891:大要塞内部
とりあえずの仕事をこなした俺は、アルトリウスに連絡を入れた後、近くにあった建物内へと身を潜めて味方の到着を待っていた。
ドラグハルトの攻撃によって大混乱に陥っていた大要塞であるが、流石にこちらの異常を察知したのか、悪魔が集結しつつあるようだ。
破壊そのものはドラグハルトの攻撃の方が派手だった。それこそ、城館すらも崩壊するほどの衝撃だったのだ。
故にこそ、悪魔たちはあちらの方の防衛に集中しているようではあるが、流石にこちらも無視はしきれなくなったらしい。
「あまり集まり過ぎても困るんだが……まあ、壁が健在な時よりはマシか」
悪魔たちは、まだ被害状況を確認している状況のようだ。
残った壁上に新たな兵器を設置されると困るのだが、今のところは運び込まれている様子はない。
このまま、アルトリウスたちが到着するまではゆっくりさせて貰いたいところではあるのだが――
「……流石に、この状況で無防備なまま放置するってことはあり得んか」
ドラグハルト側ほど派手な崩壊ではないにしろ、こちらも壁が砕けていることに変わりはない。
プレイヤーが容易に侵入できてしまう状況であるため、エインセルがこのまま放置するということはあり得ないだろう。
最低限、兵力を集めて侵入を妨害する程度はするはずだ。
(そうなった時、どうするかね)
壁が健在な状況よりは遥かにマシだが、それでも大要塞内部に侵入しづらくなることに変わりはない。
あまりのんびりしていては、ドラグハルト達に先を越されかねないのだ。
こちらも、可能な限り急いで内部に侵入する必要があるだろう。
尤も、あちらは最大戦力であるドラグハルトがしばらく行動できない状況である筈なのだが。
「……だが、そろそろか」
僅かに、戦いの気配が近付きつつある。
どうやら、異邦人の軍勢もここまで接近しつつあるようだ。
さて、ならばいざ戦端が開かれた時、俺はどのように動くべきか。
――いうまでもなく、俺の仕事は悪魔側の邪魔をすることだ。
「なら、仕事を始めるとするかね」
餓狼丸の解放は終わっているとはいえ、そこらの悪魔に引けを取ることはない。
俺は腰かけていた椅子から立ち上がり、建物の窓から周囲の状況を改めて確認する。
集結しつつある悪魔たちは、崩壊した壁部分で押し留めようとするものと、周囲からその場所に攻撃しようとするものに分かれている。
単純ではあるが、人員だけで出来る簡単な防衛策であると言えるだろう。
尤も、兵器も無しで防ぐことができる範囲には限度がある。この防衛スタイルも、シリウスが出てきたら一方的に薙ぎ払えるだろう。
だとすると、エインセル側の思惑は、恐らく時間稼ぎでしかない。まだ、エインセルには切っていない手札がいくつもある筈だ。
「まあ要するに、こんなところで無駄な時間を食っている暇はないってことだ」
エインセルが何を隠しているのかは分からない。
だが、時間を与えればそれだけこちらが不利になっていくことは間違いないだろう。
であれば、俺たちはあまり時間をかけずにここを潜り抜けるべきだ。
そう決意しつつ、俺は窓から外に出て建物の屋根の上へと到達した。
「やはり、もう見えてるな」
本来、この大要塞の外壁は非常に高く、建物の屋根の上でも外の景色を見ることはできなかっただろう。
だが、俺が崩壊させた部分からは、遠方に多数の人影を確認することができた。
どうやら、プレイヤーの一団は既にここまで到達していたらしい。
ドラグハルトの軍勢には多少遅れたが、プレイヤーもようやくこの戦線に参加することができるようだ。
さて、それなら効率よく進めることとしよう。遠からず俺の居場所にも気づかれるだろうし、戦いはさっさと進めるべきだ。
「アルトリウス、聞こえるか?」
『はい、状況の共有ですか?』
「ああ、そちらの姿が見えたもんでな。準備は完了してるのか?」
『もう間もなくですね』
ここから見える状況の通り、プレイヤーの軍勢も準備は完了しつつあるらしい。
一応は兵器の射程外にいるため、まだそこそこ距離はあるのだが、進み始めればあっという間にここまで到達することになるだろう。
とはいえ、迎撃は当然受けることになる。元々、門から離れた場所であるため兵器は少なく、残りも可能な限り破壊したとはいえ、それでも皆無となったわけではないのだから。
