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第13話 女の子を泣き止ませる方法なんて知らない

 女の子を泣き止ませる方法なんて、俺は知らない。

 天野伊織の記憶にも存在しない。

 この俺がもう少しばかり女の子の扱いに長けていれば、きっとこんな事態にはならなかっただろう。あるいは、天野伊織が少年漫画やラノベの主人公のように、女の子の心に響く言葉を扱う素質があったのならば、涙を流す少女を癒すことが出来たはずだ。

 けれど、現在の俺にはそのどちらも無い。

 女の子の涙を止めるのに、都合の良い魔法の言葉なんて存在しない。

 そもそも、俺と倉森さんの間にある、決して浅くない溝を埋めることが出来ないのならば、どんな言葉も届くことは無いだろう。

 故に、そんな無力な俺に出来ることなんて一つだけだ。


「ごめんって! 俺が悪かったって! 全面的に要求を飲もう!」


 つまり、全面的な降伏と謝罪である。

 俺にはこれしか出来ない。


「ひっく……うああうああ……しねぇ、ばかぁ」

「いや、死んだら死んだで、それはそれで問題になるだろう。もうちょっと常識的な範疇で要求を言ってくれよ、倉森さん」

「うああああああうああ! がぶっ!!」

「ちょ、殴ったら痛いからって噛みつかないで。特にダメージを受けないけど、後々、倉森さんの心にダメージが入るだけだから、嫌がらせなら方法を考えよ?」

「がぶぶううううう……」

「ほら、無駄に歯を立てても顎が疲れるだけだって。顎から涎が垂れてるよ、はい、ハンカチで顔を拭ってやるから、少し待って――」

「うううう……」

「何故、噛みつきながら泣く?」


 しかし、駄目だ。謝っているはずなのに事態は全然好転しない。むしろ、悪化の一路を辿っているような気さえする。

 不幸中の幸いは。この俺のやり取りと倉森さんのやり取りを周囲の通行人はただの痴話喧嘩として見ていることだ。問題が大きくなることは、今は辛うじて避けられている。

 だが、この姿を同学年……いいや、同じ学校の奴らに見られればそれだけで致命的。偽装交際の契約の全てがおじゃんになっても仕方ない状況だ。

 ならば、それを盾にとって無理やり倉森さんを宥めるか?

 追い詰めた上に、悪辣かもしれないが、それでも最悪の事態になるよりはまだマシかもしれない…………けれど、それで倉森さんの精神が限界になって再度暴れ出したら、今度は通報されずに済むとも思えない。

 そもそも、時間帯がよろしくない。

 刻一刻と暗くなっていく空は、もうじき夜であることを示している。下手をすれば、学生というだけで道を歩いていると補導の危機すらも考えられるのだ。

 くそ、どうすればいい? 何をすれば、この状況を打開できる? 考えろ、天野伊織。この程度の苦境で、思考を止めるんじゃない。


 ――――くぅー。


 と、ここでどこからか可愛らしい鳴き声のような音が響く。

 見ると、俺に噛みついている倉森さんが顔を真っ赤にして、ぼろぼろと涙を再び流し始めているではないか。

 どうやら、この可愛らしい鳴き声の発生源は倉森さんのお腹らしい。

 そういえば、喫茶【骨休み】で倉森さんは恥ずかしさのあまりずっと顔を隠していたので、全然食事を取っていない。ならば当然、夜が近くなればお腹の一つも鳴るだろう。


「…………とりあえず、ご飯を食べてから色々と話さない?」

「…………しねぇ」


 倉森さんはしばらく悩んだ後、ようやく俺の腕から口を話して罵倒する。

 ただ、真っ赤に泣いたり、鼻水を垂れ流したり、口元から俺の腕に涎が糸を引いていたりする惨状だと、もはや俺には憐みと罪悪感しかない。

 途中まではハードボイルドだったと思うのだが、どうしてこんなオチになってしまうのやら。



●●●



 素人が美味しい料理を作るために必要なことは何だと思う?

 愛? 違う。確かに、動機としては必要かもしれないが、極論、愛が皆無でも料理は出来る。化学反応の産物なので、手順通り作れば美味しく出来るのだ。

 つまり、レシピに忠実であることが、素人料理を成功させるためにもっとも必要な要素であると言える。

 後は、材料に金を惜しまず良い物を使えば大体は食えるレベルになる。ただし、高ければ高いほど良いというわけでも無く、ちゃんとレシピから逸脱しない程度のグレードアップに留めなければならない。

 例えば、料理に豚肉が必要だったら豚肉を用意しよう。豚肉よりも牛肉の方が高いからと言って。牛肉を買ってはならない。料理に適した肉を買おう。

 さらに付け加えるのであれば、時間に余裕があればいい。

 料理は出来立てが美味しい物だけれど、ちょっと時間が経った方が美味しい物も多々ある。カレーとかはその中の一つだ。

 …………まぁ、俺が作ったのは牛すね肉を煮込んで、野菜とか調味料をぶち込んで作ったハッシュドビーフなのだけれどね?


