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第9話 ラブコメには似合わない

 最初の記憶は、真っ白な記憶。

 真っ白な天井。

 真っ白なベッド。

 ピッ、ピッ、と規則的に鳴る電子音。

 体中に取り付けられた、透明な管。

 ――――ああ、鬱陶しい。

 『自分』はその時、体に纏わりつく物が鬱陶しくて仕方なくて、とりあえず全部を外そうとしたんだった。


「――――っ!!?」

「――――!!」

「――――――早く、先生を!」


 おや、おかしい。

 先ほどまでは良い感じに静かだったというのに、妙に騒がしくなってしまった。

 『自分』はそのことを残念に思いながらも、邪魔な透明な管をむしり取ろうとして、ふと、思い出す。

 特に衝撃的なイメージなどは無く、まるで、今朝の朝食でも思い出すかのようにさらりと。


「…………ああ、そうか。『自分』……いや、『俺』は天野伊織だったのか」


 俺は自分のパーソナリティを思い出したのだった。

 思えば、これが俺の生誕風景。

 泣き叫びもせず。

 嘆きもせず。

 淡々と、当たり前のように自分という他人を受け入れた瞬間だった。



●●●



「つーと、なんだァ? 本当に俺の一族に用事があるってわけじゃあねぇのかよ? 孫の彼氏役? 偽装彼氏? んだ、お前さんよぉ…………心臓に悪い真似はよせや」

「すみません。ですが、俺も驚いたわけですよ。貴方と、後は千尋さんでしょう? 楓さんは多少逸脱していますが、こちら側ではないわけですし」

「七尾家って言ったら、協会の中でも相応に有名だと思ってたんだがねぇ? それとも、老いぼれの影響力なんざ、もうとっくに無くなってたか?」

「俺は貴方たちと違って、後天的なんですよ。そういう方面にあまり詳しくありません。定期健診を受けたり、後は『紐』を付けられたりしている程度ですよ」

「そうかい、そうかい。一昔に比べて、随分とまぁ、温くなったもんだ」

「十年前ぐらいに、事件が起きて体制が見直されたらしいですよ?」

「あー、あれかぁ。あの時は心底ビビったぜ、死ぬかと思ったわ」

「またまた、妖怪みたいな気配をしているくせに」

「本当の妖怪は俺みたいに、露骨に威圧なんざしねぇよ。本物ってのはもっと、上手く人ごみに紛れるような気配の持ち主なんだよ……お前さんのように、な?」

「そこは、千尋さんのように、と言っておきましょうよ」


 話し合いが全てを解決するとは限らない。

 けれども、話し合ってみれば、意外と物事が簡単に進むことも世の中にはある。俺はそれを、走行中のリムジンの中で実感していた。


「よくわかるな、坊主。あいつは、他所から取り込んだ奴なんだが、やたら気配を隠すのが上手くてなぁ。クソガキなんざ、結婚して子供産むまで全然気づかなかったんだぜ?」

「あー、俺はほら、勘が鋭いタイプの奴なんで」

「お、そこら辺も『ご同類』かよ」

「奇遇ですねぇ」

「まったくだ。自分の手札の一部を晒しておいて、切り札は舌を出しながら隠している辺り、俺たちは本当に似た者同士なのかもなァ?」

「はっはっは、そうかもしれませんね」


 口調は和やかに。

 腹の底は夜の闇よりも黒く。

 手の内は完全には晒さずに、言葉のナイフを舌の裏に潜ませて。

 そして、笑みは絶やさず。

 このようなとても平和的な話し合いの中で、俺と弥助老人は互いに見解を一致させることに成功した。

 即ち、『積極的に関わらなければ害にはならない相手』である、と。


「しかし、偽装彼氏ねぇ。ということは本命が居るってわけになるんだが?」

「ご想像にお任せします」

「少なくとも、聡明な楓が俺たちに言うのを憚る相手ってことになるよな? だが、お前さんが協力しているってことは恐らく、犯罪行為ではない、と。となると」

「最近、交通事故が多いらしいですね。先月は、うちの県、全国ワースト5に入っていたらしいですよ? 怖い世の中ですねぇ、まったく」

「怖いのはお前さんだよ、ったく。どこの世界に、彼女の祖父を脅す彼氏が居るんだか。はいはい、分かった、分かった。詮索しねぇよ。そもそも、俺ァ、別にどうだっていいけどな、家族が元気に好き勝手生きればよぉ」


