第17話 虎は問う
兄妹。
家族が同居人と叔父の二人しかいない俺からすれば、羨ましい限りではあるが、何事も、多ければ良い。居れば良い、という風には物事は簡単ではないようだ。
「…………えー、うちの兄が大変失礼しました。ほらっ、自己紹介」
「…………ちっ」
「はい、うちの兄の名無しの権兵衛クソ野郎です」
「倉森 虎尾だ!」
「今年の春に就職失敗して、現在アルバイターの高卒です」
「うっせぇ! ほとんどの会社が書類審査で落としやがるんだよ! 実力は確かなのに!」
「内申と素行とその髪の所為だろうが、クソ兄貴ぃ!」
少なくとも、倉森にとって兄――虎尾さんの存在はちょっと複雑らしい。
無論、口論しながらもなんだかんだ、その根底には親愛のような感情を伺わせることから、不仲というほどではないだろうが、やはり、気恥ずかしい物があるのだろう。何せ、あんな会話をした後に、これから別れるという時に兄がやって来て、話をかき乱せば、そりゃあ、倉森でなくとも気恥ずかしくなってしまう。
「どうも、倉森……さんのクラスメイトの天野伊織です。お兄さん」
「誰がお義兄さんだぁ!!?」
「えぇ……」
ともあれ、ファーストコンタクトは最悪に等しい状態だったのだが、将来は社会人となる俺である。にこやかな笑みを浮かべて挨拶してみたのだが、中々、虎尾さんの機嫌は直らない様子だ。
ううむ、すっかり勘違いをしてしまっているようだぞ。
「言っておくけどなぁ!! 俺は認めんぞ!」
「あのですね? 俺はただのクラスメイトなのですが?」
「ただのクラスメイトが、態々家まで送り届けるかぁ! 百歩譲って家まで送り届けるのがお前らの学校では紳士的なマナーとして教え込まれていたとしても! この! 性格が捻じれ切って逆に正面を向いているような、うちの妹が家まで連れてこさせることなんて――ごほっ! やめっ、いきなり脇腹を殴りだすな、蛮族妹が!」
「うっさい、クソ兄貴ぃ!」
虎尾さんの言葉の途中で、再度兄妹喧嘩が勃発してしまったようだが、さて、どうしたものか。どうにも、虎尾さんは思い込みが激しいのか、それとも、何かしらの確信を持っているのか? もしくは、ただのシスコンなのか、俺に対して警戒心が半端ない。
仮に、兄妹喧嘩をスルーしてさっさと帰るようなことがあっても、今後、俺と倉森、楓さんの契約内容にイレギュラーとして余計な茶々を入れてくる可能性がある。
出来れば、どうにか上手いことこの場を収めたいのだが。
…………ふむ、腹を括るしかないか。
「――――分かりました」
「「あ?」」
ぱんぱん、と俺は拍手をして兄妹喧嘩を止める。
次いで、虎尾さんの方を向いて、なるべく凛々しく見られるように表情を作ったのち、覚悟を決めて言葉を切り出す。
「要するに、虎尾さんは俺のことが信用ならない奴だ、というわけですね?」
「おう、そうだ」
「クソ兄貴!」
「大丈夫だ、倉森。俺に任せてくれ…………それで、具体的には俺にどうして欲しいのですか? 一発二発ぐらい殴られろ、というぐらいだったら喜んで受けてあげますが?」
事実、夜になるまで倉森の帰宅を長引かせてしまったのは俺の責任だ。あちらが、保護者として、俺を糾弾して罰しようとするのならば、それぐらい受け入れて見せる。
「はっ、随分と芝居が上手いなぁ、おい。言っておくけどな? 俺はお前をまるっきり信用してない。仮に、妹とお前が何か特別な事情があって、それなりの交流があるとしても、全然、まったく、信用する気がない。もちろん、初対面っていう理由ももちろんあるが、それだけでこんなにガキを警戒するほど、俺は臆病じゃねぇ」
「クソ兄貴、いい加減に――」
「鈴音。お前は少し黙ってろ」
「…………っ」
口を挟もうとした倉森を、虎尾さんはシリアスな口調と鋭い眼光で制した。
どうやら、これは俺が思っているよりもよろしくない兆候のようだ。
「おい、お前。天野伊織。妹のクラスメイトとか、そういうのはどうでもいい。ただ、これだけは聞かせろ。いいか? 虚偽も、黙秘も許さねぇ」
その目は猛獣のそれを連想させる。
しなやかな筋肉の手足は、こちらを切り裂こうとする爪牙に等しい。
こちらが気の抜けた回答をすれば、今度は容赦なく、俺を叩き伏せるだろう、この人は。
「天野伊織、お前は何者だ? 本当に、人間か?」
………………驚いた。ああ、素直に驚いた。まさか、同類でもない相手に見破られるとは思わなかった。あれか。協会の人が言っていた、一般の人の中にも妙に勘が鋭い人居るというのは、このことか。
さて、さてさて、どうした物だろうか?
