第10話 仮初の栄光と、背後からの嫉妬
ホイ、チャマ。
百合の間に挟まろうとする男は死ね、というパワーワードをSNSのタイムラインで見てしまい、複雑な気持ちになってしまった、天野伊織だ。
挟まりたくないのに、両面から押し潰そうとして来る場合、判定はどうなるのだろうか? いや、この場合、殺されなくても自動的に死ぬというか、からくり屋敷の前時代的なトラップかよ? という抗議を入れざるを得ないわけだが。
さてはて、話を戻そう。
百合というジャンルは、確か、女性同士の恋愛に関してタグ付けされる物だったか? 俺はあまり詳しくないのだけれど、確かに、そういう前提条件の中に野郎が出てきたら、噴飯物かもしれない。
例えるのなら、あれか。喫茶店でアイスコーヒーを頼んだら、ホットココアが出てきたような物だろうか?
「違いまする。そうではありませぬ」
「何が違うんだ?」
「これはあくまでも、自分の見解なのでございますが、これは別にGLだけではなく、NLやBLでも同じようなことが言えましょう。要するに、好き合っている二人の間に割って入ろうとする存在は、どんなジャンルでも無粋の極み。そりゃあ、そういう需要も無きにしも非ずでしょうが、それは各々で楽しむもの。ほのぼの日常四コマを楽しむ人に対して、凌辱系のエロ同人を無理やり見せるような物でしょう。好事家同士で楽しむ物であって、誰かに押し付ける物では…………いいや、全ての趣味に対しても言えまするが、押し付けはいけませんな」
要するに、ケースバイケース。
常識的に物事を考えて、判断すればいいらしい。
俺の友達である灰崎君が言っていたのだから、間違いない。少なくとも、俺は彼の考察を妥当な物だとして考えることにする。
「それで、伊織殿。何故、このような話題を自分に?」
「SNSでよくわからない流行語があったから、知りたくなっただけさ」
「ほほう、ちなみに、伊織殿的には百合ジャンルは?」
「好きなキャラクター同士の恋愛であれば、俺はGLでもNLでも、BLでも好ましく思うぜ。そうじゃなければ、どれも好きじゃない」
「懐が広い、狭いというよりは、ある意味、正直な方ですな、伊織殿は」
はっはっは、と笑う灰崎君の隣で俺は考える。
背後の席に、倉森さんが帰ってくるまでに、出来れば俺は考え付いておきたい。
何故ならば、彼女の感情は割と正当な物だからだ。
例え、そちら側の依頼で俺が偽装彼氏をしているだけだったとしても。
百合だろうが、異性愛だろうが、そうじゃなくとも、そもそも――――愛する者と、他の者が公然のカップルとして扱われれば、そこに釈然としない感情が生まれるのは当然だ。
その感情の名前を、恐らくは嫉妬と呼び、俺が解決しなければならない問題の中に含まれるのだから、困り物である。
やれ、俺の苦手分野であるが、ここは克服の機会が回ってきたと前向きに考えるとしよう。
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「いよっ、ご両人!」
「天野ぉ! 七尾さんとの仲は進展したぁー!?」
「好感度どれぐらい上げたー?」
「一枚絵のシーンとか出てきたー?」
「エンディングへのフラグ立てたー?」
「キスはぐらいはもうした? え? まだ? プラトニックな付き合い? ええ、モブ系男子と美少女の絡みを取材したかったのに……え? ナマモノの同人誌は禁止? そんなぁ」
七尾さん――もとい、楓さんと俺が偽装交際を始めてから、一週間ほどの時が経った。
当初、俺は楓さんと俺のクラスカーストの差が、何かしらのトラブルに繋がるのではないかと身構えていたのだが、予想に反して、楓さんと俺との交際を周囲は歓迎ムードである。
「やぁやぁ、噂の下克上ボーイじゃないか!」
「ヒュー! ヒュー!」
「記者会見の啖呵、格好良かったぜぇー!」
廊下を歩けば、先輩方に絡まれて。
「やるじゃん。天野ぉ。そんな情熱的な奴だとは思わなかったぜ」
「いや、でもやる時はやる奴だぜ、こいつ。ほら、依頼の時とか」
「ああー、あれなぁ。噂で聞いただけだったから、半信半疑だったけど、この様子だとマジか。やっぱり、美少女との交際を勝ち取るにはあれぐらい肝が据わってないといけないとかね?」
「ハードル高くない?」
教室に居れば、同級生に絡まれるという日々を送っている、今日この頃。
てっきり、漫画やアニメのように分不相応な相手が学校のアイドルと付き合うことに反対する人や、嫉妬やら何やらの感情で嫌がらせを受けるかと思ったのだが、これが、まったくない。
理由として考えられることがあるとすれば、恐らくそれは、あの記者会見だろう。
