第28話 前途多難な同居生活
現実世界で、年頃の女の子と同居生活を送る男子高校生は一体、日本全国にどれだけ存在するのだろうか?
ましてや、その相手が初恋の相手だったとすれば、数は限りなく少ないのかもしれない。
ただ、そこへさらにもう一つ。初恋の相手から、目出し帽を被り、スタンロッドを装備した状態で襲撃されたという過去を付け加えるのであれば、俺はオンリーワンの存在になれるのかもしれない。むしろ、他にもそういう男子高校生がそこら辺に存在しているのであれば、日本の治安がピンチである。
ともあれ、初恋の相手と一つ屋根の下で同居出来るのは事実。
俺がその初恋の相手――太刀川から信頼を得なければ、信仰対象である楓の恋人という、怨敵に等しいポジションとされ続けるということなので、恋愛抜きでも頑張って行きたいところだ。
「先に言っておきますが、貴方が何を企んでいたとしても、私は絶対に屈しません。貴方は、我が主に相応しくない。どれだけ甘言を弄そうが、私の忠誠は鈍らない。必ずや、貴方の化けの皮を剥いで、我が主にその醜悪な正体を晒して見せましょう」
なお、訪問の際の第一声がこれである。
真顔で、殺意すら込めた第一声だった。
警戒心と敵愾心をまるで隠そうとしてねぇ。いや、わかるよ? 俺に返り討ちに遭って、素顔も割れた時点で、既にアウト。さらに、当事者である俺が見ている前で、いけしゃあしゃあと自分の主に嘘の報告をした時点でツーアウト。実は楓に全てがばれている時点で、スリーアウト。本来であれば、従者の役職を辞めさせられてもおかしくないことをやらかしているわけで、そう考えると、どうにも滑稽さが抜けきらない有様だ。
「なんでしょうか? その目は。まるで、これから出荷される家畜を見るような憐みに満ちた目は」
「いや、どちらかと言うと加工済みの食肉をスーパーで見ている気分」
「食べる気満々であると?」
「半額シールが張り付いている感じ」
「売れ残り扱いですか?」
ジト目で太刀川が俺を睨んでくるが、俺はにやり、と不敵に笑って軽く流す。
「随分と、安く見ましたね?」
「不格好な姿で襲撃して、本気を出して無手の相手に武器を振るった癖に、完全敗北して、無様に泣き顔を晒した相手だからな。これでも、大分、お高く見積もっているつもりなんだが?」
「…………ぐっ」
「ふん。随分と威勢がいいが、忘れていないだろうな? 俺が一言、楓に連絡を入れるだけで、お前は破滅だ。今、お前がそうやって従者みたいな面をしているのは、俺が『楓の悲しむ顔を見たくない』という理由だけだってことを」
「…………」
「価値を示せ。せめて、アンタが楓の従者足り得る存在だと、俺に証明して見せろ。話はそれからだ」
太刀川は無表情の仮面の下から、怒気をこちらに向けてくるが、反論はない。
恐らく、己の状況を理解しているのだろう。
電話一つで、俺はいつでも太刀川の社会的立場を崩せて、なおかつ、不意打ちの奇襲でも倒せないほど隔絶した実力の持ち主であると、理解したのだろう。
そうでなければ、ならない。
この同居はあくまでも、甘い物ではなく、まず、太刀川の反省を促すという面が大きいのだから。
『いい? 美優はまず、貴方に対してマウントを取ろうと小賢しい威嚇をしてくるはずよ? ええ、そういうことをするのよ、あの子は。追い詰められると逆ギレするの。でも、そこで理路整然と反論して、己の立場を理解させてあげると大人しくなるから、まず、最初にガツンとやりなさいね? あの子は貴方以外の前では猫を被ると思うけど、貴方の前だと絶対、宣戦布告とかやらかすから。うん、控えめに言っても忠誠心が暴走している時のあの子は馬鹿よ? ふふふ、似た者主従? うん、否定できないわ』
楓のアドバイスを思い出しながら、俺は密かに安堵の息を吐く。
ああ、全く、恋した相手にキッツい対応するのも、中々楽じゃないぜ。
というか、今のところ、太刀川のどこに惚れたのかさっぱり分からないのだが、一体、どういうことなのだろうか、これは? やっぱり、顔? 体? ううむ、俺の性癖が原因で一目惚れとか、そういうのだったら嫌だなぁ。
●●●
我が家は普通の平屋の一軒家であるが、意外と家具や家電等の設備は真新しい。
何故かと言うと、叔父さんが『いつまでも死人の物が残っているのも、あれだろ?』と笑顔で処分してしまったからだ。仮にも、親戚に持ち物をさっくりと処分できる叔父さんの精神性にドン引きした俺だが、実際、記憶にない家族の荷物を全部売り払うと、精神的には大分楽になった記憶がある。
だが、やはり家電や家具までも全部新しくすることはやり過ぎだと思ったのだが、叔父さん曰く、
