第1話 偽装カップルはラブコメの王道
隔日で一時更新を今後、目指していきます。
さて、少々遅れてしまったが、自己紹介と行こうか、チャマ(お友達)。
俺の名前は、天野 伊織。
東北地方のとある田舎町に生を受けて、それなりに元気に育っている高校二年生だ。
勉強は中の下。運動は上の下。容姿はぱっとしない黒髪の優男。良い人と言われることはあるけれど、誰かの恋人にするには物足りない男。さながら、背景のモブの如き有象無象の一人が、この俺である。
そんな俺がまさか、七尾さんみたいな美少女と、笑顔で言葉を交わすような仲になるとは、思いもしなかったぜ。
「言っておくけど、交渉に乗らないというスタンスは認めないわ。絶対に」
そう、噂の天才美少女様から、こんな迫力が込められた視線を向けられるとは思いもしなかった。やれやれだぜ、と俺は某漫画の主人公の如く溜息を吐いて、お冷を口にする。
もうすぐ、初夏に差し掛かろうとする田舎町の温度は、東北でもやや暑苦しく、冷たい水は渇いた喉をよく潤してくれた。
「俺としては、『何かあった?』というスタンスで居たいんだけど?」
「認められないわ」
「口外はしない。したところで、俺よりもアンタの方がカースト上位だろう。大体、俺一人の発言なんざ、アンタが否定すれば波風なんか立たない。むしろ、迂闊な発言をした俺が狼少年扱いを免れないだろうさ」
「…………そうだとしても、放置は出来ないわ」
潤した喉で、七尾さんと言葉を交わしているわけだが、どうにも強情だ。
そりゃあ、一昔前や、そういう事が重い刑罰を科せられている場所ならともかく、ここは現代日本。自由恋愛が推奨される現代社会の学び舎だ。おまけに、キスの一つ程度で校則の違反云々を問題にするのも馬鹿らしい。
だというのに、七尾さんの反応は強情だ。
明らかに、話を掘り下げない方が、お互いにとっての最善であるはずなのに。
「あれは、お遊びだった。俺はアンタたちの『少々悪ふざけが過ぎたお遊び』の現場を見ただけ。アンタにそういう風に説明されたら、俺は素直に納得できたと思うのだが?」
お遊び、という言葉に倉森さんが反応して、こちらへ憎々しい視線を向けてくる。
いやいやいや、そこでそういう反応は止めてくれよ、倉森さん。相手に確証を持たせるリアクションはよろしくない。否が応でも気づいてしまうじゃないか。
「そうかもしれないわ。でも、そうとは受け取らない人もいるかもしれない」
「釘を刺せばいいだろうが。この学内で、アンタに、そう、七尾家のご令嬢から本気で釘を刺されて、それでもなお、減らず口を叩ける奴は少なくないだろうに」
「万が一ということもあるわ」
「だとしても、だ。交流が全くない俺を信じられず、何かしらの口止めをしたい気持ちも分からんではないにしても、だ。明らかに、悪手だろうが。ここまで神経質に、強情に『口止め』の交渉を望んでいるってことはつまり、それだけの弱みだってことだろう?」
「ええ、否定しない。『何も見なかった』と言われても、万が一や、もしもに怯えて、昨日からろくに眠れなかったぐらいには、私の弱みであることは否定しない。もっとも、容易く付け込める弱みだと思われては困るのだけれど」
「そうかい。じゃあ、おっかないから、何もかもを忘れて終わりにしよう」
「駄目。例え、忘れていたとしても、ふとした拍子に思い出してしまうかもしれないし。ここまで言ってしまった相手を、易々と帰すわけには行かないわ」
「はぁ。七尾さん、アンタは何がしたいんだ?」
からん、と氷だけが残ったグラスを弄びつつ、俺は七尾さんに問う。
放っておけばよかった。
自信満々に構えて、仮に、何か噂が流れようが、鼻で嗤って否定すればよかった。
次点で、俺が何事も無かったという風に言ったのだから、素直にそこで釘を刺して終わらせればよかった。人間は、リターンに見合わないリスク嫌う物なのだから。
