第42話 告白されるのも楽じゃない
「え? ごめん、全然記憶にないわ、それ」
当人にとっては、とても美しい恋の記憶として、大切に胸の中にしまっている物でも、当人以外にとってはそうでもない。
俺はそのことを、倉森からの返答で思い知ったのだった。
「あー、マジ? 結構、強烈なエピソードだと思うけど、マジで?」
「天野。一つだけ良いことを教えてやろう。私はな? 野郎との記憶は早々に頭の中から消しさるようにしているんだ」
「きっつい」
「大体、粋がった不良を物理的に排除したのは一度や二度の話じゃないし。別に、珍しい話ではないよ、それ。うちの兄貴は荒れていたからさぁ、その余波として、私もたまに絡まれる時が結構あって…………まぁ、その全ての男子の股間を蹴り砕いてきたんだけどな?」
「意外と喧嘩慣れしているぞ、こいつ。つーか、あんなに弱いのに喧嘩なんてするなよ、もう。お前の身に何かあったらどうするんだよ、まったく」
「私の不意打ちをあんなに完璧に防いだのは、お前が初めてだけど? というか、天野、力が強すぎじゃない?」
「それほどでもないさ」
八畑に頼みごとをされた後、俺は『やるだけはやってみる』と曖昧な言葉を返した。
無論、八畑の恋が叶わないことは知っているし、俺はほとんど交流の無い八畑よりも、楓と倉森という大切な二人の仲を応援する立場の人間だ。間違っても、八畑の恋が成就するようには動かない。
ただ、それでも、恋の経験がある男としては、せめて、きっちり振られて恋を終わらせて欲しいという想いもある。
例え、脈が無いとしても、それでも胸に秘めた思いを告げることを選んだのだから、自分の恋物語を始める決意をしたのだから、そういう男にはきちんと、どのような形であれ、区切りを付けるような終わりが必要だと思ったのだ。
「…………うーん、八畑、八畑からの告白か………………そもそも、八畑って誰だっけ?」
「おい、クラスメイトだぞ? 割とクラスの中心人物だぞ?」
「男子の名前とか、あんまり覚えない」
「俺の名前は普通にさらっと出てきたじゃん」
「あれは色々調べた後出し、何より、警戒対象だったから」
「一時期は、俺の背中を刺殺さんばかりに睨んできましたね?」
「ごめんて」
そのため、倉森を喫茶【骨休み】に連れ出して、事情を話してみたのだが、反応は正直、芳しくない。
具体的に言えば、八畑の名前を出した辺りから芳しくない。
八畑って誰? からの、えー、凄く嫌だわぁ、という露骨な嫌悪感丸出しの拒否顔を返されているので、俺としては交渉しようという気が挫けてくる。そもそも、灰崎君の恩義で動いているだけであって、八畑個人に関しては特に恩も恨みもありはしない。
おまけに、この提案自体が不愉快な人物も居るのだから大変だ。
「八畑、八畑九郎ね…………ふふふ、私の女に手を出そうとするとは良い度胸じゃない。今後、奴の人生の中で、一度たりとも安息が得られないような心の傷を刻んでやるわ」
そう、倉森の恋人である楓である。
この手の話題を倉森に振るのであれば、楓の存在は欠かせない。何故ならば、そういう話をするときに除けられると、露骨に拗ねて、後々ねちねちと仕返ししてくる奴だからだ。七尾楓という少女は天使の如き美貌を持つ少女なのだが、その中身は割と子供っぽい。
「鈴音の魅力に気づいたその慧眼は認めてあげなくもないわ! でもね? 人の女に手を出そうとする奴は殺されても仕方ないって、ついこの間視た、マフィアの映画でやっていたの」
「どうどう、落ち着けよ、楓」
「これが落ち着いていられるものですか! 恋人が誰かに告白されるとか、もにょるのよ! こう、何か胸の奥がもやっとするの!」
「振られる前提の告白だって言ってんだろうが!」
「だったら、貴方、想像してみなさいよ! 美優が他の男子に告白されるシーン!」
「うわっ、もにょる!」
「確実に断る前提だったとしても、嫌な物は嫌なの!」
「うわぁ、共感出来てしまう…………じゃあ、まぁ、仕方ないか」
そして、子供っぽい癖に、割ときっちり俺の弱点を突いて説得してくるから厄介だ。
想い人が居る俺としては、そういう例を挙げられれば、諦めざるを得ない。
ただ、説得する必要がなくなった途端、俺の脳裏にふとした疑問が浮かぶ。
果たして、依頼の失敗を八畑に告げた後、八畑はどのように行動するのだろうか? と。
