第40話 恋愛経験者は相談されやすい
クラスカーストという物がある。
小さな教室内での、小さな人間たちのマウントの取り合いは、さながら社会の縮図の様であり、主に社交性やカリスマ性が高い者などがこのカーストの上位に君臨する。
無論、我らが七尾楓はクラスの隔たりを超えたカーストトップの女帝であり、同じ教室、いいや、同じ学校であるのならば、楓の存在を知らない学生など皆無だ。
即ち、必然とそんなカーストトップの楓と偽装交際をしている俺も、自然と周りから注目が増えて、色々と付き合いが増えたりする。
しかし、付き合いが増えたとしても、俺の人間関係はあまり変わらない。新たな友達として、倉森や楓と交流が増えたりはしたが、それはあくまで学外でのこと。学内では、我が友である灰崎君以外に、特にはっきりと友達と口に出せる関係の奴は居ない。
元々、俺はこのクラスカーストに於いて微妙な立場というか、オタクグループや離れ小島の如き『バイトで忙しくて学内での交流は後回しにしがち』組に所属していた。そのため、クラスの中心となるグループと話す機会もほとんど皆無であり、また、偽装交際を初めて多少なりとも付き合いが増えた今でも、友達と呼べる仲の奴は出来なかったのだ。
「伊織殿はさながら、村の離れに住まう戦場帰りの元傭兵みたいなポジションでござるから。中々取っつきづらいというか、有事以外は浅い付き合いで留めておく人が多いのでござりまするよ」
「クラスカーストの説明で出てくる単語じゃねーぞ、戦場帰りの元傭兵とか」
「得体が知れないけれども、頼りになる。ううむ、ぴったりでござりまするなぁ。ああ、けれども、最近はちょっと親しみを持たれているようですぞ。何せ、あの豪快な啖呵は、見ているこちらの胸が熱くなるようでしたから」
「全校生徒の前であんな真似をする日が来るとは思わなかったぜ」
「いやいや、何事も経験ござりまするよ。それに、コネクションを持った『チャマ(お友達)』は多い方が良いでしょう? ハードボイルド探偵を目指すには」
「かもしれないな、一理ある」
「ええ、自分に気を遣わなくとも大丈夫でございまするよ?」
「さてさて、困った。頼りになるサイドキックが何やら的外れなことを言って、遠慮しているぞ? これは、久しぶりに焼き肉の食べ放題に連れて行って、交流を図るべきだろうか?」
「…………自分の方が、恰幅が良いというのに、伊織殿の方が食べますからなぁ」
「お前はエネルギー効率が良すぎるんだよ」
もっとも、俺はこの現状に満足していた。
確かに、友達は多い方が良いという言葉は至言である。友達と呼べる仲間が多ければきっと、孤独に生きるよりも人生は楽しくなるだろう。
だが、それと同じぐらい、少数でも、真に信頼し合える友達を作ることは大切だ。
特に、俺のように脛に疵を持つ経歴の持ち主は。
「やれやれ、伊織殿は仕方ない奴でありますな」
「はっはっは、一緒に地獄に落ちてくれ、相棒」
「獄卒すら蹴飛ばしそうな伊織殿と一緒ならば、地獄めぐりも悪くありませぬな」
だからこそ、俺は真に信頼し合える灰崎君のことを、決して裏切らない。
この友情に対して、見返りを求めない。
例え、背後から刺されようとも満面の笑みを持って受け入れる覚悟すらある。
いずれ道が分かれるとしても、その別れすらも間違いなく俺たちの糧になるという自負があるほど、俺たちは数々のトラブルを共に乗り越えて来た相棒だった。
ちなみに、灰崎君は下の名前で呼ばれるのが物凄く嫌なので、未だに苗字呼びである。
「だからまぁ、灰崎君――――いつも通り、何かあったら遠慮なく言ってくれ。俺はそれに応える用意がある」
「…………ううむ、しかし」
「しかし、じゃねぇよ。そこは、『頼む』の一言で充分だ。ああ、ついでにポケットからおやつの一つでも出してくれれば、満面の笑みで頼まれてやるぜ?」
「はぁ。本当に、伊織殿はこういうところが厄介なのですぞ」
灰崎君は思慮深い。
思慮深く、博識であり、偏見なく物事を知ることが出来る稀有な人物だ。
恰幅の良い外見と、穏やかな気質の所為で侮られがちではあるが、むしろ、道化染みた態度でそれを助長し、わざと周囲の油断を誘うようなスタイルの人間だ。
そんな灰崎君はこのクラス内の潤滑油の如き存在であり、この俺なんかよりも豊富なコネクションを有している。
けれども、そのポジション故に、時折、厄介ごとやら俺に対する依頼の窓口となってしまうことが多々あるのだ。
「恐らく、伊織殿の苦手分野かもしれませぬが、先方立っての頼みでござりまする。どうか、話だけでも聞いてやってくだされ」
ならば、相棒としての俺の役割は決まっている。
「ああ、任せろ」
こいつの遠慮を吹き飛ばすぐらい、見事な解決を見せてやることだ。
●●●
我がクラスのカーストは、他のクラスと比べると大分穏やかだ。