ただそれだけで、何もかもが万事片付いたというのに、態々俺を呼び出して、弱みを認めて、強情に交渉のテーブルに着くことを要求している。
…………噂に聞く天才美少女様にしては、余りにも杜撰。笑顔の仮面で隠しているが、言葉の裏からは隠しきれない焦燥が滲んでいた。
となると、考えられることは一つ。
俺が考えているよりも、あの夕暮れの教室の光景は、当事者たちにとって重く、心臓部を曝け出してしまったほどに重いようだ。
本来であれば、どうとでもできる相手にここまで狼狽してしまうほどに、部外者の他人に知られているというだけで、心が病んでしまいそうになるほどに。
ならば、俺に対して要求する物は決まっている。
「私たちはね、天野君……安心したいのよ」
つまりは、保証。
俺が万が一にも口を開かない保証が欲しいのだろう。
例えば、釘を刺された後でも、『喉元過ぎれば熱さを忘れる』なんてことにならないように、俺の弱みが欲しいのだ。自分たちが曝け出してしまった、心臓部と同等の弱みが。
だが、悲しいかな、そんな弱みなど俺には存在しない。
平々凡々とはいかないが、品行方正に生きてきたクリーンな男子高校生である。例え、七尾家が…………ここら辺一体に君臨する地主の一族が総力を挙げたところで、弱みなんて見つかりはしない。
いや、そもそも、俺の予想だと、七尾家に所属しているが故の権力は、相手は使ってこない。使えない。そういう類の弱みのはずだ。
「安心が欲しいのなら、今は手軽に信仰を選べる時代らしいぜ?」
「生憎、心の拠り所を空虚な物に預ける趣味は無いわ」
「じゃあ、アンタの安心はどこにある?」
「そうね。貴方の懐の中、とかどうかしら?」
「残念。アンタほどの有名人の懐なら、きっとさぞかしい素敵なお宝があるかもしれないが、俺の懐にあるのは当たり前の物しかない」
「そう。なら、例えばのお話なのだけれど――――その懐に爆弾を抱え込むとしたら、どれだけの対価があれば、見合うかしら?」
「…………やれやれ、だぜ。本当に」
何言ってんだ、こいつら? みたいな視線を倉森さんから向けられるが、俺たちは現在、仰々しく回りくどい言い方をしなければ情けなくなってしまうやり取りをしているのだ。
要するに、
『どうやったら安心するの?』
『貴方の弱みを見せてくれば安心するよ! 私たちと同じぐらいの弱み!』
『そんな弱みを凡人が抱えていると思うなよ?』
『じゃあ、弱みを作って抱えて? お金は払うから!』
『えー』
という流れである。
何が悲しくて、高校二年生にもなってこんな情けない会話をしなければならないのやら。
「逆の立場だったら、アンタはこの提案を受けるのか?」
「受けないわ。でも、受けて」
「素敵な笑顔だ。一昨日までだったら、そんな笑顔を向けられたら恋に落ちてしまったかもしれないな。じゃあ、そういうことで」
「待ちなさい。私に安心を与えないと、どんな暴走をするか分からないわよ? いいの? 貴方を拉致して、強制的に弱みを作るために撮影会を開始して、その途中で罪悪感に耐えきれなくなった私が号泣しても」
「どんな撮影会をするつもりなんだよ、落ち着けよ」
「正直に言うわ、天野君。私は今、冷静さを欠いています」
「だろうな」
「口を開けば開くほど、泥沼にはまっていく気分よ、眠い」
「帰って寝ろ」
「安心しないと、心配で吐きそうだわ、ふふふ」
「…………はぁ」
外面だけは天使のそれで余裕たっぷりなのだが、どうやら中身は俺が想像していた以上に追い詰められていたらしい。
こういう追い詰められた人間とは関わらないのが一番なのだが、既に関わってしまって、矛先が自分に向く可能性があるのであれば、放置は出来ない。
俺は深々とした溜息を再度吐くと、思考を切り替えた。
仕方ない、火の粉を被せられて火達磨になるぐらいならば、泥を被った方がマシだ。
「なら、安心とまではいかないが、アンタが眠れるぐらいには不安を軽くするための交渉を始めようか」
