第43話 恋の終わり、不穏の始まり
ホイ、チャマ。
理想の告白のシチュエーションというのは、人それぞれ、色々あると思う。
誰も居ない、夕暮れの教室。
空を一望できるような展望台で、朝焼けと共に。
あるいは、二人きりの思い出の場所で。
無論、対面に限らず、手紙、電話。情報化社会特有の、メールやメッセージでのやり取りなど、告白も多種多様化している。
ただ、やはり、個人的な経験に基づく意見を言わせて貰えれば、告白はやはり、想い人に会って、直接言葉を伝えるに限る、と主張したい。
メリットとして挙げられる点は、とてつもなく胸が高鳴って死にそうになるという体験が出来ること。あれは、実際に体験している時は、もう勘弁してくれ、と泣きたい気分だったが、後から振り返って見れば、色鮮やかな幸福な記憶として、深く心に刻まれている。
もちろん、間接的な告白でも、充分、胸は高鳴るし、思い出にもなるという意見は認めよう。その通りだ。俺が体験していないだけで、実際にはそちらの方が緊張が増し、胸が高鳴るというシチュエーションがあるかもしれない。
それでも、対面で告白した俺としては、やはり思うのだ。
喉がカラカラに渇くような緊張。
心臓が弾け飛びそうな鼓動。
今すぐにでも歪んで、暑い雫が零れ落ちてしまいそうな視界。
その中で、必死に想い人の顔を、声を、匂いを、ありとあらゆる物を自分の体験として刻み込む。
きっと、俺はあの時の幸福を生涯忘れることは無いだろう。
「――――ごめん、八畑」
そして、デメリット。
対面での告白に於けるデメリットは、正直、間接的な告白のそれとは一線を画するほどの、辛い経験をする可能性があるということだ。
メリットとはつまり、告白を受け入れられた時のことを考えた場合。
デメリットとはつまり、告白を受け入れられなかった時のことを考えた場合。
対面での告白は、受け取って貰えればとてつもなく幸福な記憶を鮮明に刻めるが、逆に、受け入れられなかった場合、メリットが全て反転する。
即ち、喉からせりあがってくるような嫌な渇き。
冷たくなった思考とは裏腹に、大きく脈動する心臓。
色を失い、全てがモノクロに染まったような錯覚を受ける視界。
「私、好きな人が居るんだ。だから、お前の気持ちには応えられないよ」
対面での告白を受け入れて貰えた俺だから、少しぐらいは予想できる。
例え、心の準備を重ねていても。
例え、相手に脈が無いと分かっていたとしても。
例え、告白した男が、どれだけ心が強くあったとしても。
きっと、想い人に振られた瞬間と言うのは、まるで、世界が終わってしまったような、虚無に襲われるのだろうな、と。
「…………そう、か」
告白の場所としてセッティングしたのは、週末の市民図書館の一角。
その中で、さらに人気のない午前の朝型。なんのイベントも入っていないことを確認し、周囲に学生の姿が見えないことを確認した後、告白のタイミングとして切り出してもらった。
多少、古い紙の匂いが充満して、青春という雰囲気の場所ではないかもしれないが、こうして、本棚で告白の瞬間、二人の姿を見せない様に区切ることが可能であるし。
「…………っし!」
「静かにガッツポーズを取るなよ、楓」