 はぁーあ、と弥助老人はその妖怪染みた気配を潜めて、年相応のくたびれた吐息を漏らした。


「面倒だよなァ、おい。俺ァよぉ、好き勝手生きてきたつもりだってのに、いつの間にかこんな立場で、それっぽく振る舞わないといけねぇ。地元じゃあ、祭り上げられてはいるが、所詮は田舎の大将だ。くだらねぇよ、くだらねぇ…………こんな、血脈なんざ、好きに途絶えさせてもいいと思うんだがなァ?」

「そう思わない人も、いらっしゃる、と?」

「さてな? だが、人の付き合いってのは本当に面倒でよ。こうして、偉そうに俺が振る舞っているように見えても、気を遣う相手ってのは、家の中にも外にも居るわけだ」

「…………なるほど」


 弥助老人はどこか遠い目をして、車外へと視線を向ける。

 初夏の薄暗い夕闇が、段々と冷ややかな暗闇を伴って、夜の準備をしているような風景。

 田舎の田園風景。

 灰色のコンクリートジャングルで育った都会人ならば、こういう光景を見て何かを感じるかもしれないが、生憎、田舎の人間が感じる事なんて『草刈りが面倒だな』ぐらいなものだ。

 田んぼが青々と茂れば、当然、雑草だって生えるのだから。


「………………俺ァ、ただの田舎のガキで終わるのが嫌だった。草刈りも、田んぼの世話もガキの頃から嫌というほどやらされてなぁ。何せ、元は豪農の一族だ。お山の大将を気取っていても、テメェらが出来なきゃ馬鹿にされる。だから、嫌というほどやらされたさ。んでもって、田舎が嫌になった俺は、都会に出て、散々好き勝手やった。田舎の因習なんざクソ喰らえ。出来の良い兄貴や、弟が居れば、それで十分だろ? ってな? けどよ、それなりに年を食ってみれば、残ったのは俺だけだ。なんでだろうなァ? どうして、不真面目な俺が生き残って、クソ真面目な奴が死んじまうんだか。阿保らしくて、馬鹿らしいもんだぜ」


 自嘲するような声で、掠れた声で老人は語る。

 七尾家。

 田舎の一地方なれど、決して馬鹿にできない影響力を持つ家の、先代の当主が。年相応の老人のように人生を悔いる言葉を零しているのを、俺はどう受け取っていいか分からなかった。

 いや、そもそも、俺のような若造が受け取るようなものでもないだろう。


「なぁ、坊主」

「なんでしょうか? 『ご同類』?」

「偽装でもよぉ、彼氏ってんなら、楓のことを守ってやってくれや。別に、一生守れなんて戯言は言わねぇ。ただ、お前さんの気まぐれでもいい。何かあった時、楓を守ってくれや」

「………………そんなことを、今日知り合ったばかりの赤の他人に言うべきではないと思いますが?」


 怪訝そうに問う俺の言葉に、弥助老人は「かっかっか」と愉快そうに笑ってからこう答えた。


「そうでもねぇさ、『ご同類』?」

「……………………じゃあ、俺がこれから言う言葉もわかるでしょう?」

「ああ、わかるともさ」


 俺と弥助老人は自然と声を合わせて、寸分たがわず同じ言葉を紡いだ。


「「言われなくても、だ」」


 そして、互いに笑い合う。

 どうにも俺は、この老人が嫌いじゃないらしい。



●●●



「ただいま…………っと、まだ草本さんは帰ってきてない、か」


 俺は送迎の後、自宅へと帰ってきた。

 平屋一戸建ての、ごく普通の家。

 田舎によくあるような一軒家が、俺の家だ。

 同居人は二人。

 一人は、俺の保護者であり、叔父さん。

 一人は、謎の居候である、草本さん。

 …………今のところ、この二人が俺の家族代わりのような物だ。


「家族が元気で好き勝手生きていれば、それでいい、か」


 薄暗い自宅の電気を次々と付けながら、俺はふと、中間に置いてある仏壇の前に座り込む。

 じぃ、と現実感のない遺影を眺めた後、静かに決意を固めた。


「確かに、そうかもしれないな」


 出来る範囲で、守って見せよう。

 未熟者の俺でも、せめて、あの二人が心置きなく学校生活を楽しめるように。

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