090:閑話 方々の反応 その1
ワールドクエスト《悪魔の侵攻》。正式サービス開始後の初大規模イベントとなった今回の戦い。
それを終えてログアウトした本庄明日香は、そのまま自室のベッドにてゴロゴロと身を転がしていた。
多数の敵と、そして己では打倒できないような強敵との戦い。
しかし、それほどの戦いを経てなお、明日香は緩んだ表情でにやける口元を抑えることができていなかった。
「ふふふ……やっぱり、先生は凄いなぁ」
己が勝てなかった相手を、無傷で蹂躙したその姿。
明日香は、その一挙手一投足を余すことなく目に焼き付けていた。
己にとって、誰よりも尊敬すべき存在。未だその後ろ姿どころか、影すらも見えないほどの圧倒的強者。
明日香にとって、それはある種の救いとも言える存在だった。
「合戦礼法、鬼哭……奥伝の鎧断……他にも、いくつも。もう、本当にルミナちゃんが羨ましい」
己には届かぬ術理を思い浮かべ、それをいかにして己に適応させるかを考える。
それは、明日香が久遠神通流に名を連ねてから一日として絶やすことなく続けていた、一つのライフワークであった。
――本庄明日香は天才である。
それは、彼女が剣を握ってから数日としない内に下された評価であった。
武術における守破離とは、つまるところ決まりきった型をいかに己自身にあった形へと調整するかを指し示している。
明日香は、その己への適応に優れた才能を有していたのだ。
久遠神通流の業は非常に複雑な術理から成り立っており、基礎である竹別や流水でもその奥深さは計り知れない。
明日香は、そんな複雑な術理を、使えるようになったその日の内に自分なりのアレンジを加えていたのだ。
故にこそ、周囲は彼女を天才と持て囃した。それは紛れもなく事実であり――同時に、明日香にとっては何の意味も無い評価であった。
(嗚呼、届かない……全然、まだまだ、影も掴めない)
何故なら、そこには己以上の天才が存在していたからだ。
久遠総一――久遠神通流を受け継ぐ本家、久遠一族に生まれた鬼子。
歴代最強と名高い当主、久遠厳十郎に気に入られ、その拷問じみた薫陶を受けながら一切挫けることの無かった男。
明日香は知っている。あれこそが真の天才であると。そして同時に、途方もないほどの努力を積み重ねた天才なのだと。
それと比べれば、己の才能など小手先の小細工に過ぎない。故に、明日香は己の才に驕ることなく修練を積み重ねてきたのだ。
しかし――彼女は同時に、歯がゆい思いも感じていた。
(だから私は、先生に付いていかないと――)
彼の存在は、明日香にとっての目標だ。
いずれ辿り着きたい、隣に並び立ちたいと思っている場所。
だが、彼の視線はいつまでも彼の師に――先代へと注がれ続けていた。
常に上を向き、他を顧みることなく走り続ける姿。追い付けず、それどころか距離を離され続けている実感。
見上げる先が遠いことは構わないと考える明日香にとっても、絶対に追いつけないほど遠く離されることだけは避けたかったのだ。
――彼の隣に立つことだけが、彼と並び立てる自分になることだけが、明日香にとっての人生の意義だったのだから。
『――帰ってきたら、私を弟子にしてください!』
だから明日香は、六年前の旅立ちの日、総一に対してそう告げていた。
その意味を理解して、その上で彼女は願ったのだ。
並び立ちたいと、辿り着きたいと――そう願う心のままに。
その時点で総一は既に、久遠神通流の次期師範で間違いないとの認識を示されていた。
師範の直弟子とは非常に特殊な立場の存在であり、総一は安易に弟子を選ぶことはできなかったはずだ。
しかし、彼はそれを即決した。躊躇うことなく、笑いながら肯定していたのだ。
『そうだな、お前なら問題ないさ。もしもそうなるとしたら、それはお前であるべきだ』
その日、本庄明日香の運命は決まった。否、己の手で掴み取ったのだ。
いつの日か、久遠神通流を背負って立つ男の、その隣に並び立てる存在となること。
――共に、久遠神通流を支える存在となることを。
だからこそ、明日香は総一の立つ頂の高さに歓喜する。
道のりが遥かに遠いことを理解しながら、それでも。
「……今度はずっと、一緒に行きます。私はもっと、強くなります。だから――」
その先の言葉を飲み込んで、明日香は笑う。
嫉妬を受けもした。他者から排斥されたこともある。
けれど、それらは全て、明日香にとっては価値のないものだ。
必ず支えてみせると――遥か遠くまで駆け抜けていく彼が、決して孤独ではないことを証明するために。
「……頑張りますね、先生」
覚悟を新たに、明日香はそう、小さく呟いていた。
* * * * *
VRMMORPG、【Magica Technica】――その制作の大本となっているのは、多方面の業界に事業を伸ばしている大規模グループ会社、逢ヶ崎グループだ。
その中でも、運営を行っているのはゲーム制作チームの『AURA』であり、そのオフィスではスタッフが忙しく動き回りつつも、若干弛緩した空気を醸し出していた。
無理も無いだろう。非常に忙しかった大規模イベントが、無事に――と言っていいのかは微妙な部分もあるが――終了したのだから。
「お疲れ様です、先輩」
「おう、お疲れ。いやぁ、やっぱイベントはやべぇわ」
「制作スタッフはもっと大変だったでしょうね」
「どうなんだろうな。進捗会議だと、アイツら何か涼しい顔してるからな……」
ここは管理スタッフのオフィス。ゲーム内において、GMとしてプレイヤーの対応を行っているスタッフが所属している部署だ。
主にゲーム内での問題や調整事項を担当し、不正や迷惑行為に対して処罰を下すこともこの部署の仕事である。
