第24話 償いと妥協
正直に言おう。
バレる要素は皆無だと思っていた。いや、こうして面と向かって指摘された今ですら、上手く誤魔化せばきっと、バレることは無いと信じている。
故に、俺は努めてニヒルな笑みを口元に浮かべ、自信たっぷりの声で応えた。
「な、んなあああああんななんんあなあんあな、んんおことだんぁあ?」
「落ち着いて、伊織君。悪霊みたいな声になっているわ」
「こひゅぅううう、こひゅぅううう」
「白目剥きながら、過呼吸にならないで?」
だが、どうやら俺の脳内から現実への出力の間にノイズがあったらしい。
俺は即座に、側頭部へ自ら打撃を入れて強制的に精神を鎮静化。スクールバックから、手ごろなコンビニのビニール袋を取り出して、それに口を突っ込み、何回か呼吸を重ねて、過呼吸状態を解除。
そして、お冷で喉を潤した後、今度こそニヒルな笑みを浮かべて、楓さんへ応えた。
「ふっ。一体、何を言っているんだ?」
「伊織君。自分でも誤魔化せないと分かっているのに、現実逃避をするのは良くないわ。というか、思った以上のリアクションで正直、驚いたわ。え? そんなに好きなの?」
「…………は、はあああぁああああ? す、好きとかァ、そんなわけないだろうがァ!? おま、あれだぞ! 襲撃してきた相手だぞ!? スタンロッドで襲ってきた相手を、お前、好きになるなんて、そんな!」
「ああ、やっぱりうちの美優がやらかしていたのね、ごめんなさい」
「んんんんんんんんん!!」
俺は下唇を噛み、そのままテーブルへ突っ伏して呻く。
なんなる不覚だ。たかが、恋の相手を指摘された程度で、心が揺らいで不用意に相手の推測を確定させてしまうとは。
これじゃあ、ハードボイルドとは程遠い、ただの間抜けじゃないか。
「殺してくれ…………俺を殺してくれ……」
「落ち着いて。本当に落ち着いて。伊織君。今回の件で責められるのは、私たちだから、自傷ダメージで倒れないで?」
俺がテーブルで突っ伏していると、正面に居たはずの楓さんが隣の席までやって来て、献身的に励ましてくれる。かつてないレベルで、俺は今、同学年の女子、しかも、依頼人に慰められているという状況に、さらに心が苦しくなるのだが、楓さんの言う通り、勝手に自滅するわけには行かない。
「どうして、分かったんだ? 俺が、その、楓さんの影人――太刀川へ、恋をしてしまったのだと、どうして、気付けたんだ?」
ぐっと胸の痛みに耐えて、俺は体を起こす。
そして、傍らで心配そうに視線を向けてくれる楓さんに対して、問いかけた。
一体、どのような推理でその結論に至ったのかと。その明晰な頭脳と、人並外れた観察力で、俺の内なる秘め事を見抜いた過程を教えて欲しいと、頼み込んだ。
「だって、恋をしている顔をしていたもの」
「…………恋を、している、顔?」
「もちろん、一目見て気づいたわけではないわよ? ただ、私は薄々美優が、貴方を襲った襲撃犯だと気づいていたから。そうすると、次は、『どうして、伊織君はそのことを私に報告しないのか?』という疑問が浮かんできたわ。私に気を遣って、内々に問題を解決しようとしていたのか。それとも、美優に対して、何かしらの事情があって、配慮していたのか。いいえ、恐らく、貴方はそのどちらともだったと思うのだけれど…………こう、ね? じっくりと貴方を観察すると、分かってしまったのよ」
「お、俺が、奴に…………太刀川に、恋をしてしまった、と?」
「ええ、だって、好きな女子が隣に席に居る小学生男子みたいな挙動をしていたもの」
しょ、小学生……男子……こ、この俺が……高校生にもなって……そんな挙動を。
「嘘だと言ってくれ……」
「ごめんなさい。でも、本当なの。意識しないように視線を逸らそうとしているのに、横目でちらちら見てしまう動作とか。何か張り合おうと、不自然に気合を入れるタイミングとか、その、控えめに言ってもバレバレだったわ」
「そんなに? え? そんなに? 楓さんが優秀過ぎる所為じゃなくて?」
「う、うーん。恋をしたことがある人だったら、大体わかるかもしれないわ」
俺は楓さんの言葉によって、さらに動揺した。
いや、だって、そうだ。そうなってくると、もしかして、太刀川にすら己の無様な恋心がばれてしまっている可能性すらあるのだ。
俺は焦燥に急かされながら、必死に言葉を紡いで、楓さんを問い詰める。
「そ、そんなわけないだろ!? だ、だってさ? 常識で考えたら、そんなことあるわけがないだろ? な?」
