、一人で抱え込んで…………そこから先は、よく覚えていない。気づくと、アタシはあの場所に居た。市民図書館の外で、何故か、そこから九郎が倉森に告白する姿が見えて、聞こえて…………後は、ご覧の通りさ」


 協会の調査の結果、犬飼が身に着けていた水晶は人の心を乱し、後天的に素質ある者の覚醒を促すような代物だったらしい。

 加えて、犬飼が居た場所に、犬飼以外の何者かが存在していた痕跡があったのだとか。

 さらに、犬飼自身の記憶に、水晶を身に着けた時の部分が存在しなかったと来れば、これはもう確定的に明らかだった。


「嫉妬に狂った惨めな女が一人、同学年の女子を殺そうとした。そんな、ありきたりでクソッタレな最低のクソが、アタシなんだ……」


 犬飼は、何者かの干渉を受けて、精神が乱されていた。

 先祖返りして、異能に覚醒してしまうほどに、狂わされていた。

 故に、犬飼八恵子は加害者であるが、同時に被害者である。



●●●



「…………アタシだけを、罰してくれ。家族も、友達も、九郎も悪くない。だから、この最低なアタシだけに罰を」


 最初は腐って、拗ねた態度の犬飼だったが、少し話し始めたら後はとめどなく言葉が吐き出された。

 己の罪を告解するように。

 言葉を紡げば紡ぐほど、犬飼の顔色は悪くなっていって。

 やがて、全てを話し終えると、血の気が引いて白を通り越して青くなった。


「頼む、頼むよ、天野。アタシはどんな酷い目に遭ってもいい。殺されたって良い。だから、頼む。都合の良いことを言っているのは分かっているけど、頼むよ…………アタシだけが、悪いってことにしてくれ」


 事務机に額を叩きつけて、俺へと懇願する犬飼の姿にはもう、取調室に入った時に感じたふてぶてしいイメージは無い。

 呪術対策として、協会から異能封じの首輪と鎖を付けられた時はひどく反発して、怒りを示していたようだが、己のやったことを再確認すると、ふつふつと罪悪感が湧き上がってきたようだ。

 …………正直、怒りはまだ俺の中にある。

 ふざけるな、何をいまさら、という想いもある。

 だが、だがそれでも、こいつは被害者なのだ。恐らくは、洗脳に近しい精神干渉を受けていた。加えて、状況も良く無かった。心の中に、悪い物を貯め過ぎた。

 俺が似たような立場に居たとして、ただの平凡な一般人だったとして、推定専門家であるそいつの干渉を退けられるか? と問われれば首を横に振らざるを得ない。

 情状酌量の余地はある。

 というか、協会からすれば被害者の一面が強いので、己の異能をきちんと扱えるようになるまで施設で保護するのと、封印具の装着を義務つけて、監視員を付けられる程度なのだ。そこまでひどくはない。少なくとも、罪人扱いにはならない。


「待ってくれ、天野! 俺が、俺が悪い! 幼馴染の、八恵子の想いに気づかず、痛みを強いていた俺が!」

「違う! 全部、アタシが!」


 俺が悩んで沈黙していると、八畑が犬飼を庇うように叫んで、そこから、さらに犬飼との言い争いが発生している。

 ううむ、正直、俺が口を効けば、ある程度の待遇は緩和する。施設に一定期間保護されるのは変えられないが、その間、友達や家族との連絡は回数制限されるかもしれないが、保証されたりするかもしれない。

 しかし、そこまでする義理は正直、俺には無い。

 いくら倉森から、『天野が守ってくれたから、大丈夫だ。天野の好きにしてくれ』と言われていたとしても、このまま許すのは釈然としない物がある。

 さて、どうしたものか。


「わかったわ。では、こうしましょう」


 俺が己の怒りに折り合いを付けられずにいると、代わりに楓が口を開いた。

 楓は一度、俺の方へ視線を向けると、一瞬だけ、『任せてちょうだい』と言わんばかりに得意げな笑みを浮かべた。


「犬飼さん。貴方が鈴音に対して殺意を抱いたことは、私たちは許せない。けれど、貴方の境遇には情状酌量の余地があるし、こちらとしてもあまり酷い待遇にして、他の恨みを買いたくないわ。ここは穏便に行きましょう」

「で、でも、アタシは――」

「ただし、条件が一つあります」


 犬飼の言葉を制して、楓は真顔で告げる。

 美しく、天使の如き美貌を全て、威圧に使って、裁定の言葉を告げる。


「犬飼さん。貴方は今ここで、自分の想いをきちんと八畑君へ、伝えなさい。それが、私たちからの唯一の要求です」

「…………え? でも、そんな、今更」

「そんな今更を、やりなさいと言っているのです。その恋心が澱となって、呪いに転じたのならば、それを終わらせてから先に進みなさい。例え、その終わりがどちらだったとしても。そして、八畑君はきちんと己の心に従って応えなさい。虚偽は、一切許しません」


 それはとても残酷で、優しい裁定だった。

 罪を裁いて、人を憎まず、などとは口が裂けても言えないが、それでも、犬飼の中にわだかまる呪い(恋心)を裁くための言葉だった。


「さぁ、犬飼八恵子さん。貴方の言葉で、貴方の恋を終わらせなさい。その想いが、貴方を殺してしまう前に」


 こうして、犬飼八恵子という覚醒者が起こした事件は幕を閉じた。

 本物の犬神憑きというレアケースな覚醒者が生まれたものの、死者はゼロ。重傷者もゼロ。軽傷者も傷が治ったので、ゼロという幸運な結果として。

 けれど、その対価として一つの初恋が終わったわけだが――――それが、高い物だったのか、安い物だったのか、それは当事者しか知らない。

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