『折角、協会とやらが生活準備金をたんまり支給してくれるんだ。この機会に、全部新調するのも悪くないだろ?』
という、経済的な観点でのお言葉により、俺は黙らざるを得なかった。
何せ俺は未成年かつ、当時は無気力状態だったのである。叔父さんの言葉に逆らう理由は特に見つからなかった。
ちなみに、売り払った物の金額は全部俺の口座に預金されていた。叔父さんはこういうところ、潔癖なほど律儀だったりするのだ。
さて、何故今更、俺の家の家具家電事情を話しているのかと言うと。
「…………? おい、貴方」
「その絶妙な乱暴な物言いをどうにかしろよ」
「おい、貴様」
「貴様とか素面で言える高校一年生」
「………………」
「はいはい、武器を持った状態で勝てないのに、素手で俺に勝てるわけがないだろ。んで、何が分からないんだ?」
「………………この洗濯機はどうやって動かすのでしょうか?」
太刀川が微妙に、家電の扱いが心もとない所為である。
曰く、太刀川の家族は物持ちが良い人間が多く、平気で十年、二十年と家具家電を続けているようなので、最近の家電の扱いが分からないらしいのだ。
「ああ、この洗濯機はまず、ここを押して、洗剤は……」
しかし、分からない物があるからと言って、特に俺は太刀川を馬鹿にしたりはしない。というか、出来ない。何故ならば、今後同居することなった際、年頃の女子の生活に必要なあれこれが分からず、色々と問題が生じる可能性があるからだ。
その際、無知であることを理由に免罪を求めるために、今の内から寛容な態度で接することが必要だろう。
まぁ、それに、だ。出会い頭に、辛辣に言葉を交わし合った仲であるが、いつまでもこのままでいいわけがない。というか、嫌だ。家の中で共に過ごす相手といつまでも変な緊張感があるのはとても嫌だ。早急に何とかしなければならない。
「言っておきますが、手洗いしなければならない服が多いだけです。自分の服はちゃんと、自分で手入れ出来るのです。楓様の服だってきちんと手入れ出来るのです。ただ、一応、機械の使い方を学んでおこうと思っただけです」
「はいはい、わかった、わかった。ああ、それと、うちの居候の草本さんって人が担当しているから、洗濯機に入れる服があったら専用の洗濯袋に入れること。洗濯物を干す場所は、男女別に分けてあるから、気を付けてくれ」
「ええ、当然です。というか、意外ときちんと分けられているのですね?」
「うちには女性の居候が居るからな。家族同然の人でも、きちんとそこら辺は分けておかないと、トラブルの元になる」
「わかりました。私も気を付けることにしましょう。こんなことがきっかけで、楓様に密告されたくはないですからね」
「密告ではなくて、お前も同伴した状態で公開報告だぞ」
「…………ふん、精々、お互いに気を付けましょう」
「ああ、そうだな」
けれども、想像していたよりは太刀川の態度は悪く無かった。
最初こそ、警戒心と殺意を露にしていたのだが、ずっと気を張っていることに疲れたのか、それとも別の理由なのかはさておき、こちらが色々と同居に関しての説明をしていると、段々と態度は軟化していったのである。
少なくとも、殺気を飛ばしてくることは無くなった。
「一応、男の俺や叔父さんに言いづらいことがあったら、草本さんに言ってくれ。草本さんは常に酔っぱらっているような駄目人間だが、意思疎通は可能なので、きちんと対応してくれるだろう」
「分かりました。では、そのように」
「それと、俺の家事担当は主に炊事だから、今日の晩御飯。何か、食べたい物のリクエストとかあるか? 可能な限り対応するぞ?」
「貴方が出せる一番の上等な吸い物をお願いします。貴方が…………いいえ、『先輩』が、どれだけの腕前なのか、測っておきたいので」
「はっはっは、こいつぅ」
もっとも、無表情で容赦なく生意気な言葉を吐くことは変わらないようなので、互いの心理的な距離を縮めていくのは、中々難しそうだ。
「…………ふむ、悪くはありませんが、家庭料理の域を出ませんね。火加減と、味の調整がおおざっぱですが…………まぁ、初回ということなので、おまけしてギリギリ合格の六十点です。これからも精進するように」
「どんな立場で言ってやがるんだ、お前は」
ちなみに、吸い物は備蓄にある限りで、もっとも上等な昆布と鰹節。薄口醤油と、香草の類でシンプルに作ったのだが、割と的確に己の至らなさを指摘されて傷心の俺である。
俺は引きつった笑みを浮かべながらも、いつか、こいつにも料理を作らせて遠慮なく批評してやることを心に固く誓った。
…………とりあえず、こいつの引っ越し作業が落ち着いてから、だけどな。