無論、短絡的な悪行に走ることは無いだろうと思えるだけの人格者だ、八畑は。けれども、俺が告白の段取りを整えなかった場合、告白せずに諦めきれるかと言えば、そうでもないだろう。
せめて、告白してから、勝負してから負けたいと八畑は言っていた。
そして、その勝負は始まる前から、結末は決まっている。だが、それを八畑に教えることは出来ない。俺と二人の契約により、教えることなんてできない。
それ故に、ここで段取りされた告白を断るよりも、余計に面倒なことになる可能性が生まれてしまうのだ。
「仕方ないが、倉森」
「なんだよ? 天野」
「多分、八畑の奴は俺が段取りを整えなくても告白するぞ」
「うげぇ」
「リアクションが酷すぎる。それはそれとして、俺の方から何かを言っても上手く納得できないだろうし、自分の気持ちに一区切りをつけるために告白しようと考えると思う」
「…………」
「はいはい、嫌なのは分かったけど、肝心なのはここからだ。俺が断った場合、告白される状況をコントロールできない。もちろん、八畑は気を遣って公衆の面前で告白なんてしないだろうが、それでも、完全に誰も居ない場所で告白する、なんてことは出来ない。何故なら、基本的に倉森は男子と二人きりにならないからだ」
「うん、それは当たり」
「そうなってくると、もう、出来る限り周りに少数ぐらい人が居ても、別にいいか、という結論になるかもしれない」
「うげぇ」
「酷すぎるリアクションその2かよ。でも、仕方ねぇよ。だって、恋は人を愚かにするもん」
「…………まぁ、それを言われたら私たちはもう何も言えないよな、楓」
「おっと、いきなり巻き添えを喰らってしまったわ、私」
そう、冷静になって考えるのならば、既に倉森に恋人が居るという事実を伝えられないという状況では、実は、俺が告白の環境をコントロールできる立場に居た方が、色々と面倒が無くて良いのだ。
何せ、クラスカーストトップである八畑の告白である。
本人にはそのつもりが無くとも、告白を断る倉森に対して、嫉妬やら反感を覚える輩が出ないとは限らない。
それを防ぐためには、出来る限り八畑の告白自体を周囲の人間に知らせない方が良いのだ。いやまぁ、八畑の告白に関して言えば、八畑の親しい友達は知っているかもしれないが、それぐらい親しい仲であればきっと、反感を抱いても八畑がフォローしてくれるだろうし。
だから、最善はこれ以上、八畑の告白について知る人物を増やさず、穏便に済ませることだ。
「逆に、俺に任せてくれれば、出来る限りの配慮はする。少なくとも、学校内での告白には踏み切らせない。周囲に誰も居ない、学外での告白にさせる」
「…………ううん。確かに、そう考えると」
「待ちなさい、騙されては駄目よ、鈴音。もう一つの手段として、物理的な手段を用いて八畑とやらに身の程を弁えさせるという手段もあるわ」
「よし、それじゃあ、頼む、天野」
「ん、頼まれたぜ、倉森」
「あっれー? ひょっとして、私ってば無視されたの?」
無視したよ。だって、頭に血が上っている楓は本当に駄目なんだもの。
俺たちは、ぷんぷんと怒っている主張をする楓を宥めつつ、これからの予定について立て始める。
何分、そろそろ偽装交際の終わりも考えなければいけない時期だ。
この依頼を終えたら、直ぐに、偽装交際の方の工作も始めなければならない。
「…………あの、さ。天野」
「どうしたんだ、倉森。妙にしおらしくしているけど」
「妙にしおらしいは余計だよ、もう…………ぶっちゃけて言うけど、あんまりさ、私はその、他の男子と二人きりになるのは嫌だし…………前に暴行をしてしまった相手だし、陽キャの奴とかすごく苦手だし…………何もないとは思うけど、その」
「ああ、任せてくれ。俺と楓が、お前を守るさ、何があっても、な」
「社会戦は任せておきなさい。物理的な防護に関しては、伊織君の方が適任だから、任せるわね?」
「大丈夫、特殊部隊がいきなり現れてサブマシンガンを乱射しても、無傷で守ってやるよ」
「何なの? その妙に具体性のある生命の危機の例え」
七尾楓。
倉森鈴音。
この二人との関係はきっと、今後も続いていくだろうけれど、それでも、契約の終わりを俺は少しだけ寂しく思った。
例え、今後、どれだけ関係性が変わるとしても、今、この瞬間に笑い合えることを幸福だったと、きちんと覚えていよう。
いつか、道が分かれる日が来たとしても、この日の思い出を胸に抱き、誇らしげに旅立って行けるように。