だが、元々はそれらの攻撃を受けながら前進する想定だった状況だ。
対処は十分に可能だろう。それに――
「進軍可能になったら、シリウスを突撃させてくれ。侵入したタイミングで集中砲火を喰らわせる準備をしているようだからな」
『それは助かります。緋真さんに伝えれば良いでしょうか?』
「ああ、それで大丈夫だ。こちらもこの周辺の悪魔には目くらましをさせておくから、シリウスを盾に遠慮なく突っ込んで来てくれ」
『了解です。改めて、ありがとうございます。いい仕事をしてくれました』
「……あの女狐の策略に乗った形だがな」
軽く肩を竦めて嘆息し、通信を終わらせる。
奴がドラグハルトの動きまで知っていたのかどうかは分からないが、当初よりも有利な状況となったことは確かだ。
だが、エインセルの底が見えたわけではない。多少有利に事が運んだからと言って、楽観視することはできなかった。
「さて、そろそろ来るか」
遠目にも目立つ、巨大なドラゴンの姿。
銀色の鱗を輝かせるシリウスが、その姿勢を低く構えた姿が目に入った。
どうやら、俺の連絡通り、シリウスは遠慮なくこっちに突っ込んでくるつもりのようだ。
先ほど壁の上で暴れていた時は、対シリウス用のトリモチは見当たらなかった。
恐らく門の辺りに仕掛けていたのだろうが、そちらからこの場所まで届くことは無いだろう。
つまり、シリウスにとってこの状況は独壇場だ。想定外の反撃すらも含め、あいつを止められる者はいない。
「――さあ、来い!」
俺の声が聞こえた筈も無いだろう。しかし、シリウスは力強く咆哮し、地を蹴って大要塞へと向けて走り始めた。
それとほぼ同時、遠方で響く砲撃音。無事だった迫撃砲が、シリウスへと向けて砲弾を降り注がせる。
壁の正面部分の兵器は破壊したが、それでもある程度離れた場所まではカバーしきれなかったのだ。
だが、結局は物理攻撃。その直撃を受けたとしても、シリウスの体が揺らぐことはない。
(驚くべきは、直撃させる技量か。ただの悪魔が、それほどの弾道計算をするとはな)
対処できているとはいえ、エインセルの悪魔たちが高い技術を持っていることは驚異的だ。
一体どうしたらそんなことを教えられるのか、という点は未だに謎である。
だが、何にせよ単なる砲撃ならシリウスにとっての脅威とはなり得ない。
その無事を確認して、俺は餓狼丸を抜き放った。
「《オーバーレンジ》、『破風呪』」
そして刃を振るい、遠慮なく周囲を漆黒の風で包み込む。
魔法の発動さえ抑えておけば、シリウスにダメージを与える手段は無くなるだろう。
流石に俺の存在にも気が付いただろうが、闇に包まれていてはこちらの姿は捉えられまい。
そして、その状況に手を拱いていれば――
「グルァアアアアアッ!!」
強靭なる剣の真龍は、邪魔されることなく壁の内側まで到達することだろう。
穴の前に立ち並んでいた悪魔たちを蹴散らして、躊躇うことなく【咆風呪】の闇の中まで踏み込んできたシリウスは、視界が悪い中でも構わずに大暴れを開始した。
振るわれる爪は悪魔たちだけでなく周囲の建物すらも破壊し、その一挙手一投足が悪魔たちを蹂躙していく。
それに巻き込まれぬよう距離を取りつつ、周囲の状況を改めて確認する。
「……やはり、いるか」
感じた視線の方へと目を向ければ、遠方からこちらを観察している悪魔の姿。
それもただの悪魔ではなく、爵位悪魔だろう。ローフィカルムではないが、人間に近しい姿をしている。
それがどの程度の位なのかは分からないが、やはりただの悪魔だけということはなかったようだ。
(仕掛けてくるなら戦うつもりだったが、動かずか。ここまで侵入されることは織り込み済みか?)
さて、エインセルの思惑は未だに不明。
今のところ奴のシナリオに狂いが無いのであれば、まだまだ不利な状況であると考えた方がいいだろう。
だが何にせよ、これで主戦場を街中へと持ち込むことができた。
可能であれば、このまま一気に敵本陣まで攻め込むべきだ。
「……頼むぞ、アリス」
一つの仕事を任せられた彼女へ、小さく呟いて。
俺は、迫るアルトリウスたちと合流するため行動を開始したのだった。