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第2話 報酬はご飯

 真っ白な皿に乗せられた、赤茶色のソースとクリーム色のパスタが俺の眼前に運ばれてくる。

 既に、俺の眼前には、小皿に乗せられたサンドウィッチが三つ。具材は、それぞれ、タマゴやら鶏肉やらと、野菜を挟んだボリュームたっぷりの物。


「いただきます」


 俺は丁寧に両手を合わせてから、まずサンドウィッチへ手を伸ばす。

 ふんわりと、柔らかい自家製の食パン。恐らく、作り立てとはいかないが、焼き上げてから一日も経っていない代物。それにバターを塗ってから、惜しみなく具材を挟むというシンプルかつ豪快な料理だ。

 がぶり、と思いきり大口を開けて噛みつけば、野菜のしゃきっとした歯ごたえ、鶏肉の程よい弾力を感じて、次にそれらが合わさった絶妙な旨味が口内に広がる。


「…………うん、美味い」


 サンドウィッチを二つ平らげて、お冷で口の中をリセット。

 そして、ミートソースパスタを、フォークを使って食らう。ぐちゃぐちゃと混ぜてから、くるくるとパスタをフォークに巻き付けて、ぱくり。


「ふむ」


 ぱくり、ぱくり、ぱくり、と酸味と肉のうまみ、程よい歯ごたえ、喉越しのパスタを堪能したならば、後は調味料をちょい足し。粉チーズと、少量のタバスコ。


「ううむ」


 ぴりりとした刺激が、舌に新鮮味を与えて、さらにパスタが美味くなる。さらに、粉チーズの旨味がタバスコの絡みをまろやかにして、相乗効果でさらに美味しい。ついつい、一気に全部平らげてしまった。


「ふむふむ」


 再びお冷を流し込んで、口の中をすっきりさせる。

 ちょっと辛み成分が口の中に広がるが、この程度ならば誤差の範囲。後は、茹でた卵を丁寧に潰して、ペーストしたサンドウィッチを頂き、シンプルな旨味で口の中を締める。

 …………ふぅむ、流石は喫茶【骨休み】だ。その内装はアンティーク調に統一され、店内の音楽も静かなジャズを流すのみ。大人の雰囲気を漂わせて、ついでにお値段も大人向け。それ故に、学生の利用は足踏みしてしまう店だけのことはある。

 メインが珈琲であるというのに、このサイドメニューも手を抜かないこの在り方。尊敬に値するぜ。


「ごちそうさまでした」


 先人に対する敬意、感謝の想い、加えて、俺の糧となった食物に対する感謝を込めて、再び手を合わせる。

 ふぅ、美味しかった。

 うん、やはり他人の金で食べる料理は最高に美味しいな。


「「…………」」


 などと人が食事に夢中になっていると、先ほどまでの交渉相手――改め、現在の依頼人たちが奇妙な物を見たような顔でこちらを眺めている。


「ええと、何だ?」

「…………何だ、というか、その、ね? 随分と幸せそうな顔で食べるなぁ、と思っただけなのだけれども。その、美味しかった?」

「ああ、とても」

「そ、そう」

「…………よくもまぁ、喫茶店の食事で無邪気な子供みたいな笑顔を浮かべられるな? そこら辺の芸人よりも、食レポに向いているんじゃないか?」

「美味い物を食う時は、それに集中したいから無理だ」

「さいで」


 呆れたような顔をする倉森さん。

 怪訝そうな顔をする七尾さん。

 ふむ? そんなにおかしいことだろうか? 美味しい食事を食べるということは、日に三度しか許されていない特別な行為だというのに。


「あの、もう一度確認してもいいかしら?」

「いいとも、いくらでも。仕事上の確認は大切だからな、依頼人」

「…………本当に、報酬は食事でいいの?」

「ああ、むしろ、それが良いんだ」


 不思議そうに再度確認する七尾さんへ、俺は笑みを浮かべて答えた。

 俺の依頼への報酬は、美味しい外食が定番なのさ。



●●●



 依頼内容は、七尾楓との偽装交際。

 依頼期間は、二か月間。

 なお、性的な接触は、含まないものとする。

 周囲への交際関係に関しては、俺、天野伊織が七尾楓に対して告白をし、試用期間として二か月間付き合ってみるという結果になったという経緯で。その際、天野伊織は告白を受諾してもらうために、相応の苦労を重ねていたというバックストーリーを考えなければならない。

 これは、契約期間が終わった後、一度、告白をオーケーしたことにより、ハードルが下がらないようにするための処置である。

 バックストーリーに関しては、七尾楓、倉森鈴音の両名が監修の下、天野伊織が考える事。

 注意事項として、万が一にでも七尾楓と倉森鈴音の交際関係が周囲に露呈しないようにふるまうことを、最優先とすること。

 そして、依頼の報酬は、天野伊織に対する週に一度、一食分の食事の提供。これは、依頼期間が終了するまで、続けるものとする。


「じゃあ、改めて。依頼内容はこうなっているが、互いに不満や問題点は無いか?」

「無いわ」

「無い、けど」

「ならば、よし。これで俺は、正式にアンタらの依頼を受けたということになる。依頼に関しては、最大限の考慮をするつもりだからな、何か不満やら考慮してほしい点が出来たら、直ぐに電話で連絡してくれ。ああ、メッセージ機能で一報を入れるのもいいが、出来れば、電話での対応を頼む。文章だけの意思疎通だと、誤解が生じる可能性が割とあるからな。面と向かって会って交渉するのが一番なんだが、アンタらにも俺にも予定があるだろう? それに、この面子で何度も会うのはまずい。だから、何かあったら電話連絡を心掛けてくれ」


