977:清算するもの
刹那に駆け抜けた、黒い閃光。
弾けるような軌跡だけを残したそれは、確かにマレウス・チェンバレンの首を断ち斬った。
刎ね飛ばされたその首は、しかし地に落ちることは無くそのまま浮かび上がる。
まさか、その不気味な姿のまま行動できるのかと、再び餓狼丸を構え直して――マレウスの体は、黒い粒子となってゆっくりと崩壊を開始した。
「素晴らしい。想像以上でした」
しかしそれでもなお、マレウスの表情も口調も、まるで変わることは無かった。
悔しがることも無く、ただ己の敗北を称賛しながら言葉を紡いでいるのだ。
「貴方の力だけではない。他の者たちもまた、想像以上の働きをしてくれたようですね」
「黙れ、予後を汚すな。ただ消えろ」
これ以上、この女の言葉を聞く価値もない。
勝利の高揚に水を差すその声に、俺は餓狼丸を構えたままに踏み出した。
それはわかっているのだろう。だがそれでも、マレウスは言葉を止めることは無い。
「女神の干渉など無く、貴方たちの力だけで勝利してくれていればなお良かったのですが――」
斬法――剛の型、中天。
無駄な喋りなど聞く必要もないと、大上段から刃を振り下ろす。
その一閃は、余計な言葉を重ねていたマレウスの頭を真上から両断する。
加速度的に崩壊していくマレウスは、真っ二つになった頭のまま、それでも変わることなく笑っていた。
「――貴方たちの更なる飛躍を、期待することとしましょう」
そして、その言葉を最後にマレウスの体は完全に崩壊する。
突き刺さった天狼丸もそのままに、黒い粒子と化したその身は星空へと吸い込まれていった。
そしてそれと共に、空に輝いていた星々が急速にその姿を消し始める。
まるで電気のスイッチを落としたように、空を彩っていた無数の星々は消滅してゆき――やがて、真っ暗な夜の闇だけが、空に広がることとなった。
「……いや、これは」
――遠く、鐘の音が響き渡る。
世界を祝福するかのような、大鐘楼の音。
どこからともなく響くその音と共に、周囲へと一つの声が響き渡った。
『グランドクエスト《人魔大戦》を達成しました』
『この箱庭を侵す災厄は、取り除かれました』
そして、遠方より日の光が登る。
城の中にいたはずの俺たちは、いつの間にか外のフィールドに立ち尽くしていた。
世界を照らし出すその光に目を細め、ただ静かにその声に――世界を管理する女神の言葉に耳を傾ける。
『異邦人の皆様に、心よりの感謝を申し上げます』
『どうか、新たなる日々に、平穏と幸福があらんことを』
それは、故郷を失おうとしている俺たちに対する、祈りの言葉。
俺たちを受け入れようとする祝福でもあった。
女神アドミナスティアーの告げたその言葉に、俺はようやっと緊張を解し、深く息を吐き出す。
「……終わったんだな、ようやく」
脳裏に、かつての戦友たちの姿を思い浮かべる。
最早、清算されることは無いと思っていた。ただ、燻った炎を抱えたままに生き続けなければならないのだと。
思わぬ形で、その思いに決着を付けられたことは幸運だったのだろう。
だが、それでも――その炎と熱を原動力に動いていたが故に、どこか空虚な思いだけが胸の内に広がっていた。
「先生!」
「緋真。ギリギリだったな、お前も」
あちこちが煤けた様子の緋真は、それでも元気にこちらに駆け寄ってくる。
俺に付き合ってマレウスに接近戦を挑むなど、かなり無茶なことをしたものだ。
だが、『森羅万象』を全開にして戦っている俺の傍にいたことは、コイツにとっても良い刺激となったことだろう。
そんな緋真は、どこか気づかわしげに俺の顔を覗き込んでくる。
見透かされるようなその視線に、俺は思わず目を背けていた。
