946:変容する迷宮
肌を撫でる、蒸し暑い空気。噎せ返るような緑の香り。
そして、数多の生命力に満ち溢れた、この気配。
まさしくジャングルと呼ぶべきその光景に、俺は思わず顔を顰めた。
正直なところ、こういった場所にはあまりいい思い出が無いのだ。
「中々、面倒臭そうなエリアだな」
「実際、結構面倒だと思いますよ。気温とかはアイテムで何とかなりますけど、視界は悪いし歩きづらいしで」
他の門下生たちも、このエリアの難しさには気づいているようだ。
視界が悪いのもそうだが、何よりも――この場所には、気配が多すぎる。
生命力に満ち溢れているこのフィールドが、周囲の気配を覆い隠してしまうのだ。
俺が感知できる範囲も、普段より狭まっていることは間違いない。
流石に奇襲を受けるほどではないだろうが、常に周囲には気を配っておくべきだろう。
(木々となると、擬態している魔物もそれなりにいるだろうからな)
木々に擬態しているトレント系魔物や、木の中で姿を隠している虫などの魔物。
これらは奇襲に優れていることもあり、目視では察知することが難しい。
だからこそ気配を探る必要があるのだが、この場所ではそれもある程度阻害されてしまうだろう。
「アリス、敵に気づいたら教えてくれ。ここだと、俺たちでも反応が遅れる可能性がある」
「了解。私にとっては得意なフィールドだけどね、ここ」
姿を隠して戦うアリスにとっては、森の中は有利な場所である。
足場も多く、トリッキーな動きもしやすいことだろう。
生き生きとした様子の彼女に苦笑しつつ、俺は緋真へと視線を向けた。
「ここの情報は増えてるか?」
「いや、そんなにはですね。ただ、通常の魔物についての情報は多少出て来てます。今度は蛇系が多いみたいですね」
「蛇か……森の中では、面倒な相手だな」
足が無いため、森の中であっても音を立てづらい。
場合によっては、木の上から落下してきてこちらを締め上げてくる。
静かに潜んでいて、唐突に噛みついて来るということもあるだろう。
ゲームの世界ではなかったとしても、森の中の蛇というものは中々に危険な存在だ。
もちろん、毒を有している可能性もあるため、僅かな接触ですら気を抜けない。
ここは、前のエリアよりも更なる注意が必要となるだろう。
「ゴールがどこにあるかは分かっていないんだよな?」
「はい。ただ、多少は通りやすいような道は存在しているみたいなので、そこを外れないように行けばいいみたいではあります」
よく見てみれば、確かに一部は木々が疎らな場所が存在している。
どうやら、一応は歩きやすい道を用意しているようだ。
まあ、それでも視界が悪いことに変わりはないため、相変わらず注意は必要だろうが。
「よし、今度は俺たちも前に出る。それからシリウス」
「グルッ?」
「木々をなぎ倒しながら先に進め。わざわざ、相手の都合に付き合ってやる必要もない」
「ガウッ!」
俺の言葉に、シリウスはどこか笑みを浮かべるようにして頷いた。
シリウスならば、多少の木々程度では障害にもなりはしない。
仮に蛇に巻き付かれたとしても、それでダメージを受けるのは相手の方だ。
先頭に立って進むのに、これほど適した存在もいないだろう。
シリウスは本来の大きさへと戻りながら、地響きを立てつつ前へと進む。
隠密も何もあったものではないが、シリウスは目立ってなんぼの存在だ。このまま先に進ませるとしよう。
「あまり派手にやられると、俺らの出番が無いんだけどよ」
「戦いたいなら自分なりに動けよ。俺たちはいつも通りにやるだけさ」
「獲物は自分で探せってか。いいぜ、上等さ!」
戦刃は好戦的な笑みを浮かべ、シリウスに続いて前へと進んでいく。
相変わらず、あまり考えずに前に出るものだが――まあ、今の戦刃なら心配する必要は無いだろう。