後輩から渡されたコーヒーに口をつけ、先輩社員である波崎は肩を竦める。
「ま、無事に終わって何よりだ。部長は久しぶりにご機嫌だったよ」
「そうなんですか? ここの所イライラしてたとは聞きましたけど」
「いや、ちょっと前から機嫌は戻ってきていたんだがな。今回が終わった途端にすっかりご機嫌だ……例の『彼』のこと、すっかり気に入ったらしいぞ」
「え、部長ってばあの人のこと気に入ったんですか?」
顔を顰める後輩の様子に、波崎は苦笑する。
『彼』というのは他でもない。ここの所すっかりゲーム内を引っ掻き回している、クオンという名前のプレイヤーだ。
有名プレイヤーである緋真の師匠という情報については、彼がログインした初日から既にスタッフに伝わっていたが――その実力は、彼らの想像を遥かに超えるものだった。
レベル30以上を想定していた三魔剣スキルの取得に始まり、意図していなかった妖精の発見、剣聖との接触、妖精郷への到達、《一騎当千》の取得、爵位悪魔の宿敵化――彼は運営にとって予想外な行動を取り続けていたのだ。
「『妖精庭園』の設定を作ってた制作スタッフ、悲鳴を上げてたって話ですよ」
「《妖精の祝福》が広まっちまったからな……逆にヴァルキリーの設定作ったスタッフは大喜びだったらしいが」
「あの時点での精霊化、しかもヴァルキリーは完全に予想外でしたもんね。しばらくは出番は無いと思ってたのに」
テイムモンスターであるフェアリーは、本来はアルファシアではない国にある、『妖精庭園』と呼ばれるエリアで仲間にできる存在なのだ。
そのエリア内では妖精を視認できるため、そこでならば妖精を仲間にできるはずだったのである。
それがまさか、気配を感じて発見するなどという方法で《テイム》されるとは、微塵も考えていなかったのだ。
「ここの所の問い合わせの内、少なくとも五割は彼に関連する質問ですよ。って言うか何ですかあの叫び声……聞いていた魔物も悪魔も全員、恐慌状態だったじゃないですか」
「……ああいった敵であっても、全てきちんとAIは積まれている。AIが恐ろしいと感じたら、そりゃ慌てるし怯えもする。問題は、それを可能にするほどの威圧を、リアルに実行できる存在がいるってことなんだが」
イベント開始直後、クオンが発した叫び声。
それによって、東側に押し寄せていた敵の全てが恐慌状態に陥ったのだ。
高度なAIを実装しているが故の弊害と呼ぶべきなのか――だが簡易的なAIにしてしまえば、組織立った行動は難しくなる。
今回の大規模イベントでは、軍勢の行動を制御するために高度なAIを必要としていたのだ。
「……って言うか、感情演算エンジン積んでるAIは全滅じゃねぇのかな。幸い、普段はあんまり使わないみたいだけど」
「それって、ゴーレム系以外は全滅じゃありません?」
「いや、他にもいるけどな……何にせよ、彼は一切不正は行っていない。それは紛れもない事実だし、そうである以上は口出しできないってこった。部長のお気に入りでもあるしなぁ」
嘆息し、波崎は自分のPC端末を操作する。
そこに表示されていたのは、簡易的な3DCGのモデルだった。
その画面を覗き込んで、後輩は僅かに目を見開く。
「これって……彼がバーゼストを相手にしたシーンの再現ですか?」
「その内の一部……トドメを刺したシーンだけだ」
「鎧を斬ったシーンですか……いくらあの武器が耐久度ダメージを与える効果があるといっても、流石に鎧を斬るのは……」
「事実できちまったんだから仕方あるまい。これなんだがな……驚いたことに、コンマ1ミリでもズレてたら失敗してるんだ」
告げて、波崎はそのシミュレーション結果を表示していた。
クオンを模した人型の振るった刃は、相手の鎧の中ほどまで食い込んだところでその動きを止めている。
彼が実際に見せたように、その刃を振り抜くことはできていなかったのだ。
「これって……」
「強引に斬ったわけじゃないんだ、これは。鎧の厚みとか、刀の角度とか……そういった要素に合わせて、絶妙に力加減を変えている」
「そんな……そんなの、相手によって異なるじゃないですか! その場に応じて変えてるって言うんですか!?」
「実際にやってのけているんだから、その通りなんだろうな……ホント、意味が分からん」
お手上げだと言わんばかりにウィンドウを消し、波崎は椅子の背もたれに己の体を預けていた。
いっそこれを再現して魔物に利用しようかとも思ったのだが、このような力加減をその場に応じて再現できるようなAIは存在しない。
彼の動きのデータは、その瞬時の判断と調整ができない限り、そう利用できるようなものではないのだ。
「はぁ……まあ何にせよ、イベントの結果発表で色々と説明しておかにゃならんだろうな。システム的な特別扱いはしないが、やることが手に負えないっていう意味では特別扱いだ」
「二つ名称号に、あの景品まであるんですから、ある意味システムでも特別扱いじゃ?」
「そっちに関しちゃ、全プレイヤーにチャンスがあるんだ。それは特別ではなく平等だよ。まあ、しばらく騒がれるだろうが……彼の存在そのものが特殊なんだって共通認識にさえなれば、ある程度は緩和するだろ」
「……それまでは私たちに頑張れ、と」
「ははは、部長にアピールはしとくさ」
コーヒーを飲み干し、波崎は嘆息する。
【Magica Technica】はまだ始まったばかり――否、これからが本番だ。
その怒涛の流れの中で、果たしてこの無茶苦茶なプレイヤーがどのような騒動を巻き起こすのか。
多大な憂鬱と、若干の期待を抱きながら、波崎は再び仕事へと取り掛かっていた。