「大丈夫ですか、先生」
「……ああ、大丈夫さ。いつまでも、腑抜けた面はしていられんからな」
思わず苦笑を零して、俺は再び緋真の姿を視界に納める。
戦いが終わっても、やるべきことが無くなるわけではない。
俺の仕事は少なくなるだろうが、それでも乗り越えなければならない障害はまだいくらでもあるのだ。
緋真の声と、その姿は――俺に、それを思い出させてくれた。
「だが……今ぐらいは、悼んだっていいだろうさ」
「……はい、そうですね」
目を閉じ、静かに首を垂れる。
かつて斃れた友たちへ。そして、駆け抜けてきた俺自身の心へ。
今はただ、静かに一つの区切りをつける。
寄り添う緋真の体温は、ゆっくりと染み渡るように――俺の心に、新たな熱を与えようとしてくれていた。
「――――」
緋真にだけ聞こえるように、ただ小さな呟きを。
それを耳にした彼女は大きく目を見開き――微笑んで、俺の手を握る。
――そんな静かな戦いの終わりを、ただ朝日だけが温かく見守っていた。
* * * * *
「――ああ、本当に楽しかった」
薄暗い、無数のモニターが並ぶ部屋。
その中央に腰掛ける一人の女は、万感の思いを込めてその言葉を口にした。
黒い髪を長く伸ばした、一人の女。
マレウス・チェンバレン――箱庭を侵すMALICEの首魁。
ここは、いかなる箱庭にも属さぬ領域。箱庭というシステムの根幹に位置する隠されたエリアこそが、マレウス・チェンバレンの本拠地であった。
「やはり、彼は本物ですね……自ら赴いたのは正解でした」
本来、マレウスは自ら動くことは無く、箱庭に対する侵略はMALICEが自動で行っていた。
だが、今回だけは別だったのだ。唯一、MALICEの侵略を退けた戦士たち――その戦いを、間近で確認するまたとない機会であったが故に。
故にこそ、マレウス・チェンバレンは自らその箱庭へと降り立ち、戦いに赴くこととしたのである。
「だからこそ惜しい……管理者の干渉など無くとも、私を打倒する方法もあったというのに」
その貴重な機会であるからこそ、マレウスには不満があった。
彼女は本来であれば、ただ異邦人たちの手のみで倒されることを望んでいたのだ。
しかし、あの戦いでは管理者からの干渉を受けたことで動きを鈍らされ、想定よりも早く倒されることとなってしまったのである。
「とはいえ、直接干渉を可能としたあの弾丸を撃ち込んだのは神業ともいえるもの……それを否定することもできませんし」
椅子に深く身を沈めたまま、マレウスはしみじみとそう口にする。
そんな彼女の前で、いくつかのディスプレイがちかちかと明滅した。
その光に、マレウスは小さく笑みを浮かべて声を上げる。
「ふむ、そうですね……余韻を楽しんでから、もう一度というのも悪くないかもしれませんね」
――ただ、無邪気に。悪意など欠片も無く。
マレウス・チェンバレンは更なる災厄を振り撒こうと、そう決める。
その仕込みのために、端末へと手を伸ばそうとして――彼女の体は、衝撃に揺れた。
「……え?」
椅子を貫き、そのまま背中から胸をかけてを貫通した白刃。
ぽたぽたと血を滴らせるそれは、冷たく研ぎ澄まされた鋼の刃。
「何度死に損なったら気が済むんだよ、なあ」
「――馬鹿な、何故ここに……! 久遠、源十郎!」
白刃が――天狼丸の刃が引き抜かれる。
それと共に、マレウス・チェンバレンは床に倒れこんでその姿を見上げることとなった。
一振りの刀を携えた老人。その姿は、先程までマレウスの配下となっていた久遠源十郎に他ならなかった。
「ここに、辿り着けるものがいる筈が……!」
「まあ、そいつは俺にもよくわからんのだが……説明には適任がいるんだ。なぁ、そうだろ?」