俺もまた戦刃と並んで前に出つつ、緋真へと声をかける。
「魔法の扱いは気を付けろよ。まあ、そうそう燃えるような森じゃなさそうだがな」
「わかってますよ。それより、先生も気を付けてくださいよ? 出現する魔物の中には、結構ヤバいのだっているんですから」
「ほう、そこまで言う程か」
「まあ、ゲーマー視点で危険視されている感じですけど……バジリスク系統には注意してくださいよ」
「バジリスク?」
名前の響きについては、何となく聞いた覚えがある。
これまでに戦った覚えはない気がするが、蛇の魔物の名前だったか。
そんな俺の反応に、緋真は軽く肩を竦めながら声を上げる。
「ヴェルンリードですよ、忘れましたか?」
「あ? あー……だが、あいつはドラゴンじゃなかったか?」
「蛇でもドラゴンでもどっちでもあるんですけど、とにかくああいう石化の魔眼を持っている魔物ですよ。ヴェルンリードは悪魔だから、魔物の姿とは別系統かもしれませんし」
ヴェルンリード――初めて戦った伯爵級悪魔。
その正体は、額に瞳を持つ巨大なドラゴンであった。
その目からは光線を放ち、命中した相手をエメラルドの彫像に変えてしまう凶悪な魔物。
かなり前に戦った相手ではあるが、その能力は確かに脅威であった。
今回もエメラルドということは無いだろうが、似たような魔物は存在しているということか。
「しかも血液は毒ですからね、直接戦闘とは別のところで能力を持っている類は厄介なんですよ」
「ふむ……確かに、あいつには苦労させられたな」
そんな昔の話ではないはずなのに、随分と前のことのように感じられる。
ヴェルンリードの血液も毒であり、故に斬ることには随分と苦労させられた。
ここに出現するバジリスクにも同じような能力を持っているなら、気を付けて戦う必要があるだろう。
「まあ、油断はしないさ。ヴァルフレアのダンジョンに、そんな余裕があるとは思えんしな」
何だかんだ、ここは大公にちなんだダンジョンなのだ。
油断していれば、あっという間にこちらが追い詰められてしまうだろう。
出現する敵には注意しつつ、先へと進んでいくこととしよう。
「水蓮。そういえば、先に進んだ連中は見なかったのか?」
「ええ、こちらでは確認していませんよ。我々が下りてくるよりも早く、先に進んだのでしょう」
「それなりに早く倒したつもりだったが……まあ、いつまでも待つようなものでもないか」
顔を合わせるなら話ぐらいはしておいても良かったが、無理に話すほど必要性があるわけではない。
無理をして追いかける必要も無いだろう。
尤も、同じように木々の間の道を選んで進んでいれば、出会うこともあるかもしれないが。
と――
「グルルッ」
「――クオン、注意して」
響いた声に、足を止めて餓狼丸の鯉口を切る。
ほんの一瞬だけ遅れて門下生たちもそれに倣い――全員が、その気配を捉えた。
地面を這いずる、巨大な気配。恐らくはシリウスの放つ気配に呼び寄せられてきたであろう、強力な魔物。
その気配だけでも、相手の大きさや強さは感じ取ることができる。
決して、生半可な覚悟で戦えるような相手ではないだろう。
「……早速来ましたね、キングバジリスク」
それは、茶色い鱗を持つ巨大な蛇。
大きさで言えばシリウスには及ばないが、それに準ずるほどのサイズがあることだろう。
そして、やはり額にあるのは異形の瞳。
鎌首を持ち上げたキングバジリスクは、その三つの瞳を以ってシリウスのことを睥睨していた。
「邪眼には注意しろよ。さあ――早速、このエリアの小手調べを始めるとしようか」
数は一体。だが、それ故に油断することはできない。
どの程度の力を持つ相手なのか、注意深く戦うこととしよう。





