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第25話 太刀川美優という、影

 太刀川美優という少女について、楓さんは知る限りのことを俺に説明してくれた。


「影人と言ってもね? 漫画やラノベの世界にあるような、主人のためならば、自分の存在すらも使い潰すような、狂信、妄信、機械的な忠誠は求められていないの。一時期、それこそ戦時中の混迷した時代だったのならばともかく、もう新しい時代の、平穏な国の付き人よ? そういう絶対的なイエスマンよりも、私たちのような家の人間は、互いに認め合えるような隣人を求めたわ」


 太刀川一族は、古くから七尾の家系に尽くしてきた影人の一族の一つらしい。

 七尾の家系に付き従う家は少なからず、けれども、影人となる栄誉を得る権利を得た一族はとても少ない。故に、名誉のために、時に、命すら投げうって、主人の影となるのが、影人の一族にとっての本懐なのだとか。

 そう、今から五十年以上前は、そういうスタンスでやっていたらしい。


「きっかけは、お爺様だったらしいわ。なんでも、『古くせぇ、古くせぇ。テメェの意見に頷くだけの人形が欲しかったら、マネキン抱えておままごとでもすりゃあ良いだけの話だろうが』と親戚一同が集まる会合の中で、啖呵を切ったんだって。実際、戦後も大分昔のことになって、情報化社会の現代を渡っていくにあたって、その手の醜聞をいつまでも抱えていくのを一族は良しとしなかったみたい。だからこそ、父の代からはきちんと、対等な雇用主として、影人や護衛の人たちを扱うようになったの」


 だから、兄や姉の影人なんかは、驚くほど口が悪いのよ、と楓さんは微笑みながら語った。

 物言わぬ影としてではなく、物言う相対者としての従者。

 主人、従者共に互いを試し合い、互いに足る人物であると証明し続けることこそが、現在では主流となっている影人との付き合い方なのだとか。

 そのため、傲慢な部分が多い楓さんの兄は、ちくりと隣から小言で足を引っ掛ける影人。

 自由奔放過ぎて、成人してからは滅多に家に帰らないという楓さんの姉には、常識人で、唯一、言うことを聞かせることが出来る影人。

 彼らは従者としては不遜な物言いをしながらも、自らを映し出す鏡のように、楓さんの家族は重宝しているようだ。


「ただ、私の影人である美優はちょっと、昔気質というか、主流よりも一昔前の影人を気取りたがることがあってね? 無論、個人の意思をとことん消し去るような教育なんて、今はやらせてないのだけれど、それでも、彼女は私を狂信しているの。七尾楓という超人を、彼女はまるで神様のように信仰しているのよ」


 けれども、太刀川と楓さんの関係は、また別物。

 七尾家や、楓さん自身がそう望んだわけでは無いのだが、幼い頃から人間離れした美貌と才能を誇っていた楓さんに、太刀川は心酔してしまった。

 そのため、対等な関係であることよりも、主である楓さんの影として、静かに付き従い、時に雑事を片付ける『仕事人』タイプになることを選んだらしい。


「だから、私以外の人間を、自分を含めて低く見積もっているの。少なくとも、私の身内、私と同等以上の能力を持つ者でなければ、きっと認めないでしょう。あの子は、差別ではなく、区別主義者なの。でも、決して情が無いというわけでは無い。むしろ、情がありすぎてしまうからこそ、あの鉄面皮の無表情になったと言ってもいい。冷静で感情の無い、忠実な従者となりたいからこそそういう風に努めては居るけれども、本当はもっと明るくて愉快な子なの。私の影人になっていなければ、もっとたくさんの人に囲まれて、友達もたくさん出来ていたと思うわ」


 されど、太刀川はその狂信故に、融通の利かないところもあった。

 無表情の仮面を被っていても、その下には様々な激情が渦巻いている。

 俺と楓さんの交際に関しても、太刀川は表面上、『楓様の意思を尊重します』などと気取ってはいたらしいのだが、仮面の下では、凄まじいほどの嫉妬に駆られていたのかもしれない。

 明らかに、見た目も何もかもが釣り合わない男が、自分の神聖なる信仰対象を汚そうとしたのだ。なるほど、それは過激な手段を取るのも納得だ。

 古今東西、宗教ほど人を救い、また、人を貶める物は無いのだから。


「私の言葉になんでも従う子だったら、私はきっと、彼女に偽装関係のことを教えていたと思うわ。でも、仮にそうだったとしたら、もっと早くに私は彼女を影人という立場から遠ざけていたかもしれない。私はね? あの無表情だけれども、必死に仮面の下で色々考えて、精一杯頑張っているあの子が好き。好きだから、一緒に居た。だからこそ、私は鈴音や偽装関係のことをあの子に相談することが出来なかった。私を高く置きすぎる彼女はきっと、私たちのことを認めてくれないだろうから。でも、まさか誰かを傷つけるような真似をするとは、思わなかったわ。そこまで、彼女の心を、私の存在が縛り上げて、歪ませているとは思わなかったの」


