第36話 ラブコメには要らない背景事情
七尾久幸。
楓のお兄さん。
第一印象としては、神経質そう――もとい、繊細なところがあり、妹に対する対抗心を剥き出しにしている、少し大人げない人。
虚勢を張ることを、癖にしてしまった人。
そして、お父さんである誠司さんに兄妹揃って叱られている後ろ姿は、やはり、兄妹なんだと思わせるぐらいに似ていて、なんだかんだ、兄弟仲は悪くないんじゃないだろうか? などと推察はしていた。
多少なりとも、妹である楓さんにちょっかいをかけたとしても、本当に害のあることはやらないのではないだろうか? そういう考えが、俺の中にはあった。
けれども、実際のところ、俺の予想よりも遥かにこの人――――久幸さんは有能な人だったらしい。
「…………ふぅー、とりあえず奴らの組織とは話を付けた。お前が所属している協会にも、七尾家側からのコンタクトを取って、正式に謝罪している。今後、奴らが表立ってお前らを襲う可能性は少なくなっただろう。だが、油断はするな。奴らは一枚岩ではない。穏健派ぐらいなら、こちらの言葉を聞くが、強硬派になると基本的に話を聞かないからな。出来る限り、一人で人気のない場所に行かないことだ」
まさか、俺が悩んでいた問題をこんなにあっさりと解決してくれるとは。
や、流石にあっさりとし過ぎていて、俺としては何が何だかわからなかったわけだが、こちらの背後に居る協会の存在をあっさりと掴んでいるのも予想外だった。
「え、ええと?」
「ふむ、いきなり話を飛ばし過ぎたか。まぁ、いい。詳しい話はそこで伸びている庶民を、そこら辺に捨ててからにしてやろう」
「ああん!? 捨てるってどういうことだ、こらぁ!?」
「もう安全になったから、お家に帰っても大丈夫、という意味だ。中々センスの良い髪型をしている庶民」
「おい、俺が皮肉を分からないとでも?」
「いいや? もちろん、己の立場もきっちりと弁える聡明な人だと思っているとも」
「…………くそが」
久幸さんは早々に虎尾さんを安全な場所に移すと、そのまま、運転手に指示を出して、高級車をどこかへと走らせていく。
俺としては、安全になったのならば、虎尾さんと一緒に降ろしてくれても構わなかったのだが、一体、何の目的で、どこに連れていかれるのだろうか?
「ふん、そんな不安そうな顔をするな、庶民――もとい、天野君」
「は、はぁ……ええと、何か俺に御用でも?」
「詳しい話をしてやると言っただろう? 数分前の出来事を忘れるな」
「あ、はい」
にやり、とこちらを見下すような笑みを浮かべる久幸さん。
だが、段々と分かってきたのだが、ひょっとしてこの人は、こういう接し方しか出来ない人であり、実際のところ、俺が思っているよりもお人よしなのかもしれない、と。
「まず、お前らを……正確には、お前個人を狙った奴らの正体だがな、奴らを俺たちは委員会と呼んでいる」
「委員会、ですか?」
「ああ。正式名称は『伝統文化保存委員会』なんて、如何にもな名前を使っている大きな組織だ。表としては、地方を中心に、失われやすい伝統文化を保護するっていう、一見するとまともな活動を行っているわけだが…………その実、裏で行われているのは覚醒者を生み出す、異能の血族の保存だ」
俺はまず、覚醒者というこちら側の単語を当然のように久幸さんが使っていることに驚いた。しかし、よくよく考えてみれば、久幸さんは七尾家の長男。その手の事情を色々教え込まれていてもおかしくない。
ただ、楓がこの手の事情にさっぱり詳しくないので、その兄である久幸さんもてっきり、この手の事情は教えられていないと思っていたのだけれども。
「怪訝そうな顔をするな、天野君。俺が裏側の事情を普通に話しているのが不思議なのかもしれないが、元来、七尾家は裏と表を繋ぐための役割を持った異能の一族だ。爺様が古い因習をぶち壊してからは、表側の要素の方が強くなったが…………それでもまだ、裏側との縁は切れない。だからこそ、俺も相応の事情は知っているし、この通り、問題が起きればある程度の抗議を出せる立場にあるってわけだ。ああ、もちろん、表側の大学生としての立場も本物だぜ? これでも、大学では一目置かれる立場なんだぞ?」
「――――はっ!」
「おい、運転手ぅ! 俺の言葉に文句があるのなら、正直に言って良いんだぞぉ!?」
「いえいえ、従者の立場で、主たる久幸様にご意見などと。ただ、滑稽だな、と」
「主に対して滑稽って言う従者ってなんなの?」
次に、俺が心底驚いたのは、思っていたよりも久幸さんが数段愉快な人だった、ということだった。
いや、だって、真面目な会話をしている横から運転手のお姉さんに鼻で嗤われて、そこから、夫婦漫才のようなやり取りをしているんだぜ? てっきり、自分の立場に対してもっと悪い意味での執着があると思ったのに…………あるいは、それらすらも俺に見せていたフェイクとしての側面であり、本当はもっと器が大きな人なのだろうか?