「ふふふ、ありがとう。手始めに、退学になってしまう系の犯罪行為を録画させてくれる?」
「倉森さん。アンタの相方が壊れ始めているから、直してくれ」
「…………ん」
「みぎょっ!?」
倉森さんに脇腹を突かれ、悶絶する七尾さんを傍目に、俺はメニューを取った。
長い交渉になりそうなので、ドリンクバーと軽食の一つでも頼むとしよう。
●●●
「そうだ。天野君、私と交際すればいいのよ」
「「は?」」
寝不足による吐き気を抑えている七尾さんを除き、俺たち二人は軽食を摘まみながら交渉していた。ああでもない、こうでもないと頭を悩ませながら、妥協を重ね、互いに得することなどほどんどないであろう不毛な交渉を重ねていた時だった。
いい加減、微笑みに疲れが滲んでいた七尾さんがふと、天啓でも降りてきたかのように発言したのである。
発言内容の所為で、俺たちには唐突に発狂したとしか思えなかったのだが。
「何? 浮気?」
「ごめんなさい。人に弱みを作ろうとする人はちょっと」
「違うわ、二人とも。そういうことじゃないの」
「じゃあ、どういうこと?」
俺は呆れていただけだが、推定恋愛関係中にある倉森さんはいきなりの浮気にご立腹だ。七尾さんの横腹を肘で痛烈に打撃して、冷たい視線を向けている。
「偽装。偽装の恋人関係を演じるのよ、私と天野君で。そうすれば、七尾家に対する目くらましにもなる。それに、一度でも私と恋人関係になったと周知すれば、それ自体が天野君の持つ弱みになるわ。何せ、七尾家の跡取り候補の一人である私と恋人関係になるもの。私の発言次第で、ワンチャン、天野君を退学まで追い込めるようになるの」
「倉森さん。この人のどういうところを好きになったんだ?」
「顔と体。後、こういうところ以外」
天使の笑みで、悪魔みたいなことを語る七尾さん。
控えめに言っても、俺にその提案は損しかないように見えるが…………まぁ、いいだろう。ここら辺が落としどころかもしれない。
何せ、その提案でリスクを飲むのは俺だけではないのだし。
「わかった。アンタら二人がそれでいいのなら、こちらはその提案を飲もう」
「え? いいのかしら?」
「ああ、アンタらにもリスクがある提案だからな。仮に、偽装関係になった俺たちのどちらかが、片方を破滅させようとすれば、連鎖的にもう片方にも被害が及ぶ可能性がある。少なからず関係者になるんだからな。俺がアンタらの秘密を口にしたのなら、恋人関係を逆手にとって、あること無いこと噂を流して俺を破滅させればいい。逆に、アンタらが俺に対して不義理をするのであれば、俺は七尾家に弱みを密告すればいい……そういう提案だろ?」
「…………あっ」
おい、なんだその顔は。
やっべ、みたいな表情を浮かべるな。隣で倉森さんがジト目で睨んでいるから、もうやらかし確定しちゃっているじゃん。
そもそも、七尾家という田舎町の権力に所属する七尾さんが狼狽する類の弱みなど、そういうことだと暗に理解できているので、今更なのだが。ここに来て、駄目押しをするから逆に、分かって言っていると思ったのだ。
「ふっ、そういうことよ」
なお、七尾さんは三秒で表情を整えて、笑みと共に誤魔化した。
遠巻きからだと完璧超人に見えた七尾さんだったが、案外、抜けているところもあるのかもしれない。
けれど、やっと話の方向性がまとまってきたのだ、追及する必要はないだろう。
今は、それよりも、だ。
「わかった。じゃあ、そういうことで、『依頼』ってことで良いんだな?」
「え、あ、そうね」
「じゃあ、依頼内容を詰めていくか。具体的な偽装交際の内容。期間。互いの取り決め。緊急時における連絡先の交換。そして、何より、報酬だ。まさか、アンタらの過失に付き合わされることになった相手に、なんのお礼も無しって不義理はしないよな?」
ようやく、面倒ごとが仕事になったのだ。
面倒ごとは嫌いであるが、血肉になる仕事ならば、喜んで。
そう、俺はこれでも真面目な勤労少年なのだから。