932:達人級
ここまで進んでくると、ある程度方角も確定できてくるものだ。
敵の数は相変わらず増え続け、準達人級以外にも八体以上のエネミーが出現するという状況。
さすがにこのレベルを複数相手にすることは難しいということで、五体を超えた辺りから準達人級の相手は俺が行うこととなった。
数がいると確かに難しくはあるのだが、俺なら特に問題はないし、最悪シリウスが複数体受け持てば済む話でもある。
そろそろ追加のエネミーが十体に届きそうであるし、また何かしらの変化が発生しそうではあるが、果たしてどうなるのか。
「準達人級が二体に増えるなら、俺と緋真で一体ずつ受け持てば済む話なんだがな」
「このペースだと最終的にどうなるか分からないですし、そろそろ何かしら目的地が見えてほしいんですけどね」
敵が増えることについては特に問題ないのだが、緋真の言う通り目的が未だはっきりと見えないのは問題だった。
どこまで行っても続いているだけの荒涼とした大地。
進んでも進んでも、遠景に見える山が近づいてくる様子は見えない。
正しく、箱庭とでも呼ぶべき景色。果ての見えないこの場所は、立っているだけでも不安を掻き立てられる。
(……結局のところ、この空間は一体何なんだ?)
周囲を見渡しながら、胸中でその疑問を反芻する。
出現するエネミーの性質、そして発動系スキルを発動できないという制限。
そういうギミックであると言われてしまえばそれまでだが、これには第四の大公の性質が関わっていると見ていいだろう。
しかし、ここまで進んで来たというのに、現れた変化は敵の数が増えるだけ。
奥に進めば進むほど敵が強くなるというのはダンジョンの性質のように思えるし、大公の性質と直結しているのかどうかは疑問が残るところだ。
であれば、この大公の性質とは何なのか。
(ジジイと相討ちになった、か)
ジジイは、ドラグハルトを見て時空の精霊を呼び出したという。
つまり、多量のリソースを有する大公への攻撃手段として、それが有効であるということを知っていたのだ。
それはまず間違いなく、第四の大公と戦った時の経験からだろう。
ということは、その大公も大量のリソースを内包して、自分の弱点を覆い隠しているような状態であったと考えられる。
であれば――今このエリアに出現してくるエネミーの数々は、そんな大公が内包していた存在たちなのだろうか。
(アルフィニールの内部は、全て溶け合った肉の塊だった。個別の意志はなく、全てアルフィニールの感情に統一されていた。逆にエインセルは個々の人格を保ったままの軍勢であり、それゆえに各々が独自の判断で動いていた)
あの二体と似通った性質を持っていたのなら、果たしてこの大公の従えた総軍はどのような性質を持っていたのか。
今この場に現れた、殺気ばかりの人物たちは、大公とどのような関係があったのか。
殺気はあるが故に、意識はあるように思える。だが、個々を識別できる要素は手に持った武器と実力だけであり、それ以外の全ての外見は何も変わらない。
それが、酷く歪であると――本能的に、直感的に、そう感じていた。
「……もう少し、決定的な何かがあればいいんだがな」
「何のこと?」
「いや、ただの独り言だ。いい加減変化が欲しいってだけの話さ」
「まあ、それには同意だけど……変化自体は、そろそろ起きるんじゃないかしら?」
パッシブのスキルはすべて動いているため、アリスの《超直感》も機能している状態だ。
その感覚が何かを捉えたか、アリスは視線を前方へと向ける。
そして――こちらへと鋭い殺気が向けられたのは、ほぼ同じタイミングであった。
「……これは」
先程よりも、さらに鋭い気配。
ただそれだけでも刃のように鋭い殺気に、思わず口角が持ち上がることを感じる。
これは、先ほどまでとは桁が違う。明らかに、その鋭さを増していた。