 太刀川美優という少女は、従者ではない。

 その本質は、七尾楓という『自分の理想の偶像』を崇める信仰者だ。そのため、解釈違いが発生すると、楓さんの意向すら外れて動くこともある。今までにもそういうことはあったらしいのだが、今回は特に酷いようだ。

 そのため、一時期。楓さんは俺との偽装関係を解消することさえ考えた。これ以上、俺に対して迷惑をかけないようにするためだ。

 けれど、俺が太刀川に恋をしているという情報を得て、考え方が変わったらしい。


「ただ、そんな時に、あの子に恋をしてくれる人が現れた。それが、貴方よ、伊織君。あの子は、とても可愛らしいのだけれど、仏頂面ではなくて、私と身内以外にそっけない態度を取り続けていた。私の影人として生まれなければ、きっと今の貴方と同じように、多くの男子を恋に落としていたかもしれないけど、今、あの子に対して真剣に恋をしているのは、恐らくは貴方だけ」

「…………俺に、どうしろと?」

「言ったでしょう? 仲良くなって欲しいのよ、うちの子と。あの子の固定概念を壊して、もう一度、私の影人として、物言う影として一緒に居て欲しい。そのために、貴方にあの子と仲良くなって……ううん、惚れさせて欲しいの」


 つまりはこういうことだ。

 曲がりなりにも、自分以上の力量を見せて、なおかつ、信仰対象である楓さんの恋人役である俺に対しては、太刀川は否応なしに意識せざるを得ない。そっけなく、他の有象無象と区別することが出来ない。

 それを利用して、俺と太刀川をどうにかくっつけようという作戦だ。

 要するに、恋人の一人でもできれば、お堅い太刀川の頭も少しは解れるんじゃないか? という結構安直な作戦である。

 まったく、俺が太刀川に恋をしていなければ、この場で契約を解除していたかもしれない、ひどい作戦だ。


「無論、私が全面的にバックアップするわ。襲撃に関しても、貴方と一つ屋根の下で暮らすことによって、逆に動きづらくなる。流石に、顔が割れた状態でこれ以上何かをしようと思うほど。あの子は愚かではないわ」

「命に代えても、我が主の盲を晴らす、とかは?」

「以前、私の友人関係に口を出そうとしたとき、それをやったら即座に私も自害すると言い含めているから大丈夫よ」

「大丈夫じゃねぇよ、色々と」


 はぁ、と俺は大きくため息を吐いた後、さらに楓さんに尋ねる。


「これが、アンタの償いか?」

「…………ええ、そうよ。そうなの。この酷い作戦が、私なりの償い。貴方の恋を成就させて、あの子の妄信を砕いて、あの子に私の真実を教えられるようになるための、作戦」

「確かに三方良しの作戦だな。成功すれば、話だが」

「わかっているわ。それに、あくまでこれは私にとって都合の良い話。出来る限り、あの子を酷い目に遭わせたくない…………いえ、結局は私が痛い目に遭いたくない、という一心からのこじつけみたいな作戦よ。気に入らなければ、断ってくれてもいい。ただ、どうか、お願いします。私に支払える対価なら、どれだけ時間がかかっても――」

「違う、そうじゃない」


 何かに追い立てられるように言葉を紡ぐ楓さんを止めて、俺は言葉を割り込ませた。


「いいか? 難しく考えすぎなんだよ、アンタは。確かにさぁ、俺とアンタの始まりは、契約関係だったかもしれない。だけどさ、それなりに言葉を交わして、三人で一緒に居ることも増えて。何とか、一緒に難局を乗り切ってきた仲だろうが。そんな相手の身内が、多少、馬鹿をやったからと言って、俺はそんなに怒ってない。少なくとも、楓さん本人にはな? あの仏頂面にはいずれ、必ず頭を下げさせるとして、だ」


 今度は、俺が楓さんの口を塞ぐように。

 けれども、ハードボイルドを気取る俺は、気安く少女の口元には触れない。そっと、彼女の口元に手をかざして、罪悪感に塗れた言葉を制する。

 言葉を制して、けれど、今まで遠すぎた距離を詰めるかのように、一歩、俺なりの言葉で七尾楓という少女へ、近付く。


「もっと単純で良いんだよ、楓。だって、友達が困っていたら助けるのは当然だろうが」

「…………あ」


 くしゃり、と一瞬、彼女の美貌が歪むが、直ぐに表情を作り直して、楓さん――楓は笑みを作った。外面としての天使の笑みではなくて、凛々しくも、親しみやすい少年のような笑みを。

 気づけば、制していた俺の手は、彼女の手の中で握られていて。


「じゃあ、友達が恋愛で悩んでいたら、相談に乗ってあげるのも、当然?」

「ああ、そうだとも」


 お道化るように俺が答えると、楓もまた、笑みを浮かべたまま、可愛らしく小首を傾げた。


「気障な人ね?」

「それ、倉森にも言われたぜ」


 かくして、俺たちは互いの利益と友情のために、手を握り合うことにしたのだった。

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