ううむ、よくわからねぇ。
「なんだかんだ、周囲に煽て挙げられて、保護者役となってしまう悲しい宿命の主に付き従うことこそが、私の生涯の使命だと確信していますよ」
「忠誠はあるんだけど、こいつ、口が悪いんだよな…………まぁ、煽て挙げられているという自覚はあるが、利用されているつもりも無いので別にいい。それよりも、ほら、天野君に呆れられた目で見られてしまっているだろうが、話を戻すぞ、そう、委員会の話だ」
ごほん、というわざとらしい咳払いの後、久幸さんは改めて話を再開させた。
「委員会の目的は、異能の血族を失われないようにすることだ。そのため、大分薄れてきた血筋である七尾家に対しても、一定の発言力を持つ。まぁ、あれだ。ごり押しは出来ないが、お見合いの相手を嫌気がさすほどプッシュしてきたりもする。その相手というのがまた、異能の血族なわけで、明らかに血筋やら異能面でしか物事を見ていないということが分かりやすいわけだが…………それでも、妹の交際相手へ、警告の一つもなくいきなり襲撃を仕掛けるような真似をするとは思っていなかった。一昔前ならともかく、この現代で街中での襲撃なんざ日常的にやっていたら、遅かれ早かれ、より大きな組織によって解体されるだろうからな」
「…………今回の出来事は、イレギュラーであると?」
「委員会側の言い分としては、一部の過激な強硬派が勝手に動いてしまった、ということらしい。七尾家のコネクションを使って、穏健派の幹部に話を通して、今回は何とか引かせることが出来たが…………明らかに、今回は異常だ。過激すぎる」
「それだけ、楓……さんの血に期待している、ってことですか?」
「…………それだけ、なら良いのだが」
久幸さんは言葉を止めて、俺を見通すように視線を向ける。
楓とは違う、栗色の瞳。
それは、こちらの深奥を射抜き、見透かすかのようで。
「まぁ、いい。どの道、このイレギュラーも長くは続かないだろう」
「えっと、どれはどういう?」
「――――だって、お前、うちの妹と付き合っていないだろう? 本当は」
だから、予想はしていたんだ。
薄々、こうなるかもしれない、とは予想していた。予想していたが、ついつい、喉の奥から「ひゅっ」みたいな音が鳴ったのは許して欲しい。ちゃんと一秒も経たずに表情を立て直して、きちんと誤魔化そうとしたんだからさ。
「あー、その? やっぱり仮交際では、認められないってことですかね? ちゃんと本交際になってから、物を言えと、そういう?」
「誤魔化さなくていいぞ。そもそもな? うちの妹が本当に誰かと交際するときは、絶対に、俺たちに隠す。七尾家のしがらみを知っているからこそ、大切な物を隠そうとするタイプなんだ、奴は。だからこそ、大衆の面前で公開演説なんざ、在り得ない。絶対に、在り得ない。なら、どうしてそうなった? と考えれば、大体の予想はつくってもんだ」
「…………あれは、言っておきますが、俺にとっても予想外だったんですよ? あいつがこう、勝手に言い出したんです。あいつ、割と感情的で、いざという時に混乱する悪癖ありますよね?」
「あるぞ。めっちゃあるぞ。俺の腕時計を勝手に使って、壊したときの言い訳なんざ、滑稽だったぞ? 『妖怪と戦って、なんとか一撃を防いだけどこの様よ』って、言い訳するためだけに、わざと擦り傷とかを体に付けてきたからな」
「可愛らしい人じゃあないですか」
「中学生の時だぞ」
「あいつ、馬鹿ですか?」
「賢い馬鹿なんだよなぁ、うちの妹」
「…………ちなみに、他のご家族の方は知っていますか?」
「お前らが挨拶に来た当日に、既に知っていたぞ」
俺は「はっはっは」と乾いた笑いを口から吐き出しつつ、観念した。
どうやら、俺たちの三文芝居は最初から茶番扱いだったらしい。
「死にてぇ……」
「ああ、言っておくが、妹の恋愛に関して俺は不干渉だから、好きにやれって、それとなく伝えておいてくれ。俺はこう、妹の前に出ると虚勢を張りたくなる悪癖があるから」
「…………とりあえず、はい。わかりました…………というか、家族全員に知れ渡っているなら、あいつから素直に色々話させた方がいいんですかね?」
「――――いや、それは違う。やめておいた方が良い。妹のことだ、本当に話していいことならば、態々代役を立てて偽装を図ろうと思わない。なら、今回の出来事はそうしなければならないだけの理由があったということだ…………そして、俺たち家族も偽装した理由までは思い至らないし、思い至らないようにしている」
「…………と、言うと?」
久幸さんの声色が変わる。
先ほどまでの愉快なそれとは違い、密やかに、けれど、冷たく俺へ告げる。
「俺の祖父も、父も、姉も、そして、俺自身も極論を言えば、好きにやれ、って思う。それこそ、責任を取れる相手ならどこの誰ともきっちりと交際すればいい。だがな? 母だけは違う。いいか? 母には、七尾千尋には気を付けろ。あの人は、俺たちとは違う」
それは警告だった。
何か恐ろしい物に対する、純粋なる善意による警告だった。
「――――あの人は、本物の化け物だ。絶対に、気を許すな」
実の母に対しての警告を、顔を青くして告げる久幸さんの姿に、俺はまだまだ七尾家のことを何も知らないのだと、つくづく思わされた。