「ええと、身内に評価かもしれないけど、あの子だって私に及ばずとも可愛らしい子だし。うん、黙っていれば」
「だ、だって、そんな! 気づけるわけがない! 誰でもわかるわけがないだろ? そ、そんな、だって――――襲撃犯を叩き伏せて、その覆面を剥いだその瞬間、一目惚れするような奴が居るなんて! そんな荒唐無稽な結論に達するやつなんて、居るはずがない!」
「えっ?」
「えっ?」
ぽかん、と呆気に取られたように半口になる楓さん。
あれ? 何か自分、変なことを言ってしまっただろうか? いや、襲撃犯に一目ぼれ自体、変な事としか言いようが無いのだけれど。
「…………ええと、ね? 伊織君。良く聞いて欲しいの」
「はい」
やや困惑しながらも、楓さんはまるで、不出来な弟に優しく教える姉のように、俺へ語り掛けた。
「私はね? てっきり、その、伊織君が以前から美優のことを好きだったんじゃないかな、とさっきまでは考えていたの」
「…………あっ」
「うん、貴方の言う通りよ、伊織君。私は常識的に考えて、以前から美優に恋していた貴方が、襲撃犯になった彼女を庇っていたのだと、考えていたの」
喉の奥が。ひゅっ、と締め付けられるような感覚だった。
十三階段とも知らず、自ら、意気揚々と一段飛ばしで、階段を駆け上がっていた気分だった。
もはや、事ここに至って、弁解するのすらも馬鹿馬鹿しい。
「一目惚れ、だったの?」
「…………はい」
こうして俺は、荒唐無稽な初恋を、見事に暴露してしまったのだった。
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墓穴を掘るとは、まさしくこのことだろう。
はっきり言って、死にぞこないの自分には相応しい所業であり、叶うのならば、このまま自分の掘った墓穴で永眠したいところだが、そうもいかない。
俺は確かに間抜けで、ハードボイルドには程遠い男かもしれないが、それでも、言わなければならないことがある。
「楓さん。もはや隠すのも意味が無いから、はっきりと言おう。俺はとても不本意なことに、アンタの影人である太刀川に恋をしてしまったらしい。原因は不明。ただ、一目あいつの顔を見てから、一時たりともあいつのことが頭から離れないという重症具合だ」
「思っていたよりも数段重症だったわ」
「だが、だがしかし、だ! そのことを考慮してもなお、俺はあまり同居には賛成的ではない。年頃の男女が一つ屋根の下という環境もそうだが、何よりも」
俺は一呼吸置いてから、楓さんの碧眼を見据えて、言う。
「楓さんに、身内を騙して、陥れるような真似はして欲しくない。俺への罪悪感でそうさせているのであれば、俺は断固として拒否する。俺に気を遣って、そんな提案をするのであれば、俺はアンタを怒らなければいけない。依頼人として、じゃなくて。こうして対等に会話できる、友達として」
この時ばかりは、浮ついた恋心など完全に封殺して、俺は忠告した。
俺が考えている以上に、楓さんにとって苦渋の決断かもしれない。それくらいお膳立てしないと、償えないと思い込んでいるのかもしれない。
だけど、そうだったとしても、俺は、楓さんのような美しい人に、そんな美しくないことをして欲しく無かったのだ。
「…………ふふっ。それは、身内である美優に、嘘を言われていたとしても?」
「許してやってくれ、何て言えない。何せ、俺は太刀川のことをさっぱり知らない、ただ、一目惚れしただけの男だ。だけど、それでも、やめてくれ。そりゃあ、太刀川に恋をしてしまっている俺の胸が痛くなるのもそうだが、何より、アンタにはそんな姑息な真似は似合わない」
「そう。そっかぁ……似合わないかぁ」
真剣な言葉を選んで、シリアスな表情で進言だったと思う。
しかし、戦々恐々としていた俺の内心と反して、楓さんは花開くような可憐な笑顔を浮かべて、こう答えたのだ。
「――――安心した。そう言ってくれる貴方だからこそ、私は美優のことを預けたいと思うの」
…………はい?
目を丸くする俺に対して、楓さんは微笑みをすっと消して、真剣な表情を作ると、そのまま深々と、テーブルに額が着くほど頭を下げた。
「伊織君、どうかお願いします。あの子と仲良くなってあげてください」
俺は、余りにも美しいその所作に、茫然と目を奪われることしか出来ず、数秒後になってからようやく、楓さんが頭を下げた理由について疑問に思ったのだった。
え? どうして、そういう結論になったの?