 俺は食事を終えた後、改めて依頼内容に関して確認する。

 本当ならば書面に残すのが一番なのだが、今回の場合、学生同士のやり取りであることに加えて、あちら側が出来るだけ物証が残らない形での契約を望んでいるので、考慮した結果、こうなった。互いの誠意に則った口約束になるが、これから俺たちは弱みを握り合うことになるので、破綻の可能性は大きくないだろう。

 しかし、我ながら週に一度の外食とは吹っ掛けた物だ。

 俺はプロの探偵や便利屋ではない、ただの学生。

 そんな俺が、週に一度の外食…………つまり、千円以上の良質な外食を得られるのだ。これは、中々いい交渉をしたと思う。え? 二千円クラスの外食? それは流石にぼったくりになるので、千五百円以内に留めた外食を要求すればいい。

 くっくっく、学生の身の上では少々辛いかもしれないが、これもビジネスだ。悪く思わないでくれ。


「あの、少しよろしいかしら?」

「なんだ、七尾さん。疑問や不満があるなら遠慮なく言ってくれ。そういうのが、後々の契約の不備に繋がったりするんだ」

「それじゃあ、一つ。その、ね? 私はてっきり、金銭のやり取りになるかと思っていたのだけれども。むしろ、そっちの方が貴方にとっても、私にとっても態々、食事を一緒に取らなくて済むから便利じゃない?」

「その場合、アンタは俺に対して売春に近しい形で交際をしていたという事実が残るわけだが、それでいいのか?」

「よろしくないです、ごめんなさい。配慮ありがとうございます」

「いいや、そういう疑問を口に出してくれるのは助かる」


 さて、七尾さんのように、俺への報酬内容を疑問に思う人も少なくないだろう。概ね、俺に依頼してくる相手と言うのは、同じような年の切羽詰まった学生たちだ。今回は、懐が温かそうな七尾さん相手に加えて、あちら側の過失も少なくないので、割高にしたのだが、普段はもうちょっと温情だ。少なくとも、外食じゃなくて手料理でもオッケーにしている。その場合、クソみたいな料理を出してきた相手に対しては、コンビニに弁当を買いに行かせるぐらいの文句は言うけれど。


「んじゃ、最後に私から一つ。あのさ、天野」

「なんだ? 倉森さん」

「誤解しないで欲しいんだが、その、さぁ。よくあるじゃん? こういうシチュエーションで、その、女の子相手に厭らしい要求をするような流れ。こう、漫画とかで」

「倉森さん。フィクションを引き合いに出されても、俺は微妙な顔しか出来ないぞ?」

「や、分かってる。お前が、その、そういう馬鹿みたいなことをしない奴だってのは、さっきの会話で理解できた。理解できたけど、どの、あれだ。私はともかく、この馬鹿は、その、外見すげぇじゃん? 綺麗じゃん? 控えめに言っても天使じゃん?」

「やだ、鈴音ったら」

「うるさい、今は話し中。寄りかかるな、衆目を考えろ。大体、あの時だって!」

「ごめん、ごめんって!」


 ぎゃいぎゃい、と姦しく口論した後、気を取り直して倉森さんが俺に問う。


「その、偽装交際中に、そういう厭らしいことというか、エッチなことをしたくならない?」

「何のために、人間に理性が付いていると思っているんだ? そりゃあ、俺にだって性欲は普通にあるし、七尾さんも外見は俺だってとても魅力的だと思える」

「外見は? ねぇ、『外見は』って態々付けたのなんで?」


 七尾さんが絡んでくるが、無視して言葉を続けた。


「だが、考えてもみろ。相手は七尾家のご令嬢。火遊びで手を突っ込めば、そのまま火葬コースの相手だ。加えて、学内の相手だぞ? おまけに、カースト上位で少なくない求心力を持った相手だぞ? 手を出すわけがない。大体、どれだけ後腐れなく対処しようと思ったつもりでも、相手に被害届を出されれば、そういう行為はもれなく一発退学の上、警察の御厄介だ。まともな理性があるのなら、フィクションの犯罪行為を真似る奴なんて居ないだろうさ」

「…………凄くまともな回答で驚いた」

「俺を何だと思っていたんだ?」

「男子は皆、下半身で物を考えているものかと」

「ふん。間違ってはいないし、そういう警戒心を持って行動するぐらいがちょうどいいだろうよ。俺だって、心得ているつもりで偉そうに言っても、実際はどうだか。なので、そもそもそういう隙を作らないように行動するように心がけてくれ、七尾さん」

「ええ、それはもちろん…………ただ、あと一つだけよろしいかしら?」

「ん、私も一つだけ。多分、楓と同じ疑問」


 俺はどうぞ、と微笑んで二人の言葉を促す。

 恐らくは、俺が予想している通りの言葉が飛んでくるだろう。何せ、俺に依頼を持ちかけた奴らのほとんどは、決まって同じ質問をするのだから。


「「なんで、そんなハードボイルド探偵みたいな口調なの?」」


 俺にとっては毎回おなじみの質問。

 故に、予想済みだったので、予め考えていた台詞で二人に答える。


「女子の前で気取っているのさ。何せ、年頃の男子だからな」


 こうして、俺たち三人の間で契約と密約が交わされた。

 互いに弱みを握り合い、それでも、無事に学校生活を送れるように。

 …………ちなみに、俺が仕事の時にこういう口調なのは、一応それなりの理由があってロールしているのだが、それはまた別の機会にでも。

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