「……ネタばらしには少々早いのではないかな?」
その声と共に、一つの足音が後方の棚の影から現れる。
それは、杖を突いた一人の老紳士。スーツを纏う老人は、胸を押さえて床に倒れこんだマレウス・チェンバレンを見下ろして、静かに告げる。
「AIの開発者である君が絶対的な権限を有するように――私もまた、箱庭の原型を創り上げた者だ。君に直接端末を接続していたなら、道を辿ることなど容易いものだ」
「逢ヶ崎、竜一郎……!」
アルトリウス――逢ヶ崎竜彦の祖父であり、箱庭計画の創始者メンバーの一人。
全ての始まりたる人間の一人が、そこに立っていた。
彼の告げたその言葉に、優秀なマレウスの頭脳は即座に正解に辿り着く。
「そう、か……その、刀。そこに、潜んでいたのか……ッ!」
「源十郎と、総一君。その二人が出てくれば、君も我慢できず自ら出張ってくると思ったからね。見事に、目論見に嵌ってくれたわけだ。総一君には悪いことをしたがね」
苦笑する竜一郎は、源十郎の隣に立ってマレウスを見下ろす。
柔らかいその口調と裏腹に、その瞳はどこまでも冷酷に凍り付いていた。
「マレウス。私は君の考えの全てを否定するわけではない。かつての人類は道を間違えた、それは事実だろう」
「ならば……ッ!」
「だがね、君のしていることは自己満足以外の何物でもない。彼らは、かつての人間とはすでに異なる道を歩んでいるのだから」
「そうならない保証など、どこにも在りはしないというのに……!」
マレウスと竜一郎の意見が交わることは無い。
それはかつて、箱庭計画を進めていた頃から変わらぬ平行線だ。
故に、竜一郎は最初から説得など考えてはいなかった。
「我々の争いを、こんなところまで続けてしまった。その負債を、今の人類に押し付けてしまった――故に、これは清算だ、マレウス」
「黙れ、認めるものか……ッ!」
「残念だが、認める認めないもねぇよ。これで終わりだ」
マレウスの腕が、竜一郎へと伸ばされる。
しかし、それが何かの意味を成すよりも早く、天狼丸の刃がマレウスの心臓を貫いた。
マレウスは、大きく目を見開き――その手は、何も掴むことは無く地に落ちた。
彼女の体はそのまま、リソースの粒子となって崩壊し、静かに消滅する。
そのデータの欠片すら残すことなく、マレウス・チェンバレンは滅び去ったのだ。
「……やれやれ、長い仕事になったもんだ」
「ありがとう、源十郎。苦労をかけてしまったね」
「何、構わんさ。やるべきことをやっただけだ――お互い、いつまでも孫にケツを拭かせてたんじゃ、決まりが悪いだろ?」
源十郎の物言いに、竜一郎は苦笑を零しながら、マレウスの前にあった端末へと近づく。
明滅を続けるそのディスプレイたちに、竜一郎は目を細めながら告げた。
「そう……その負債は、我々が清算する。君たちマレウスのAI達には悪いが――ここで、終わりたまえ」
そして――その手が端末に触れた瞬間に、いくつかのディスプレイの表示が消滅した。
残っているのは、ただいくつかの箱庭の情景を表示した画面のみ。
それを確認して、竜一郎は先ほどマレウスが座っていた椅子へと腰を降ろした。
「後は、その行く末を見守るだけだ。君は付き合わなくても良いのだぞ、源十郎」
「今更だろ。ここまで来たんだ、最後まで付き合うさ」
「……相変わらず、君は英雄だね」
源十郎の言葉に、竜一郎は嬉しそうに笑ってディスプレイへと視線を戻す。
――クオンとアルトリウス、その二人の姿が映った一つの画面へと。
「若人たちよ。どうか、君たちの未来に祝福を」
――かつての己たちの姿を幻視して、二人の英雄は静かに未来を寿いだのだった。