「貴方も似たような状況なら、同じことをするわよ、絶対」
「マジか」
こうして、ほんの少し離れた場所から、倉森が心細く思わない程度に見守ることが出来る。
本当であれば、こうして聞き耳を立てられる位置に居ない方が八畑側としては良いのだろうが、それでも、倉森としては断じて男子と二人っきりになりたくないとのご要望だったので、これが妥協できる限界の状況だった。
そして、その状況の中で、予定通りに八畑は告白し、振られたのである。
「そうか、うん、そっかぁ」
八畑の告白は短く、そして、男らしかった。
なし崩しの部分も多かった俺の告白よりも、きっちりとしていたと思う。されど、今回は脈が無かった。本当に、本当に最初から実らない恋だったのだ。
「…………よし!」
八畑はしばらくの間、倉森の言葉を噛みしめるように頷くと、ぱっ、と笑みを浮かべた。
「ありがとう、倉森。ちゃんと、本当の理由で俺を振ってくれて。うん、ぶっちゃけ、ろくに会話したことも無い野郎の告白なんて、気持ち悪いだけだったと思うけど、それでも、ありがとう。君がちゃんと振ってくれたおかげで、俺はようやくこの恋を終わらせられる」
「…………ん」
その笑みは強がった笑みだった。
多分、倉森にも、いいや、笑みを作った本人すら騙し切れていない笑みだったけれど、俺はそれを愚かだと否定する気にはならない。
なるわけがない。
自らの恋を、きっちり自分の手で終わらせた勇者のことを嗤う資格なんて、誰にもない。
むしろ、泣いていないだけ、勝算するべきだ。俺だったら絶対、振られた瞬間に物凄い勢いで走り去って、自宅のベッドの上で泣き寝入りするだろし。
「時間取らせて悪かったね。それと、天野もありがとう…………君のおかげで、俺はようやく楽になれた気分だ」
「俺は、大したことはしてねぇよ」
「それでも、ありがとう。この件は大きな借りとして、いつかちゃんと返すよ」
告白という人生の一大イベントが終わったばかりだというのに、少し離れたこちらに対して気遣いを見せる八畑。
やれ、律儀な奴め。
こういうことがサラッと出来るから、クラスの中でも一等信頼されているんだろうな。
――――と、誰しも息を吐き、緊張から解放され、弛緩した状態に入った時だった。
「っつ!」
ここ最近、一番の悪寒が己の背筋を貫く。
直感が告げる。
今すぐ動けと、直感が己の背を叩く。
自分以外、誰も気づいていない。いいや、気付けない。何故ならばこれは、一瞬先の未来を先取りした、未来予知の如き直感であるが故に。
「…………え?」
だから、動けたのは俺だけだった。
突如として砕けた窓ガラスの破片が、倉森へと襲い掛かる瞬間、それを受け止めることが出来るのは俺だけだった。
躊躇いは、微塵も無かった。
●●●
脳裏に蘇るのは、後悔の記憶。
自分よりも、『前』の天野伊織が最後に抱いた、後悔の記憶。
突然の崩落。
天地がひっくり返ったような衝撃。
つい先ほどまで、隣に居た家族が土砂に、割れたガラスに、崩れたコンクリの一部に、ありとあらゆる理不尽に押しつぶされて、失ってしまう記憶だ。
これを、守れなかった後悔を繰り返してはならない、とかつての俺が吠え猛る。
守れ。
眼前の理不尽を砕けと、自分の肉体の、細胞全てが叫んでいる!