「はい、お待たせ」

「………………」


 というわけで現在、俺は倉森さんを我が家に招待して、作り置きしていたハッシュドビーフを御馳走している。

 いや、何が『というわけで』なのかと疑問に思うかもしれないが、これには事情があるのだ。

 まずね? 美味しいご飯を御馳走するよ! と言っても、泣き腫らして酷い状態になった倉森さんはお店に入れない。外食出来ない。けれど、そのまま倉森さんを家に送っていくのも悪手だ。当然、ご家族の方から俺に対して事情聴取が始まるだろう。

 よって、自然と答えは一つに絞られた。

 我が家で倉森さんの機嫌をどうにか直し――――いいや、倉森さんと俺の間に刻まれた深い溝を、どうにか交流可能レベルにまで埋めなければならない。

 この食事というのは、そのきっかけになればいいぐらいの意味合いで提供している。

 まぁ単純に、お腹を空かせた人間にはご飯を提供しなければならない、という強迫観念染みた自分の性質を満たすため、というのもあるのだけれど。


「………………」

「美味しいか?」

「まずい」

「そっかぁ」

「…………まずい!」

「あ、はい」


 居間で、俺と倉森さんが二人、テーブルを挟んで向かい合うようにして座っている。

 互いにハッシュドビーフが盛られた皿へスプーンを動かし、食事を取っているのだけれども、会話は弾まない。

 こちらが何かを言っても、大抵、倉森さんは無言。

 時折、不機嫌そうに「まずい」と呟いたり、叫んだりするだけ。

 そんなにまずいのか? と俺が作ってみたハッシュドビーフを口にしたのだが、そこそこ美味い。少なくとも、俺は美味く出来たと思う。無論、店のそれに比べたら一味も二味も劣るかもしれないが、家庭料理ならばこの程度は上等な部類ではないだろうか?

 きっちり煮込んだ牛すね肉はほろほろと口の中でほどけるように崩れ、ソースと絡まり合って濃い旨味を口の中へ提供してくれる。同時に煮込んだ野菜も、スプーンで突くだけで崩れて、掬える程度に柔らかく、口にすれば野菜の甘さが肉の旨味と絡み合って上品な旨味が広がった。

 うむ、やはり安い赤ワインといえど、惜しまず使ったのは正解だったようだな。


「…………」

「ごちそうさまでした」


 倉森さんは無言で食事を終えた。完食である。また、気まずくはあれども、俺が食事を残すことなどあり得ない。

 俺は手早く倉森さんと自分の食器を回収して、台所に向かおうとしたその時だった。


「…………家族の、人は?」


 ぽつりと、顔をこちらには向けず、独り言のように倉森さんが言葉を呟いた。

 ようやく、まともに会話してくれそうだ、と俺は安堵しながらも応える。


「叔父さんは仕事。草本さんは、雀荘にでも行っているのかもしれない」

「…………叔父さん、とやらはともかく、草本さんって誰だ?」

「居候の人」

「居候?」

「諸事情があってな、一緒に暮らしている」


 ちなみに草本さんは巨乳で大学生ぐらいの美人なお姉さんなのだが、品性という物を母親の胎の中に忘れてきたような人なので、あまり異性という見方は出来ない。俺としては、駄目な姉さんという扱いだ。


「そうじゃなくて」

「ん?」

「…………母親とか、父親とか、家族の人はどこに居るの? ってこと」

「ああ、それなら居ない」


 俺がそう答えた瞬間、ぴたっと倉森さんの方が緊張で固まった。

 そして、ようやくこちらに視線を向けたかと思えば、軽蔑の眼差しである。


「まさか、楓よりも先に、私をこのまま……」

「違う、違う、そんな意図はない。皆無だ。確かに、誰も居ない家に同学年の女子を招いたのは迂闊だったかもしれないが、そもそも、俺の家には俺しか居ない時間帯が多いからな」


 と、ここで俺は不覚にも口を滑らせてしまった。

 明らかに余計なことを言ってしまった。しかも、言った直後に、僅かに顔をしかめてしまったのだから手遅れだ。完全に、倉森さんが俺の不覚に目を付けてしまっている。


「両親、共働きなの?」

「……ああ、いや」

「祖父母の人は居ないの?」

「………………なんというか、だな」

「質問に、答えてくれないの?」


 問われて、俺は観念したように息を吐く。

 俺が困り果てているという事実に、倉森さんは若干の愉悦を感じつつも、どこか引きつった攻撃的な笑みを作っていた。

 まぁ、いいさ。

 女の子を泣かせた罰だ、甘んじて受けよう。


「俺には、両親も、祖父母も居ない」


 みっともなく隠していた、この俺の、天野伊織の経歴について語ろう。

 格好つけることに失敗したのだから、大人しく恥をかこう。


「――――三年前の事故で、俺以外全員亡くなった」

「…………えっ?」


 それで、僅かでも倉森さんの涙の対価になるのならば、本望だ。

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