少なくとも、カースト下位の人間がろくに息も出来ないような閉塞感に満ちた教室では無いし、露骨に格差を感じさせるほどのものではない。また、いじめやらその他、学校生活に於ける素行の問題も皆無である。
その理由は偏に、この学校が元々、成績が一定以上の者しか入学できない、県内でもそれなりにレベルの高い学校であること。それに加えて、クラス内に於けるムードメーカーが二人ほど存在するからだ。
一人は、我が友、灰崎君。
彼の役割は道化にして、縁の下の力持ち。
気安く、どんなカーストに居るクラスメイトとでも言葉を交わすことが可能な社交性は、天性の物を感じさせる。彼が居るからこそ、カースト下位の、いわゆる陰キャとも呼ばれる内向的な性格のクラスメイト達の不満が溜まらない。カースト上位との隔たりが少なくなっているのだ。
そして、もう一人は、我がクラスのカーストトップとされている男子だ。
彼は野球部のエースであり、一年生の頃から弱小の野球部を引っ張って、なんとか県の大会でベスト4まで食い込ませた実力者。
そのため、運動部に所属している学生たちは学年を問わずに一目を置いているし、また、そんな実力者でありながら、物腰柔らかであり、外見も性格も両方イケメンという乙女ゲームにでも出てきそうな物凄い奴なのだ。
そういう奴がクラスの中心に居るからこそ、カースト上位、いわゆる陽キャとされているクラスメイト達が過度な増長や素行の乱れを起こさず、クラス内の空気が柔らかな物となっているのだ。
そんな絵に描いたようなイケメンの名前は、八畑 九郎。
「どうか、頼む。俺の恋路に協力してくれ、天野! いいや、師匠!!」
たった今、坊主頭を俺に向かって深々と下げている、精悍な体つきの男子がそうだ。
…………落ち着こう、よし、落ち着こう。まずは状況を整理だ。
時間帯は夜。
八畑が野球部の練習を終えた後でも集まれるようにと、灰崎君がセッティングしてくれた居酒屋の一室。本来であれば、未成年お断りの店の座敷で、他の学生たちと顔を合わせないようにしての密会である。
何故、灰崎君が八畑と俺が会う段取りを付けたかと言えば、八畑と灰崎君はいわゆるクラス内に於ける同じ役割を担う同志であり、その同士の頼みは断りづらいという理由からだった。
俺としても、いつも頼ってばかりいる灰崎君へ恩返しが出来るのであれば、受諾中の契約に問題が無い程度で力になってやりたいのだが。
「すまない、八畑。席に着くなり、いきなり頭を下げられるのは落ち着かん。や、アンタの誠意は十分わかったんだが、もっと分かりやすく話してくれ。そうだな、まずはこれ、恋愛相談ってことで良いのか?」
「ああ! あの七尾楓に対して、あんな漢気全開の啖呵を切って見せて、仮交際にまで持ち込んだ益荒男であるお前にしか頼めないことなんだ」
「…………過剰評価だと思うが、うん、まぁ、いいさ。それで、どこの誰に熱を上げているんだ? 野球部のエース様が。つーか、大体、お前だったら俺なんぞに相談しなくても、堂々と告白すれば大抵の相手には脈があると思うんだがね?」
「残念ながら、現状は皆無だと思う、脈」
「おいおい、アンタがそこまで言う相手なんて相当だな? 一応訊くが、彼氏持ちとかじゃないよな? そういう略奪愛の手伝いは遠慮させていただくぜ?」
「そんな噂は聞こえてこないけど、もしそうだったら、すっぱりと諦めるさ」
八畑は爽やかな笑みを浮かべて、頬を掻く。
行動の一つ一つが様になっており、態度にまるで嫌味が無い。相手に好かれるという才能、振る舞い、楓とは別のカリスマが、このイケメンには確かにあった。
しかし、そんなイケメンに対して、ここまで言わせる難物女子とは一体、誰だろうか?
「だけど、チャレンジだけはしてみたいんだ。何とか、告白するだけでもしてみたい。俺一人の力じゃ、多分、絶対に告白の機会すら与えてくれない相手だから」
「そんなに」
「ああ、だから、天野の力を借りたい。アドバイスしてくれるだけでもいい。なんとか、告白の機会を作りたいんだ」
「なるほど。それで、アンタが熱を上げている女子の名前は? 俺も知っている相手か?」
「おうとも。天野も良く知っている相手だぜ」
想い人の名前を告げようとしているのか、やや頬を赤らめてはにかむ八畑。
普通の童貞男子がやったら気色悪いだけの仕草であるが、様になるのがイケメンである。
しかし、あれだ。なんだろうか? ここまで来て、嫌な予感がビンビン来ているというか。聞かなければ良いことを聞いてしまうような、そんな予感が。
「――――倉森鈴音。天野の後ろの席に居る女の子に、俺は恋をしているんだ」
そして、告げられた少女の名前に、俺は思わず目を伏せた。
つい最近、初恋が成就したばかりの俺には、叶わぬ恋を抱くイケメンの笑顔は、余りにも胸に刺さる痛々しさだったが故に。
ごめん、八畑。
お前の恋は、もう既に終わっている。




