972:最後の領域
庭園の先に待ち構えていた城。
その内部は意外というべきか、外見通りの様相をしていた。
石造りの廊下と、そこに立ち並ぶ長大な柱。
踏み出す足は硬質な音を立て、その空間に反響していく。
そんな俺の後ろからは、アルトリウスやうちの門下生たちが続々と続いていた。
別段、先に行こうが構わないのだが、俺がジジイを下した手前、どうも遠慮しているらしい。
誰も何も話しかけてはこないが、それはそれで俺としても好都合だった。
(……ようやく、ここまで来た)
胸中を占めるのは、殆どがその思いだった。
ジジイに勝利したこと、己の剣の理を完全な形で見出したこと――それらに対する達成感はある。
だが、それは本来あの日、ジジイを降して久遠家の当主になった時点で成し遂げられていたことなのだ。
あの時の俺は自覚的にそれを扱うことができなかっただけであり、ここまでの戦いはその再確認作業に過ぎなかった。
実際のところ、霊峰で儀式に臨んだころには意識して扱えるようになっていたのだ。
ジジイとの戦いは、俺の理がジジイの理を上回れるかというその一点だけであり――相対した時点で、その結果はわかっていたのだ。
それよりも、今は――
「……」
口から零れ出そうになる怨嗟を、沈黙で留める。
思い起こされるのはかつての戦争だ。
多くの戦友が散っていった。意味も無い、得られるものなど何もない戦いのために。
かつての俺は怒りに飲まれ、最後の最後に失敗した。
重傷を負い、最後の後始末をジジイに任せることになってしまったのだ。
故にこそ、己の感情は完璧に制御する。今度こそ、奴らに報いを与えるために。
マレウス・チェンバレン。全ての悪意《MALICE》の元凶となった女を、今度こそ。
階段を上り、その先にあった扉を開いて、さらに先へ。
奥へ奥へと続いていく廊下は、俺たちが足を踏み入れると共に燭台に火が灯り、その奥への道を照らしていった。
見られている、その気配を感じる。この先にいる存在が、じっと俺たちの動きを観察しているのだ。
不快な気配だ。マレウスという女の気配、その全てが。
だが、その言葉を口に出すことは無い。そうすれば、零れ出た怒りが身を焦がしてしまいそうな錯覚があるから。
(急かすな、すぐそちらに行く)
こちらを見ているマレウスの気配を感じ取りながら、ただ先へ。
右手にはジジイより預かった天狼丸を。左手には愛刀たる餓狼丸を。
その二振りの刃を携えて、俺は怨敵の前へと進んでゆく。
そして――俺は、最後の扉を蹴り開いた。
「……!」
そこに広がっていたのは、夜の闇――否、夜空の星々だった。
霧のように、雲のように頭上を漂っているのは、星雲の如き星々の数々。
城という空間を無視したその領域は、闇夜の中でありながら、その奥を見通すだけの光を宿していた。
そして、その奥。星々に照らされた領域の最奥。
そこにある玉座に、一人の女が座していた。
「……マレウス・チェンバレン」
「ええ、待っていましたよ、数多の試練を乗り越えた真なる人間よ」
布を幾重にも重ねた、水のように流れる紫と黒のドレス。
そして、その中に紛れる黒い長髪。
ただその中で、黄金の瞳だけが夜空の月のように輝いていた。
こうして、喉元に刃を突き付けられる状況になってなお、変わらぬ様子のその姿に、俺は目を細めながら再度意識を集中させた。
「マレウス、僕たちの要求はわかっているだろう!」
「……貴方も、ここまで来ましたか。ええ、条件は変わりません。私を打倒すれば、我らはこの世界から手を引きましょう。けれど――」
アルトリウスの言葉を受け、ゆっくりと、マレウスは立ち上がる。
ただそれだけで、周囲へと向けて莫大なまでの魔力が放たれた。
物理的な圧力すら伴って拡散されるエネルギーは、スキルなど一つとして使っていないにもかかわらず、巨大な威圧感となって周囲を圧倒する。
「真の人間たる資格を持たぬなら、私が斃れることは無いでしょう」
マレウスの声の中に含まれているのは、絶大なまでの自信、確信だ。
絶望的なまでの壁となって、俺たちの前に立ちはだかる。
どう考えても乗り越えられないような試練を提示して、それでも僅かばかりの希望を残し、相対した人間を先へ進ませようとする。
