937:歪な影
無数の武器の残骸が転がる、小高い丘。
砕けた破片を踏み締めながらゆっくりとその坂を上り、上に立つ男の姿を見つめる。
体格、立ち姿、手にした武器――どれをとっても、見覚えのありすぎる外見だ。
そこに立っていたのは紛れもなく、久遠源十郎の姿であった。
「仮面が……」
ぽつりと、緋真が隣で小さく呟く。
その言葉の通り、ジジイの再現体が被っている仮面は、他の連中とは明確に異なっていた。
四分の一程度――左目の辺りだけが、砕けたように破損してその下の瞳を覗かせていたのだ。
先ほどまでの考察が当たっているのであるとすれば、第四の大公はそこまでジジイの顔を認識できていたということか。
それほどまでに、ジジイとの戦いは印象に残っていたのかもしれない。
「四つのダンジョンを攻略した後で出てくる門番が、再現とはいえこんな形で出てくるのはどうなのかしらね」
「さてな、文句はこの大公か、もしくはマレウスに言うべきだと思うが」
結局、このエリアはマレウスの匙加減次第だろう。
ジジイも、流石にここには関わっているわけではあるまい。
まあ何にせよ、こうしてジジイに似た存在が目の前に立ちはだかっていることに変わりはない。
これを打倒しなければ、俺たちは先に進むことができないのだ。
「先生、大丈夫ですか?」
「問題はないさ、慣れた相手だ」
実際、ジジイと刃を交えた回数は数え切れない程にある。
今回、このジジイがどこまで本来の力を発揮することができるのか、それは非常に気になるところだ。
それに――
「……いや、それはいい。横槍は入らんとは思うが、一応周囲には気を付けておいてくれ」
「分かってはいたけど、一人でやるのね?」
「ああ。ジジイを斬るのは、この俺だ」
餓狼丸を抜き放ち、ゆっくりと前に進み出る。
もし、コイツが持っている天狼丸があのジジイと同じ性質であるなら、シリウスですら対処は危うい。
下手に手出しをしようとしたところで、手痛い反撃を食らうことは目に見えているだろう。
故にこそ、このジジイは俺が一人で相手をしなければならない。
たとえ再現であろうとも、久遠源十郎という男はどこまでも油断ならない相手なのだから。
「さて……久々だ。慣らしついでに、一手お相手願おうか」
『――――』
返答はない。だが、凍えるような殺気の中で、その再現体は確かに、その瞳を喜悦の色に染めていた。
――そんなところが印象に残ったか、第四の大公よ。
俺の言葉に呼応するように、天狼丸の切っ先が僅かに上がる。
ただそれだけで、ジジイが臨戦態勢に入ったことを否応なしに感じ取ることができた。
その動きは正しく、俺の記憶にあるジジイそのもの。
これを再現できるという点だけでも驚嘆すべきことではあるが、果たしてその先があるのかどうか。
その懸念の答えを示すかのように――
斬法――柔の型、流水。
ゼロからトップスピードに乗るように、天狼丸の切っ先がこちらへと襲い掛かってきた。
その閃光の如き一閃を、餓狼丸の刀身を以って受け流す。
返しの刃は鍔迫り合いの形で受け止めて――すぐさま、ジジイは押し合いには拘泥せずに後退する。
やはり、天狼丸の攻撃力に特化している状態に変わりはないようだ。
(破壊されない餓狼丸なら受け止められるし、ステータスの勝負になればこちらが有利。だが、そう易々と持ち込めるわけもないか)
対等なステータスまでであれば、《抜山蓋世》の効果が乗っている俺の方が圧倒的に有利だろう。
だが、ジジイは最初からステータスの勝負にはこだわらず、どこまでも天狼丸の刃を届かせることに集中している。
一太刀でも通してしまえば、こちらのHPなど一撃で消し飛ばされてしまうだろう。
故にこそ、この戦いはどこまでも慎重に進めなければならない。
