第39話 良くも悪くも、感情的
「よし! それじゃあ、今日から二人は恋人同士よ! ふふふ、同学年同士の恋愛もいいけれど、一歳差の先輩後輩の恋愛も見ていて楽しそうね! これから、どちらがどちらの教室に迎えに行ったりするのかしら? 周りから冷やかされたりするかもしれないけど、恥ずかしがってすれ違いを起こしちゃだめよ? ちゃんと話し合わないと! いい? 恋愛って言うのは、関係を始める時と、関係を続ける時ではまったく別ベクトルの努力が――」
「ちょい、ちょいちょい、楓」
「ん? 何かしら? 伊織君。私は今、幼少の頃からの親友にして我が影が、見事に恋愛を成就して浮かれ気分のだけれど?」
「ああ、うん。とても愉快な気持ちだってことはその顔を見ればわかるし、後押ししてくれたのはとても助かった。だが、うっかり頭の中から大切なことが飛んでいると思うから、指摘しておくぞ?」
「うん?」
「――――俺とお前、偽装交際中」
「…………あっ」
俺と太刀川が共に想いを通わせ合った後から、楓は随分とご機嫌だった。ご機嫌過ぎて、鼻歌交じりに、俺たち二人の未来予想図を、俺たちをよそに妄想するぐらいには浮かれていた。
そう、浮かれすぎてこの現状を忘れる程度には。
「少なくとも、今月末までは無理だぞ。契約上」
「い、今すぐ別れましょう! 伊織君!!」
「今すぐ落ち着け、馬鹿。いいか? お前と俺は契約関係にある。それをどちらかの都合で一方的に断ち切ることは良くない。それに、だ。なんの伏線も無しにいきなり別れれば、流石に周りに勘繰られるだろ? 学内ぐらいだったら何とか誤魔化すが、七尾家に居るお前の場合、それだけじゃすまない厄介があるんじゃないのか?」
「う、うぐぐぐ、そうだったわ。貴方たちを祝福することで胸がいっぱいになって、うっかり自分の窮地を忘れてしまっていたわ。んもう、誰よ! 愛する二人が遠慮なく一緒になれない原因を作った馬鹿は! うん、私だったわね、この馬鹿ぁ!!」
「どうどう」
「落ち着いてください、楓姉さん。私たちは大丈夫ですから」
俺と太刀川は揃って、興奮気味の楓を落ち着かせる。
出会った時からそうなのだが、普段は聡明な癖に、感情的になると恐ろしくポンコツになるな、こいつは。
「だ、だって…………愛し合う二人はね? 周りに祝福されて、幸せに過ごさないといけないのよ? そりゃあ、色々大変なこともあるだろうし、時には『もう、この馬鹿女! 別れてやる!』って気分になるかもしれないわ。永遠の愛なんて在り得ないのかもしれないし。でも、だからこそ、心が通じ合えている時間というのはとても尊いの! 有限で貴重なの! その青春時代を共に過ごせないなんて……月末までの辛抱とはいえ、心が痛くなるわ」
「いや、無理だぞ?」
「え?」
「アンタとの偽装交際が円満で解消されることになったとしても、早々に他の女子と付き合うわけにはいけないだろうが」
「なんで?」
「クエスチョン! 体育館で熱烈交際宣言をやらかした二人が、すれ違いの末に別れてしまいました。二人は納得して別れたようですが、その後、男は直ぐに別の女子と付き合い初めまして。あれだけ熱い台詞を吐いた男子なのに、あっさりと別の女子と付き合い始めたのです。さて、周りの視線はどうなるでしょうか?」
「控えめに言っても、地獄の最下層並みに冷たくなるわね」
「はい、その通り。よくできました」
「…………うう、申し訳なさすぎるわ」
がくりと、露骨に肩を落とす楓。
まったく、どうしてそこまで他人のことで一喜一憂できるんだか…………いいや、きっとこいつにとっては俺たちのことは身内同然ということなんだろうな。
だからこそ、こんなに色々と残念な面を曝け出してしまうんだ。
「大丈夫ですよ、楓姉さん」
「美優、でも……」
「そもそも、楓姉さんの偽装交際が無ければ、私と先輩がこうして好き合うことになるきっかけもありませんでしたし」
「ああ、そうだな。元々、楓との交流が無ければ、仮にいつか俺が一目惚れしたとしても、想いを胸に秘めて、あっという間に風化させていたかもしれないし」
「ふふっ、それに、周りに関係がばれてはいけない二人の秘密の関係とかって、なんだか素敵だと思いませんか?」
「…………二人とも」
もっとも、そういう残念な面も、長く付き合っていけばもっと愛おしい面として見られるのかもしれないが。
こうして、従者である太刀川がずっと変わらぬ忠誠を示していたり、なんだかんだ倉森との関係が続いているのも、こういう愛嬌があるからだと思う。
まぁ、それはそれとして。
「わかったわ、任せなさい! 人にバレてはいけない秘密の交際ならば、この私が経験者よ! わからないことや、不安なことがあったらすぐに聞きなさい。どんな悩みも、即レスしてあげるわ!」