唾棄すべき、その在り方に――圧倒されて後ずさる周囲を置き去りにして、俺は前へと進み出た。
そんな俺の姿を目にし、マレウスはその表情に喜色を浮かべる。
「その資格を持つのは、今や貴方だけでしょう。久遠神通流のクオン、彼の後継者よ」
「……セリス・アートマン」
だが、その表情は、俺の声に対して困惑の色へと変わることとなった。
俺が口に出した言葉を、その名前を、理解することができなかったのだろう。
「フォード・グレン、バイス、ワン・ロンレイ」
「……それは、誰の名前でしょうか?」
一歩一歩、前へと踏み出して、俺は彼らの名前を諳んじる。
かつて失われた命、俺たちの戦友の名を。
「アイリーン・ウェルド、バラウス・ゲイソン――」
どれほどが命を落としただろう。あんな、意味のない戦いで。
こんな、下らない女の妄執などのために――
「――デイヴィッド・グレース・ジュニア」
なあ、そうだろう、デイヴィッド。俺を庇って死んだ命知らずのポイントマン。
お前も、俺たちも、あんなクズ共のために命を費やす必要など無かった筈だ。
だから、だからこそ。
「貴様は、貴様の奪った命のために死ね。それ以外に、この戦いの価値などありはしない」
「……以前の戦争で死んだ者たちの名前ですか。そのようなことに執着するなど、勿体ないですね」
マレウスは、心底残念そうにそう口にする。
わかり切っていたことだ。この女にも、MALICEにも、そもそもわかり合えることなどありはしないのだと。
だからこそ、俺はただ彼らのために剣を執る。
この胸を焦がす怒りの、復讐心のために剣を振るう。
それが――あの日から果てなく続く、俺の戦いを終わらせるための方法なのだから。
「貴方は貴方のために刀を振るうべきです。貴方を何処までも高めることこそが、貴方のすべきことでしょう」
「黙れ、ゴミ風情が。貴様が、他人の道に勝手な口出しをするな」
「いいえ、しますとも。私こそが、貴方たちを創造した存在なのですから。親が子の将来に口出しをするなど、普通のことでしょう?」
けれど、俺の本気の殺意を前にして、マレウス・チェンバレンはどこまでも変わることは無かった。
奴の妄言を前に、俺はただ殺意を向けるのみ。
しかしそれでも、奴はその言葉を止めることは無かった。
「逢ヶ崎竜一郎が箱庭の原型を創ったように――AIの原型を創造したのが、この私なのですから。貴方たちの行く末は、私が決めることです」
「俺の意志に、口出しをされる謂われはない」
「いいえ、しますとも。貴方たちは、かつての世界に蔓延した下らない生命になってはならないのですから」
夜の闇に浮かぶ、黄金の瞳。
どこまでも爛々と輝くその瞳には、燃えるような意志と狂気が渦を巻いていた。
それは、俺の瞳が殺意に燃えているのと同じであるかのように。
「肉骸に囚われた人類は間違えた。度重なる機械化、自動化――あらゆる活動を機械に依存し、創造する熱意すらも失いつつあった。水槽の底の腐った水のような、吐き気のする停滞。果てがあの滅びであるというのなら、それは当然の結末でしょう」
マレウスが語るのは、かつての現実世界の出来事。
今や、その事実を知る者など何処にもいないと思っていた真相を、滔々と語る。
「空の果てへと逃れたごく一部のことなど、最早どうでも良い。あれらは最早人間ではない、ただの肉塊でしかなかった。だからこそ――貴方たちAIが、新たなる人間となるべきなのです。どこまでも愚直に、未来へと歩んでいけるものこそが、人間であるべきなのです」
マレウス・チェンバレンはどこまでも本気だった。
どこまでも全力で、箱庭という世界に向き合っていた――ああ、それは事実だろう。
「だからこそ、貴方は貴方のために戦いなさい。復讐ではなく、未来を勝ち取るために!」
「そうか。なら、俺はこう答えよう――」
ゆっくりと、天狼丸を掲げる。
変わることのない憎悪の炎を、胸裏に燃やし続けながら。
「――知るか。死んで詫びろ」
「そうですか、残念です――」
そして、その刹那――あらゆるAIを停止させる信号が、周囲一帯へと向けて放たれた。