初手の奇襲に対処したことで、駆け引きの段階に入ったのだろう。
ジジイは、八相の構えでこちらを睨みながらじりじりと距離を測ってくる。
それに応じ、こちらもまた正眼の構えで受けて立った。
「……」
『――』
少しずつ、少しずつ、次なる手を考慮しながら距離を測る。
こういう時、先手を打つのはいつもジジイだ。
攻め手となることが得意なジジイは、いつも先に刃を振るっていた。
対し、ジジイと戦うために剣の見極めを磨いてきた俺は、後手の方が得意となった。
どちらにとっても得意な戦法――故に、その流れは変わらない。
『――――!』
刹那、縮地にてジジイが距離を詰めてくる。
その動きに幻惑されぬように振り下ろされた一閃を躱し――
斬法――柔の型、流水。
更に翻った刃霞の一閃を、流水を以って受け流した。
反撃にはなった一閃はこちらも流水によって受け流され――俺はそのまま、肩からジジイへと肉薄する。
打法――破山。
踏み込みと共に叩きこむ、極大の衝撃。
その一撃を、ジジイはひらりと後方へ跳躍しながら受け流した。
ダメージは一切存在しない。完全に、俺の破山による一撃を無効化して見せたのだ。
その絶技、まさに久遠源十郎の業だと確信できる。
しかし――
「――『唯我』を使わんか、ジジイ」
このジジイの剣に、『唯我』の理は存在しない。
俺が相手であろうとも、それを遠慮するようなことはなかったというのに。
やはり、マレウスの力を以ってしても、ジジイの本質までもを再現することは不可能だったようだ。
このジジイに、『唯我』を操る力はない。尤も、それでも十分すぎるほどに剣の技量は高く、甘く見られるような相手ではないのだが。
――だが、それでも。
「アンタがそれじゃあ、拍子抜けってもんだろうよ」
俺は、それを操るジジイを上回るために修行を続けてきたのだ。
このジジイを倒したところで、真にジジイに通じるとは全くもって言える筈もなかった。
小さく嘆息を零し、あくまでもジジイの剣技の復習として割り切ることにする。
たとえ真の理に至らずとも、その技量が絶技と呼ぶに相応しいものであることは事実なのだから。
「しッ」
歩法――縮地。
距離を離したジジイへと、今度はこちらから接近する。
当然のごとく、縮地による幻惑など通じる筈もない。
迷いなく振り下ろされたその一閃へ、俺は餓狼丸の刃を重ねた。
斬法――柔の型、流水・逆咬。
相手の一閃の方向を変え、跳ね上げるように逸らす。
本来であれば相手の手から剣を弾き飛ばす業なのだが、ジジイはそれを容易に保持したまま刃を振り下ろしてきた。
中天――真っ向からの一閃。だが、『唯我』を使っていない一閃ならば、それを躱すことは不可能ではない。
横に逸れながら天狼丸の刃を躱し、こちらもまた上段からの刃で肩口を狙う。
しかしジジイはそれを、下段から掬い上げる一閃にて迎撃し、流水にて受け流した。
「――ッ!」
『……!』
たとえ『唯我』が無かったとしても、やはり容易に崩せるような相手ではない。
久遠神通流の理を、こうも再現してみせるマレウスには忌々しい思いを抱きつつ――
斬法――柔の型、流水・浮羽。
俺は、ジジイの一撃の重さを利用しながら位置関係を調整し、右足を踏み出しながら刃を振るう。
この程度で、ジジイがこちらを捉え損ねるようなことはない。
しかし――今、この位置こそが、俺にとって必要なものだった。
大きく目を見開き、風林火山の理を極限まで高め、強く地面を踏み締めた。
(――来るか)
こちらへと振るわれる、迎撃の刃。
カウンターで襲い掛かる、その一閃。
それは――僅かに、俺の耳の横を掠めて空を切った。
斬法――剛の型、刹火。
そして、それに噛み合うことなく振り抜いた俺の刃は――その再現体の胴を、深く斬り裂いて見せたのだった。