「わぁ、ありがとうございます、楓姉さん。流石、頼りになります」
「ふふふ、それほどでもないわ」
「ところで、楓姉さん」
「ん? 何かしら、美優。そんないきなりすっと真顔になって。いつも感情豊かな無表情だったのに、今の表情は完全に『無』になっているわよ? え? どういう感情なの、それは? 初めて見る」
「――――秘密の交際って、どこの誰とでしょうか?」
「…………あっ」
「ご安心ください、楓姉さん。私は今までの愚かで浅はかな私とは違いません。不満を口に出さず、勝手に動こうとする傲慢な影とは違います。ええ、ちゃんと話し合いをしたいと思いますので、どうかよろしくお願いします」
やはり、感情的になるとろくなことにならないよなぁ、楓は。
青い顔をして、床に正座を始めた楓と、感情が伺えない無表情で淡々と事情聴取を始めた太刀川のやり取りを見て、俺は肩を竦めたのだった。
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楓と太刀川の話し合い、第二ラウンドは一応、わだかまりを残すことなく終了した。
「…………んんんー、女の子ですか。ええと、私は別にそういうことに偏見は持ちませんが、分かりますよね?」
「うん、父さんと母さんを納得させられるかどうかが鍵だと思っているわ。でも、私では絶対に母さんには勝てないし」
「将来は独り暮らしをして、ここから離れることで解決しようとしていたのですね?」
「それぐらいしかないでしょう?」
「確かに。千尋様と言葉でやり合うのは、控えめに言っても無謀としか言えませんからね。ですが、誠司様を説得すればワンチャンあるのでは?」
「難しいわ。父さんは一応、味方してくれると思うけれど――――覚悟を問われれば、今すぐちゃんとした答えを返せるかはわからないんだもの」
「誠司様は、お優しくも厳しい方ですからね。将来のビジョンが見えていない場合、最低限のフォローに留めるだけになるでしょう」
「だから、私がちゃんとした答えを出せるまで、この件は内密にして欲しいの」
「それはもちろん、私は貴方の影ですから」
「…………ふふっ、もっと最初からこうしていればよかったのかもね?」
「ええ、お互いに」
本来、楓はここまで話す予定はなかったようだが、それでも、話してしまえば、意外とすんなりと倉森との関係を太刀川は認めた。
以前の凝り凝り固まった従者思考では、暴走していたかもしれないが、今はもう、互いに不満を言い合える仲へと改善したおかげで、軋轢はほとんどない。
ただ、やはり二人の間で問題が無いだけであって、七尾家で堂々と交際宣言するには、まだまだ道のりは険しそうではあるが。
「あ、それと二人とも。悪いけれど、同居生活は今後とも継続してくれるかしら? 少なくとも、偽装交際が解除されるまでは」
「「えっ?」」
「いえ、代わりの護衛の人を呼んでいるのだけれども、ほら、契約期間は月単位だから。せめて、今月は雇わないと後々問題に……影人である貴方と一緒に護衛しても、肩身が狭い想いをさせてしまうだろうし」
そして、これも意外な事ではあるが、俺と太刀川の同居生活は、少なくとも月末までは続行となった。
それに関しては、七尾家の雇用事情が絡んであるため、俺から何か口を出せることは無い。太刀川もまた、自分自身が原因であるため、下手なことを反論できない。
何より、そっと目を合わせた太刀川と俺は、顔を赤くしながら期待していたのである。心置きなく、二人一緒に居られる時間が増えることに。
同居生活という、青春ラブコメみたいな状況が続くということに。
「あ、一応警告しておくけれどね? えっちぃことは控えておかないと、同居生活が解消された後に、色々辛くなると思うから、節度を持った関係でいるように」
俺たちは楓からの言葉を受けて、びくりと肩を震わせ、揃って視線を逸らした。
勘弁してほしい。
今、こうやって一緒に居るだけでも胸の高鳴りがやばいというのに、そういうことを言って惑わすのは。
「ふふふっ」
そんな俺たちの苦悩を知ってか知らずか、楓は天使の微笑で俺たちの様子を眺めていたのだった。
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『伊織君、しばらくあの子を実家から遠ざけておきたいの、極力して欲しい』
もっとも、後々、楓から送られてきたメールを見るに、どうにも単純な『雇用上の問題』だけではなく、何か思惑があるようだけれども。
俺は、あの良くも悪くも感情的なあいつを、信じたいと思う。