俺は僅かな沈黙の間に、必死に頭を巡らせて考える。
こちらの素性がばれるのはよろしくない。だが、大人しく相手の拳を受けるのもよろしくない。『あの程度』で、俺が死ぬことは無いだろうが、それでも怪我はするし、その上、周りから通報されたら厄介だ。契約の今後にも差し障る可能性がある。
こちらの素性は明かせない。
揉め事も起こしたくない。
されど、説得するには信用が足りなさすぎる。むしろ、マイナスだ。何を言っても疑われてしまうだろう。
…………最悪よりもマシな、次悪を選択するしかないのか?
「言えねぇのか? だったら、もう二度と妹に近づくな。分かってんだよ、どれだけお前が人間みたいな面してようが、俺にはな。その薄皮の下にあるのは、俺なんざ比べ物にならねぇほどの恐ろしい――」
「いい加減にしろよ、クソ兄貴」
「――――んぎっ!!!?」
と、俺が悩んでいる間に、状況は既に解決されていた。
外ならぬ、倉森の手によって。
「いいか? いいか? クソ兄貴。そこの馬鹿はな? 今日、私に酷いことをされて、それでも、それでも、晒さなくていい自分の過去を晒してまで、私の恐怖を払ってくれたんだ。私が、私が悪いのに。ご飯だって。カーディガンだって。こいつは、こいつはそんな奴なんだよ」
「ま……ま、まて、それは、本当にやめ……」
たたたたん、という軽快ささえ感じる起動音。
それは、物騒な黒い塊を携えた、倉森の右手から発せられており、脅威の矛先は、虎尾さんに向けられている。
そう、如何に屈強な男性とは言え、不意打ちにスタンガンを食らわせられたのならば、普通に動けなくなるし、そこを追撃されたらもう、激痛で気を失ってもおかしくない。
「人間かどうか? そんなのどうだっていい。こいつが妖怪だろうが、怪物だろうが、宇宙人だろうが、何だろうが…………今は、私の友達だ、友達なんだ! だからっ!」
「…………ぎ、ギブ……」
「このお人よしの馬鹿野郎を傷つけるんじゃねーよ、クソ兄貴!!」
「ぎぎゃあああ!!?」
合計、三度のスタンガンによる電気ショック。
常人ならばそろそろ危険域であるが、幸いなことに、虎尾さんはとても頑丈だったらしい。あれだけの攻撃を受けても気を失うだけで、呼吸がおかしくなったり、脈拍が乱れたりしてない。よかった、大事にならなくて。
「…………う、うう」
「流石に、やり過ぎだと思うぜ、倉森」
「うっさい! うっさい! 分かってる! …………それと、気絶したクソ兄貴重くて運べないから、手伝って」
「はいはい」
俺は虎尾さんの状態を診た後、古武術の応用でその体を抱える。
意識のない人間の体というのは、意識がある時の数倍は動かしづらいので、コツが必要なのだ。無理して運ぼうとすると、倉森のように対象へ余計な擦り傷を増やしてしまうからな。
「玄関先に転がしておけばいいから」
「いいの?」
「クソ兄貴は頑丈だから」
「そっか」
言われた通り、虎尾さんをそっと玄関先へ転がす俺。
家族の許可を得たのならば、俺自身もあまり好感を持てない対応をされたので、容赦はしない。冷たい床で震えながら夜を明かすといい。
「…………ありがとう、倉森」
やるべきことが終わった後、俺は、隣で俯く倉森へと、感謝の言葉を述べる。
「庇ってくれて、助かった。嬉しかった。でもな、倉森。虎尾さんのやり方は乱暴だったかもしれないが、間違いじゃない。実は、まだ、俺には言っていないことが――」
「言わなくて、いい」
そして、続けて、倉森だけには『俺があえて言わなかった事実』を、可能な限り、俺の権限で説明できる範囲で言おうとしたのだが、止められた。
「お礼を言うのは、本来、私の方だし。謝るのも、私の方だし。クソ兄貴が酷いことをしようとしたからだし。それに、それに」
とん、と倉森は顔を俯かせたまま、俺の脇腹へ軽くチョップを入れる。
「友達だからって、全部、何もかも教え合うなんて、変だ。言いたくないことは、言わなくていい。だって、恋人同士だって、そうなんだから」
「…………倉森」
「い、言っておくけどな? 今更、友達じゃないとか、言うなよ、馬鹿。いいか? そんなこと言われたら。泣くからな! 言いたくないことは言わなくていいけど、余計なことも言うなよ? 分かったな?」
子猫が前足でじゃれつくようなチョップの連打に、俺は苦笑しつつ、言葉を返した。
「ああ、分かった。つまり、今日から俺と倉森は友達ってことで良いんだよな? ありがとう、嬉しいよ」
「…………余計なことは、言うな」
「なら、余計な事じゃないから大丈夫だ」
「うぅ……」
顔は俯いていて分からないが、耳を真っ赤に染め上げる倉森さんは可愛らしく。
ああ、確かに、こういう姿を見せられると惚れるかもしれないな、と俺は素直に思ったのだった。