第26話 家族と挨拶
家族とは、居て欲しい時に居らず、居て欲しくない時に限って、意気揚々と雁首を揃えて待ち構えているような物である。
そのことを俺は、今日、心底思い知った。
「やぁ、お嬢さん方。うちの甥がいつもお世話になっています。こいつの叔父兼、保護者の天野 宗次と申します」
「居候兼、伊織の姉貴分の草本 春香でぇーす。よろしくねー? 可愛い子ちゃんたちぃー」
現在、俺たちの前には二人の大人が居る。
一人は、俺の叔父である天野宗次。
中肉中背で、柔和な笑みを浮かべる中年の男性だ。よれよれのシャツとスラックスを普段着とする姿からは、如何にも頼りない昼行燈に見えるかもしれないが、その肉体は相応に鍛え上げられており、また、服にはシミ一つの汚れも見当たらない。
雲のように飄々と、されど、弱みは見せず、にこやかに。それが天野宗次という油断ならない我が叔父なのである。
もう一人は、居候である草本春香。通称、草本さん。
初夏も後半ということで、Tシャツにデニムの短パンというラフすぎる姿であるが、貧相に見えないのはそのスタイルの良さによる物。長身かつ、胸は果実の実りを連想させるほど豊かで、腰回りはきゅっと引き締められて、足はすらりと形よく整えられている。加えて、背中にかかるほどに長い、綺麗に染め上げた茶髪が、ポニーテイルとして束ねられているので、ラフな姿でも活動的に見えるから不思議だ。
一見すると、ずぼらな駄目なお姉さんに見えないのだが、その癖、注視すればするほど、好きの無い手入れの良き届いた美を証明する。そんな曲者な居候こそが、我が姉貴分である草本さんなのだ。
ちなみに、下の名前で呼ぶと照れる。
「初めまして、伊織君の友達の七尾楓です。いえ、伊織君には私たちの方こそ、毎日お世話になっていまして。ねぇ、鈴音?」
「え、あ、はい…………天野……君の、友達の、倉森鈴音、です」
そして、俺の後ろに楓と倉森が居るのにも当然、理由がある。
昨日、楓と太刀川の扱いに関して色々話し合った俺たちだけれども、実際、年頃の女子が同居するとなると、どのような配慮をしていいのか、分かりづらい。加えて、このことに関して、関係者である倉森の意見も聞かなければいけないので、こうして、放課後に三人で俺の家に集まり、作戦会議という流れだったのだ。
そういう流れ、だったのだが…………どうして、普段居ない時間帯に、こうして我が家の大人が二人とも揃っているのだろうか?
「叔父様、今回の頼み事、聞き入れてくださってありがとうございます。お礼と、伊織君の友達としての挨拶も兼ねて、一度お会いしたかったところです」
「いやいや、うちの若造にはもったいない、良く出来たお嬢さんだ。これからも、未熟者ではありますが、伊織をよろしくお願いします」
「いえ、そんな、いつも伊織君には助けられてばっかりで」
天使の笑みを張り付けた楓と、飄々とした笑みを浮かべた叔父さんが挨拶を交わし合う。
恐らくは、この二人が俺の知らぬ合間に連絡を取り合って、タイミングを見計らったのだろうけれども、せめて、どちらでもいいから一言教えて欲しかった。
「ねぇねぇ、君も伊織のお友達なのぉー? へぇー、珍しいなぁ、君みたいなタイプと友達になるって。そもそも、女子の友達自体が珍しいんだけどねぇー?」
「あの……ちか……胸が……」
「んあー? ごめんごめん。可愛い子を見ると、ついついくっつきたくなってさぁ。まぁ、お姉さんからのスキンシップだと思って」
「……うぅ、天野ぉ」
叔父さんと楓のやり取りを眺めていると、いつの間にか倉森が草本さんに捕まっているのだから驚きである。倉森から珍しく助けを求めるような弱々しい声が聞こえたかと思ったら。
「ふへへへ、懐かない野良猫を無理やり抱きしめているみたいで気分が良いよー」
「たしゅけて……たしゅけて……」
見ると、倉森の小柄な体が、草本さんの豊満な体に沈むように抱き着かれており、これは同性同士でもセクハラ案件だ。
「このセクハラ駄目人間!」
「みゃん!!?」
なので、俺は容赦なく草本さんへ制裁を加える。
形の良い草本さんの尻を、俺は割と手加減少な目でぶっ叩く。すると、すぱぁん、という快音が響き、草本さんがそのまま尻を抑えて床に蹲った。
「まったく、珍しく酒を飲まずに素面で居ると思ったら! 可愛い女の子見たら、すぐに手を出す節操のなさを反省しなさい!」
「うぅ……弟が叩いたぁ……」