その先に立っていたのは、これまでと変わらぬ姿の一人の男。
手には一振りの直剣。赤い飾りの施されたその刃が、鈍く光を反射する。
「俺が出る。ちょっと待ってろ」
餓狼丸を抜き放ち、前へと進み出る。
その刹那――直剣を手にした仮面の男は、凄まじい速さでこちらへと接近してくる。
足運びは素早く、しかしながら重心には一切のブレが無い。
その体捌きは、間違いなく熟練のそれであった。
「成程――」
瞬く間に距離を詰め、下から掬い上げるように放たれた鋭い一閃。
その鋭い刃の一閃に、俺は餓狼丸の刃を合わせた。
斬法――柔の型、流水。
金属が擦れる音と共に、直剣の一閃の軌道を逸らす。
しかし、刃を流されながらも、男の体幹が崩れることはない。
先ほどまでの相手であれば多少は体勢を崩すことができていたのだが、どうやら体捌きまで向上しているようだ。
尤も――ここまでは最低条件と言えるのだが。
「しッ!」
反転させた刃を、相手の肩口へと向ける。
振り下ろすその一閃。それを、男は戻した直剣で受け止める。
飛び散る火花が一瞬だけ俺たちの顔を照らし――
斬法――柔の型、刃霞。
跳ね返るように軌道を変えた刃が、男の脇腹を襲った。
瞬間、男は咄嗟に後退して刃を躱し、直剣を上段に構え直す。
それと共に、俺は一歩前へと出ながら刃を振り上げた。
「おおッ!」
斬法――剛の型、鐘楼。
膝の蹴り上げによって加速する、神速の振り上げ。
その一閃に、男は咄嗟に直剣の柄で攻撃を受け止めた。
鐘楼の一閃は速度こそあるが基本的には軽い。だがそれでも、構えた刃を逸らす程度の威力は十分にあった。
「――――!」
男には動揺はない。そもそも、そういった感情があるのかどうかすらも定かではない。
だが、僅かでも構えが崩れたのならば、次の行動へは刹那の隙が生じることとなる。
まだ、そこに潜ることはできずとも、刃を振り下ろすには十分だった。
斬法――剛の型、鐘楼・失墜。
踏み込みと同時の、渾身の振り下ろし。
相手はそれに反撃を合わせることはできず、直剣による防御を選択した。
餓狼丸の一閃を受け止め、その衝撃に男の足元が爆ぜ割れる。
けれど――それでもなお、男の体勢が崩れることはなかった。
「……見事」
俺の刃をここまで受けて、それでもなお崩れることなく対応を続けるか。
間違いなく達人級――師範代たちに匹敵する技量の持ち主だ。
それほどの相手と戦えることの幸運と、そんなものを出してくるこのエリアの不可解さが同時に脳裏を掠めるが、今はその考えを放棄して目の前の相手に集中する。
男は、強く刃を跳ね上げて餓狼丸の刃を弾く。
そのタイミングに合わせて俺は一歩後退し、八相の構えにて相手の動きを待ち構えた。
体勢を低く構えた男は、その切っ先をこちらへと向け――リーチを隠すように、直線に飛び出す。
刃の握りには遊びがあり、故にどのような形で翻るかは読みづらい。
面白い剣術だ。実に研ぎ澄まされた殺しの業である。
だが――
「――殺気を出しすぎだ」
――ただ、それだけが残念だった。
斬法――剛の型、刹火。
向けられている殺気から刃の軌道を読み取り、それを躱しながら餓狼丸の刃を振るう。
直剣の軌道を掻い潜るようにして放ったその一閃は、脇の下から胸にかけて刃を通し――深く深く、その身を切り裂いた。
二つの刃は交錯し、しかし血を散らしたのは餓狼丸の一閃のみ。
男は刃を振り切った体勢で倒れ、そのまま跡形もなく消滅したのだった。
残心と共に息を吐きだし、男が消えた場所を見つめ、呟く。
「全く……面白いが、本当に惜しい場所だな」
達人級というその技量は、師範代たちを除けば戦おうとして戦えるものではない。
故にこそ、相手の意志が見えないというその一点が、俺にとってはひどく残念なものであった。