「――――舐めるなぁ!!」
なんの前兆も無く、無数の刃と化した窓ガラスの破片。それらを全て、俺は体で受け止め、弾き、倉森へは一つたりとも通さない。
多少、鋭利な破片が薄皮を切るが、問題は皆無。
制限を解除した今の俺にとって、この程度の障害、ちり芥に等しい。
それよりも、だ。
『グルルルルルゥ』
図書館の窓ガラスを割った何者か。
日常ならざる、不可視の襲撃者。
恐らくは、何者かの異能の産物に対して、俺は存分に敵意を向けて、思い知らせることにした。一体、誰に手を出してしまったのかを。
『グルァ――』
「おせぇよ、畜生が」
獣の唸り声にも似た幻聴。
本来、存在しないはずの何かが、不可視の襲撃者として、倉森を狙っている。いいや、狙っていた。何故ならば、それは無様にも唸り声をあげるという、この俺に対して『私はここに居ます!』などという間抜けな自己主張をしていたので、即座に殴り砕いてやったからだ。
ぱぁん、という音と共に、弾け飛ぶそれに、実体はない。
けれども、手ごたえはある。
似たような経験はある。
あれは、かつて因習が続く村で、幼い少女を生贄に捧げようとした呪術集団が召喚した、クソッタレの悪魔もどき、それを殴り砕いた感触に似ていて。
つまりは、これも同類だと推測。
「――――きゃあ!」
これが、呪いであるのならば。
覚醒者の異能であるのならば。
それは、打ち砕かれれば当然、使用者に対して反動と代償を求める物だ。
「楓ぇ! 倉森を頼む!」
「―――あ、ああっ! 任せて!」
「俺は、元凶を探してぶん殴る」
聞こえた悲鳴は、倉森の物でも、楓の物でもない。
第三者。
『呪い返し(リバウンド)』によって、ダメージを負った襲撃者による物だろう。
そして、繰り返すことになって申し訳ないのだが――――今の俺ならば、声が聞こえれば居場所を特定できるし、声が聞こえる範囲ならば、この通り。
「おい、お前が襲撃者だな?」
「――――っ!?」
三秒もかからず、一息で割れた窓ガラスから外に出て、隠れ潜んでいた襲撃者の下に辿り着くことなんて簡単なのだ。
まして、呪い返しによって全身が苦痛に侵された少女の首を掴むことなど、赤子の手をひねることと同じだ。
「お前の所属がどこなのかは、この際どうでもいい。委員会だろうが、はたまた他の組織だろうが、どうでもいい。わかるか? この意味が?」
「が、あ……っ」
「わからないのならば、わからせてやる。俺が、この俺が、いつまでも人殺しが出来ない『お優しい人間』だと勘違いしているのならば、思い知らせてやる。ああ、そうだ、覚悟しろ。お前たちを、全て、ぶち殺してやる。全滅させてやる」
本気ならば、一瞬で首の骨を折り砕けるので、あえて、優しく、真綿で絞殺すようにじわじわと優しく力を強めていって、俺はそいつの耳元で囁く。
軽々しく、一線を越えた代償を支払わせる、と。
後悔しろ、と。
きちんと告げてから、俺はあっさりと首から手を離してやった。
「―――げほっ、えほっ!? 一体、何、が――」
「囀るな、鬱陶しい」
「ぎっ!?」
喉を抑えて蹲る少女の脇腹を軽く蹴り飛ばす。
少女は、茶髪の少女は無様に転げまわって、涙を流すが、それでも留飲は下がらない。下がるわけがない。
あれは、あの呪いは、対象への殺意が込められていた。
あの砕け散った窓ガラスの刃が、そのまま倉森に降り注げば、その命は絶たれていたかもしれない。運よく助かっても、一生残る傷跡と後遺症に悩まされていたかもしれない。
それを、それを思えば、この程度の苦痛で、一体、何を――――
「駄目だ、天野!」
「やめて、伊織君っ!」
次の瞬間、俺は二つの声と共に得た、温かな感触でようやく正気に戻った。
「もう大丈夫……大丈夫だから……」
「落ち着きなさい、馬鹿」
嗚咽と少々が混じった二人の少女の声が、俺の耳朶を打つ。
倉森と楓が、それぞれ、俺の腕にしがみついて、必死に止めようとしていた。
………………ああ、守るつもりが、泣かせてしまうなんて、何たる無様。
「…………う、あ」
俺の足元には、己が行った暴虐の結果が転がっていた。
茶髪の少女は、涙を流しながら、とてつもなく恐ろしい物に対して許しを請う様に、子供のように丸まっていた。
「――――なん、で?」
そして、つい先ほどまで俺の視界に入っていなかった八畑が、茫然とした口調で何事かを呟いている。
「なんで、こんなことになっているんだよ? 八恵子」
俺の知らない少女の名前を呟いて、ボロボロになった茶髪の少女の前で跪いた。
ああ、本当に――――わけわからねぇよ、くそが。




