第46話 サトリ問答
ホイ、チャマ。
君の身近に、何か特別な能力を持った人物は居るだろうか?
何、役に立つとか、役に立たないとか、そういう区別はしなくていい。例えば、耳を動かせたりとか、体の関節が異様に柔らかいとか、ひよこのオスとメスを一瞬で見分けられるとか、そういう類の能力でもいい。
人間というのは、基礎的な能力は大体均一であるが、何しろ数が多いので個体差も千差万別。何十億もの個体が居れば、その分、他者に比べて突出した能力を持つ者が生まれてもおかしくはない。
つまり、生まれながらにして特別な才能を持った者。
科学やら、物理の法則を超える才能を持つ者を、先天的覚醒者と呼び、また、その才能によって振るわれる能力のことを、異能とされているらしい。
これはあくまでも協会の人間から聞いた言葉であるから、実際のところ、どうなのかはわからない。覚醒者は人類全体と比べて、圧倒的に少ない存在であると説明はされているものの、それが、千人に一人なのか、一万人に一人なのか、それ以上に希少なのかは、まだ俺にはわかっていない。
「ただし、それならばどうして、覚醒者が世界の王として君臨していないのか? 他者よりも優れた個体が、他の個体を支配していないのか? 岩を投げ飛ばし、火や水を操り、人間の性能を凌駕する異能を持つ覚醒者が、どうして世界の覇者となっていないのか? その答えはとても簡単だよ。大抵の場合、戦いに於いて、個人の武勇よりも『数を揃える事』が何よりも優先されるからね。単純な話さ、覚醒者たちは数が少ないから、個体として見れば強くとも、人類と言う種を支配するには弱すぎたんだよ」
ただ、この現代に於いて異能が社会的に認知されていないということは、つまりそういうことなのだろう。
異能に世界を覆せるほどの力などは無く、所詮は個人の範疇の代物。
かつて、国津神を平定した高天原のように。
かつて、討伐された『まつわぬ民』のように。
多くの場合に於いて、特異な能力が絶大な効果を発揮するのは、個人間から小さな集団のみ。一国、いいや、一つの県ぐらいの規模となれば、話は全然違ってくるのだろう。
だから、結局のところ、覚醒者なんて大したことないから、あまり驕らないように、と窘めるために話をしたのだと、俺は勘違いしていた。
「故に、現代にまで残っている異能者の類は、単独で国すら滅ぼせる人外の類か、人間を支配することに長けた異能の持ち主が多い。気を付けることだね。覚醒者は世界の王として君臨してはいないけれども」
いつの世界も、人を支配するのは結局のところ、人だ。
人を統べる能力に長けた英雄、傑物などが、王となり、主導者となり、歴史を作り上げていくのだ。
しかし、それは本当に人間だけの力だろうか?
何者かに誘導されてはいないだろうか?
そう、例えば、だ。
「世界の王を支配する力が無い、なんて戯言は、口が裂けても言えないのが、現在の世界であり――――だからこそ、僕たちが所属する『賢人協会』も存在しているのだからね」
人を支配することに特化した異能を持つ覚醒者ならば、不可能ではないのかもしれない。
俺はかつて、協会の人間から――――白衣のクソ野郎から聞いた話を、思い出していた。
七尾千尋という、恐るべき化外と相対して。
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「どう――」
「どうして? 答えは簡単。あの子に強くなってもらいたいから。ほら、あの子ってば一族でも随一の性能を誇るのに、色々と感情面の制御が雑じゃない? それに、身内に甘すぎてしまうの。うふふ、別に一般家庭の幸せなお嫁さんになるのが夢、ということならこんなことはしないのだけれども、これも愛のムチという奴ね」
「なん――」
「なんで? そうね、美優ちゃんの精神を乱して、意図的に楓の足を引っ張るようにしたのは、確かに悪いことだわ。本来、美優ちゃんはもっと優しくて、社交的で、誰からも好かれる可愛らしい女の子になってもおかしくなかったのにね? もちろん、責任は取るつもりだったのよ? 楓の教材にした分、きちんと調律し直して、将来の保証も万全に。ええ、ここで切り捨てることを是とするならば、きっと七尾家は現代まで残っていないもの。そこら辺はきちんとしないといけないわ」
「そ――」
「それでも悪であることには変わりない。うん、そうね。うふふふ、そういうことをちゃんと言える彼氏君は、とても善良で素晴らしいと思うわ、けれど、ね?」
奪われる。
言葉を奪われる。
呼吸すらも先取りで奪われるような、地上で溺死してしまうような。
圧倒的で、容赦ない言葉の簒奪。
「ごめんなさい、おばさんはね? 悪い女なの…………うふふふ、貴方が思っているよりも、酷い悪党なのよ、私」
一体、誰が信じるというのだろうか?
