918:黄金の頂
ドラグハルトの対処は金龍王が行うという方針については、アルトリウスも覆すことができなかった。
そもそも、ドラグハルトを止められるだけの戦力が前提として必要になってしまうのだから、交渉も何も無かったのだが。
しかし、だからと言って指を咥えて見ていることもできず、アルトリウスは戦闘可能なメンバーを展開しつつ、若い真龍たちの退避を手伝うこととなった。
その総指揮を行いながら、アルトリウスは北東の空へと視線を向ける。
程なくして、ドラグハルトはここに到達することになるだろう。
「最後の手段、か」
金龍王の言葉について、アルトリウスは事情を聞いているわけではない。
だが、ある程度の部分については察しがついた。
本当に最後の手段としか言えず、しかも根本的な解決には至っていない方法。
それでも、今頼れるものはそれしか無く、歯がゆい思いでドラグハルトの気配を探り続けていた。
「アルトリウス、真龍たちの避難は終了したよ」
「ありがとう、マリン。時間は……もう無さそうか」
「そうだね。残念だけど、何か策を準備する時間はなさそうだ。例の彼女も、これにはお手上げのようだよ」
マリンの言葉を聞き、アルトリウスは小さく嘆息を零す。
マリンの告げた『例の彼女』とはファムのことだ。その悪辣と言っていい手練手管なら、何かしら準備があったかもしれない――そんな僅かな期待も、残念ながら通じることはなかった。
「どうやら、ドラグハルト達も彼女のことは完全には信用していなかったようだね。今のドラグハルトの動きまでは、彼女も読み取ることはできなかった」
「恐らく、公爵級の間だけで通っていた作戦なんだろうね。配下の悪魔たちは、命じられれば従うだろう」
どのような情報流通になっていたかは不明であるが、事実としてファムですらその情報を手に入れることはできなかった。
完全に後手に回ったこの状況では、何か対応策を用意するには時間が足りない。
もしもヴァルフレアとの戦いが長引いていれば――と、得られなかった可能性に思いを馳せながらアルトリウスは目を細める。
――遠く、空の果て。小さな影が見え始めたのだ。
「どうやら、到着するようだ。金龍王への援護だけは準備を」
「了解。まあ、正直僕ら程度の出力じゃ焼け石に水だろうけどね」
そもそも、聖属性に特化した金龍王は回復にせよ補助にせよ、プレイヤーよりも圧倒的に高い出力で行うことができる。
プレイヤー側からの援護を飛ばしても、金龍王の力には到底及ばないだろう。
それでも、何も無いよりはマシであると、アルトリウスは部隊を展開する。
そして――部隊の展開が終わるのとほぼ同時、凄まじい速さで飛翔してきた黄金の影が、浮遊島へと激突するように着地した。
浮遊島が落下するのではないかと錯覚するほどの轟音と振動。それらに耐えながら、アルトリウスは土煙の中から現れる黄金の影を直視する。
『――ついに、この日が来たぞ』
圧倒的、ただその一言しか出ないほどの、膨大な魔力の塊。
左腕は斬り飛ばされ、体の各所には深い傷跡が残されている。
それでもなお、そのドラグハルトの力は以前とは比べ物にならない程に高まっていると、アルトリウスは戦慄と共に確信した。
(これは、止めきれない)
たとえこの場にクオン達がいたとしても、止めきれるものではない。
全員が万全の状態で、その上で龍王たちを招集して――それでようやく戦いになるというレベルだと。
それほどまでに、大公の力を取り込んだドラグハルトは圧倒的であった。
『さあ、決着をつけようではないか、金龍王よ』
『随分とまぁ、大層な姿になったものだの』
その圧倒的な威容を前にして、しかし金龍王は呆れたような口調でそう呟いた。
彼女の口調の中には焦りの色はない。その様子に、ドラグハルトは違和感を覚え声を上げた。
『逃れられるとでも思っているのか?』
『まさか。お主は妾を地の果てまでも追ってくるであろう。逃れることに意味などあるまい』
『ならば、余に勝てるとでも?』
『さて、どうであろうな?』
金龍王は、あくまでも韜晦するような態度を崩さない。
しかし、対するドラグハルトもまた落ち着いたものであり、その挑発に乗るようなことはなかった。
『であれば、試させて貰うとしよう。その上で、貴公の権能は余が貰い受ける』
『ならば来るがいい。同じ黄金を名乗るならば、その在り方を示して見せよ』