あれだけド派手に交際発表をした上で、さらに、当事者である楓さんからのお言葉。交際相手は武力で選ぶという、控えめに言っても頭のおかしい発言で楓さんに憧れを抱いていた男子が幻想を砕かれ。さらに、捏造された俺のエピソードでドン引き。その上で、この俺があんな啖呵を切ってしまった物だから、周囲とすればもう、祝福するしかない、という空気にならざるを得ない物があったのかもしれない。
「でもさぁ、普通の美少女ならともかく七尾家のご令嬢だぜ?」
「今回はハードルが高すぎたんだよ、うん。普通の美少女だったら、もう少しぐらいハードルが低いんじゃない?」
「バーカ、お前程度じゃ、そもそもハードルなんて用意されないっての。外周走ってろ、って言われて終わりじゃん?」
「言ってはいけないことを言ったなぁ!」
「どの道、こうやってグダグダ言っている時点で、男として天野に敗北感だわ」
「それな!」
「あー、恋したいわぁ」
そればかりではなく、何故か、学校中で俺に対する評価が上がっていた。
当人の俺が知らぬ合間に、いつの間にかカーストが上がっているというよくわからない現状である。
やめて欲しい、とてもやめて欲しい。何故ならば、これは破局を前提とした偽装交際である。二か月後には崩れるであろう評価の上重ねである。
人は良くも悪くも、ギャップに弱い。
悪い奴が良いことをすれば、良い奴が良いことをする以上に好感度が上がる。
逆に、良い奴が悪いことをすれば、悪い奴が悪いことする以上に好感度が落ちる。
ならば、楓さんとの交際発言で株が上がった俺が、楓さんと別れれば、かつてよりも評価が下がるのは必然のはず。
今の内からコツコツと、地味に評価を下げていってギャップを無くさなければ。
「………………」
いや、その前にまず、背後からの殺気をどうにかしなければならない。
露骨に背後を振り返らなければ、彼女の姿は分からないのだが、何故か、俺は脳内にくっきりと、飢えた野良犬の如き視線を向けてくる倉森さんの姿を思い浮かべられた。
理由はもちろん、分かっている。
自分たちが認められていない立場に居るのに、自分ではない奴が恋人と認められているという現状は業腹だ。けれど、その事態を招いたのは彼女たちなので文句を言うことも出来ない。となると当然、フラストレーションも溜まる。大いに溜まるだろう。
だが、それだけならば、まだ倉森さんは耐えたはずだ。
倉森さんは目つきが悪く、男子に対して嫌悪と敵対心を持っている人間であるが、道理に合わないような行動は自戒する傾向にある。
そのため、喫茶【骨休み】での会議も、俺に対していい印象は抱いてなくとも理性的に振る舞って見せた。
しかし、俺が七尾家を訪問した後ぐらいから、倉森さんの俺に対する敵対心は段々と高まってきているのが現状だ。
こちらの理由も、明白。
『ふふふ、それでね? 鈴音。よくわからないのだけれど、伊織君がお爺様を説得してくれたおかげで、七尾家の中でも偽装関係は認められつつあるの。これなら、上手く最後まで誤魔化し暮れると思うわ』
『…………伊織、君? え? 名前呼び?』
『あ、ああ。それはだな、倉森さん。ほら、七尾家に招待された結果、周りが七尾さんだらけだろう? 区別のためにだな、俺が楓さんと名前呼びすることになったのをきっかけに』
『まぁ、偽装関係とはいえ、彼氏だもの。名前呼びした方が不自然ではないでしょう?』
『………………あ、そう』
七尾家の食事会を経て、楓さんの俺に対する警戒心がいくらか薄れたことが起因しているのだろう。何せ。お互いに名前呼びだ。距離感が縮まったことを示す物としては、分かりやすいことこの上ない。
一応、俺としては倉森さんに対する配慮として、名前呼びを止めようか? と楓さんに提案したのだけれども、楓さんは天使の笑みで却下するのでどうしようもない。どうにも、楓さんは一度縮まった距離を戻されるのを嫌う人間のようだ。例え、それがどこの馬の骨とも知れぬ、この俺だったとしても。
「…………」
「あー、その、倉森さん? さっきから背後に視線を感じるのですが、何か用でしょうか?」
「…………なんでもない」
「あ、はい。そうですか」
結果として、俺は背後から突き刺さる殺気の所為で、腫物を触るように敬語で倉森さんに接してしまっているというわけだ。
誤解やら、人間関係をどうにか改善しようとしても、俺は現在、楓さんの偽装彼氏なので表立って動けない。人目を避けて話し合おうとしても、楓さんの居る前では倉森さんは強がる。当然、気に食わない相手と二人きりで話し合おうとするわけも無し。
「…………ううむ」
結局、俺はどれだけ考えても具体的な改善を思いつくことが無く、今日も今日とて、背後からの殺意に耐える日々を送るのだった。