この人畜無害な笑みを浮かべた婦人が、自らを悪党と称して、その通りに受け取る人間など、百人に一人、いいや、千人に一人居れば良い方だろう。
それほどに、この人が纏う雰囲気というのが厄介極まりないのだ。
否応なしに人を脱力させて、油断させる気配。
恐らくは、外見、フェロモン、話し方、視線の向け方、細かい所作に至るまで、全てが計算通りの代物なのだ。
加えて、恐らくではあるが。
「あらあら♪ 勘が鋭いのね? 大正解。恐らく、じゃあなくて、その通りよ、彼氏君」
「――――っ!」
ああ、やはり、この人は。
「そう、私はね?」
人の心が読めるのだ、彼のサトリという化外の怪物の如く。
「人の心が読めるのよ? ああ、けれどサトリと呼ばれるほどではないわね? 読み取れるのは心の表層のみ。だから、隠したいことは読み取れないから安心していいのよ、うふふ」
わからない。
柔和な笑みを浮かべる七尾千尋という婦人の考えが、まるで読めない。その言葉が真実なのが、あるいは、ブラフなのかも、理解不能だ。
…………だが、少なくとも異能であれば、対象に応じて能力が通じるかは個人差があるはず。
惑わされるな。
パフォーマンスに騙されるな。
こちらの心を読み取って、言葉の先取りをしたのは恐らくパフォーマンス。心理的に優位に立つための演出。本当に、完全に、こちらの心を読み取るのであればこういった駆け引きすらも不要。ただ、淡々と己が異能をばらさずに隠せばいい。
そう、問答無用にして完全な読心能力であれば、手札を明かす必要は無いはず。
ならば、わざと手札を明かしたのならば、当然、理由がある。例えば、『意識しないようにと意識させて』、相手の心を掻き乱し、必要な情報を抜き取るため、とか。
「そういうこともあるかもしれないわね? 案外、それが真実で、言い当てられた私はとてもなく焦っているのかも?」
「…………余裕綽々、という顔をしていますが?」
「あら、大人はいつだって余裕な振りをしなきゃいけないのよ? もっとも、大人になればなるだけ、顔を真っ赤にするような恋愛を楽しめなくなるのだけれどね?」
「…………」
駄目だ、会話に関してだけ言えば、この婦人は俺の遥か上を行く存在だ。異能が無くとも、その人生経験だけで、言葉を語れば語るほど、こちらの情報を抜き取っていくだろう。
ならば、対応は二つ。
一つは、沈黙。ひたすら沈黙。何を言われても、何も反応せずに地蔵となること。けれども、聴覚がある限り、これは難しい。そもそも、対面している時点で不利というような気すらしてくるのが七尾千尋という婦人であり、化外だ。
ならば、もう一つの方法を試すしかないか?
「うふふふ、ちょっと悪戯が過ぎてしまったわね、ごめんなさい。流石に、貴方の考えを実行されると、私は誠司さんからとても怒られてしまうわ。ええ、恥も外聞もなく逃げ出されると、七尾家としては客人に対して最低な行いをしたことになるもの。それに、今回は本当にお礼をするために来たのよ? …………なんだかんだ言いつつ、楓のためを思って行動してくれているのは事実のようだし」
…………少なくとも、あからさまに窓からの逃走を意識すると、考えは読み取られるらしい。いや、もっと単純に、俺の視線や所作からの行動予測かもしれないが、そうだとしても、こちらの行動を予測されるのは厄介極まりない。
ただ、敵意は感じ無いので、今のところ、俺を害するつもりはないようである。
もっとも、楓の不利益になるような事ならば、力任せに逃げ出す覚悟はいつでも出来ているのだが。
「うふふふ、そんなに警戒しなくても大丈夫よぉ。こんなおばさんに一体、何が出来るというのかしら? それに、もうすぐ貴方の愛しい楓が来るみたいだし、退散しないと、娘からのガチ説教をくらっちゃうわ。ということで、早々にお礼を済ませておくことにしましょう」
「別に、おじやが美味しかったから、これ以上は不要ですが?」
「あらあら♪ 嬉しいことを言ってくれるじゃない。でも、おばさんは若い子にはお節介したくなるものよ? 特に、貴方のようなとても善良な子にはね?」
俺は警戒を保ったまま、婦人の行動に注視する。
柔和な笑みを浮かべてはいるものの、言葉ではそう言っているものの、まるで信用はならない。故に、何を言われても心を動かさないように身構えて。
「――――三年前のトンネルの崩落は、事故ではないわ。委員会が主導した、とある『実験計画』の一環よ」
そんな心理的防壁を、あっさりとぶち抜くほどの情報を、婦人は俺に言い放った。
「気を付けなさい。楓はあくまでも、おまけ。楓をきっかけにして、本当に委員会が手に入れたいのは、貴方なの。私たち七尾家も、貴方のバックである協会も手を尽くすけれど、それでも、最後に信じられるのは貴方自身だけ。それを、忘れないようにね?」
そして、茫然とする俺を置き去りに、婦人は客室から退室していったのである。
三年前の事故。
トンネルの崩落事故。
『前』の俺が死んだ、家族ごと潰されたあの忌まわしいき事故。
虚構なのか、真実かも確認が取れない情報だというのに、それは俺の心を大いに揺さぶっていた。
「…………なん、だよ、それは?」
ハードボイルドはやせ我慢。
そんなのは分かっている。わかってはいるのだが、それでも。
『前』の俺の仇とも呼べる存在が居るという情報は、心の奥底から灼熱のような感情を呼び起こすのには十分過ぎる物だった。