どちらも黄金、輝かしき魔力が励起される。
けれど、やはりその出力はドラグハルトの方が上。
今のドラグハルトは、最早真龍たちの力すらも遥かに凌駕した領域にある。
(……やはり、正面から戦って勝つのは不可能だ)
だが、その戦闘は最早手出しのできる領域には無い。
大きく翼を広げた二体のドラゴンは、そのまま浮遊島の上空へと一気に駆け上がる。
アルトリウスからしてみれば、できる限り浮遊島の地口で戦ってほしかったのだが、その希望が叶えられることはなかった。
大空へと舞い上がった黄金のドラゴンたちは、その強大な魔力を纏ったままに交錯し――赤い血が弾ける。
「……!」
傷を負ったのは金龍王だけ。金龍王の攻撃もドラグハルトに命中してはいるが、大きなダメージは通っていない。
一方で、回復に優れる金龍王は自らのダメージを即座に回復する。
瞬間的な再生とでも呼ぶべき速度で、その傷は即座に修復された。
その回復力は驚異的であり、致命傷に近いであろうダメージすら一瞬で回復してしまうのだ。
『やはり、貴公のその力は厄介だ――故に!』
『圧倒的な力で消し飛ばすか? 妾がそれを認めると思うてか』
魔力を収束させようとするドラグハルトであるが、しかし金龍王は距離を離さない。
あくまでも至近距離で、ドラグハルトに力を溜める時間を与えないつもりなのだ。
出力で負けている金龍王は、そのように戦うしかない。
そして、結局のところドラグハルトにダメージを与えられない以上、その戦い方も解決策にはなり得ない。
――ドラグハルトもまた、そのことを十分に理解していた。
『――これは、考慮の外であったか?』
『ぬ……!?』
ヴァルフレアとの戦いで切断された左腕――その腕の先から、巨大な魔力の腕が出現する。
薙ぎ払うように振るわれたその一撃は、接近状態にある金龍王には避けられるものではなかった。
魔力によって形作られた五指が、金龍王の体を鷲掴みにするように捕らえる。
「ッ……!」
その光景を目にし、アルトリウスは咄嗟に対応策を模索する。
だが、この位置関係で当てられるとすれば、それは『聖剣コールブランド』の完全解放のみ。
しかし、ああも動き回る相手では当てられる筈もないが故に、チャージができていない状況だ。
そして現在は動きを止めていたとしても、今からでは到底発動は間に合わない。
『さらばだ、我が遠き祖よ。貴公の持つ鍵は、余が貰い受ける!』
そして――膨大な破壊力を有するブレスが、至近距離から金龍王へと直撃した。
溢れる魔力はそのまま浮遊島へと直撃し、凄まじい衝撃と共にその外れを貫通する。
あまりの振動に立っていることもできずに膝を突きながら、アルトリウスはそれでもその光景から目を離さなかった。
黄金の光の中、消滅していく金龍王。
――その口元は、何故か僅かな笑みを浮かべていた。
(……確認しなければ)
状況はひたすらに悪い方向へと転がっている。
しかし、まだ最悪とまで呼ぶべき状況ではない。
浮遊島へと舞い降りてくるドラグハルトの姿を見据えながら、アルトリウスはただ思考を巡らせる。
「――見ていたか、異邦人たちよ」
浮遊島へと着陸したドラグハルトは、ドラゴンの姿を消して悪魔の姿に戻る。
黄金の偉丈夫は、その姿でも左腕は千切れたままではあるものの、その戦闘能力に陰りは見えなかった。
金龍王の持つ、女神の領域へと踏み入れるための鍵。
それを手にしてしまったドラグハルトは、女神の眷属である異邦人たちを前に告げる。
「余はこれより女神を滅ぼし、その力を以て魔王へと挑む。故に、最後に問おう――女神との契約を破棄し、余に降るか」
「それは……」
「否であるならば、貴公らは程なくして滅びるであろう。貴公らの世界と共に。その僅かな時間で、余に刃を届かせるつもりであるならば――余は、全霊を以て貴公らを滅ぼそう」
ドラグハルトが、覇気と共に告げる最後通牒。
奥歯を噛み締め、アルトリウスは表情を歪ませながらその姿を見据える。
本来であれば、明かしてはならない致命的な情報。ドラグハルトなりの言葉になっているが、それを口に出されてしまった。
破局は近い。何もかもが崩れ去ろうとしている。その状況下で、判断をゆだねられたアルトリウスは――
「――ったく、随分とまぁ、無茶苦茶なところで呼んでくれたもんだな」
――聞き覚えのない、そんな声を耳にした。