「叩かれるようなことをする方が悪い! ほら、さっさと部屋に戻る! もしくは、仕事に行ってきなさい」
「はぁーい。ううう、女子高校生と絡めるチャンスだったのにぃ」
俺は草本さんの尻を蹴って、早急にこの場から退場させた。
やれ、草本さんは可愛い物に目が無いから困る。それでいて、訴えられない程度にセクハラをするのが趣味という、どうしようもない性癖なのだから仕方ない。これから同居することになる太刀川に、魔の手が伸びない様に俺がしっかり守ってやらなければ。
「天野、お前の姉さんさぁ……」
「悪かった、悪かったから、そんな涙目で俺を睨まないでくれ」
「私はいきなり抱き着かれるような女子のコミュニケーションが大嫌いなんだ」
「うん、知っている。だから次からは遠慮なく蹴り飛ばしていいよ。俺が居る時は、俺が守ってやるけど」
「ん、存分に守れよ?」
偉そうに言いながらも、俺の背中にくっ付いて離れない倉森。
その様子が、何やら母猫にしがみつく子猫のような微笑ましさがあって、俺はついつい苦笑を零してしまう。
「ああ! 浮気してるぅ!! 鈴音! 私よりもそんな男がいいの!? ええい、この間男!」
などと微笑ましい時間も僅かに、楓が倉森と俺の間に割って入ろうとして来る。
苦笑が深まり、俺はやれやれ、と肩を竦めた。
鈴音関係になると余裕が無くなるのが、今のところ、楓の最大の弱点だと思う。
「誰が浮気するか! というか、いつの間にか、天野に『楓』って呼び捨てにさせている癖に、人のことばっかり!」
「はぁー? 呼び捨てにさせたのはそっちの方が先じゃん! 友達認定も、そっちの方が先とかちょっとずるい!」
「ずるくない!」
「やめて、俺のことで争わないで! いや、マジで」
二人との間には、友情が結ばれている俺であるが、その二人が恋人同士なのだからややこしい。しかも、こうやって時々、愛情を確かめ合う様に突発的に喧嘩するのだから、姦しいったらありゃしないのだ。
俺は助けを求めるように、この場に残った大人へ視線を向けようとする。
だが、居ない。いつの間にか、叔父さんの姿は煙のように消えていて、少なくとも、玄関内には見当たりはしなかった。
「…………あれ?」
「ああ、叔父様だったら、仕事に行ったわよ? なんでも、『これ以上は野暮になりかねない』だって」
「やれ、勝手な物だな、大人って」
「まぁまぁ、私にちゃんと貴方のことをよろしく頼むと、頭を下げてくれる良い叔父さんじゃない。確かに、ちょっと気配は得体が知れないところはあるけど」
「叔父さんだからな、それは仕方ない」
天野伊織の血縁ということは俺も知っているのだが、実の甥が、別人のような振る舞いを見せても、飄々と対応する昼行燈気取りだ。興信所紛いの仕事やら、探偵紛いの仕事の手伝いをバイトでさせてもらっているのだが、いまいち、職種が限定出来ないし。
間違いなく、身内であり、俺の味方ではあるのだが、油断ならない人なのだ。
「それはそうと、伊織君にはお話があります。後、恐らく鈴音にも」
「ほへ?」
「ん? 早速作戦会議か?」
「もちろん、作戦会議もするけれど、その前にちょっと気に入らないことがあってね?」
楓は天使の微笑みで、がっしりと倉森の二の腕を掴む。
互いに言い争う形で近づいていたので、楓の手から逃れることは出来なかったようだ。
一方、この俺は薄々予感していたので捕まれはしなかったのだが、『逃げたらわかるな?』という怒気の籠った視線を向けられれば背中を向けることは出来ない。
オーケー、チャマ。大人しく、君の言葉を聞こうじゃないか。
「――――私、伊織君のご家族の事、さっき叔父様に教えてもらって、初めて知ったのだけれど?」
「「…………あー」」
「ふふふっ、その様子だと、鈴音だけには教えていたみたいね? ふふ、ふふふふっ、友達って、恋人って、なんでしょうねぇ?」
美しさは、時に迫力に繋がる。
天使の笑みも時には、悪魔のそれを凌ぐほど人の肝を冷やす物だ。
楓との付き合いが俺よりも遥かに長い倉森は、ここで速やかに大人しくなった。どうやら、こうなった楓に対して、下手な抵抗は逆効果らしい。
ならば、俺も先人に習うとしようか。
「私を仲間はずれにした理由、詳しく話してくれるかしら?」
俺と倉森は、大人しく楓の言葉に頷いた。
どうやら、天使が怒ると悪魔よりも怖くなるらしい。俺はそれを今日。身を持って思い知ったのだった。




