866:時間稼ぎの終わり
悪魔の築いた陣地の破壊に成功し、とりあえずの危機は去った。
とはいえ、根本的な問題の解決には至っておらず、悪魔が作り上げたトンネルへの対処も必要となる。
それに、エインセルの軍勢は未だにこちらへの進出を企んでいるのだ。
結局のところ、向こうの侵略の手を一つ潰しただけであり、何の解決にもなっていないのが実状だった。
「で……こいつが奴らの掘ってきたトンネルか」
「意外としっかりしていますね」
あの拠点近辺の探索を行い、発見したトンネル。
山をブチ抜く形で開けられたその穴は、意外なことにしっかりと補強された代物であった。
いや、エインセルの技術力を考えると、むしろ納得と言うべきだろうか。
どうやら地属性の魔法で補強されているらしいそのトンネルは、決して広くはないものの、乗用車が一台通る程度ならば問題ない造りになっていた。
その状態を確認し、アルトリウスは小さく溜め息を吐き出す。
「厄介ですね。他にも同じ手で来ている可能性を否定できませんし」
「そうだな。いつの間にか懐まで潜り込まれているのは勘弁してほしいところだが……何か対策は無いのか?」
「山の向こう側を、上空から偵察するしかないでしょう。流石にトンネル工事をしているとなれば、上から見るだけでもわかりますから」
アルトリウスの言う通り、それだけ大きな動きであるなら、発見することはそれほど難しくは無いだろう。
とはいえ、そのために人員を割かなければならないのは、頭の痛い問題だろうが。
それに、考えなければならないことはもう一つある。
「それで、このトンネルはどうするんだ? 逆に利用するっていう手もあると思うが」
「そうですね。ですが、このトンネルは既にエインセル側にとって利用する価値が薄れていますから、このまま放置しておくとも考えづらいです」
「つまり、こちらが使っている間に崩落させられると」
「その可能性は非常に高いでしょうね」
その意見に、思わずため息を零す。
正直、それは俺も考えていた可能性だ。このトンネルは最早、エインセルには利用価値のない存在。
となればエインセルは当然、このトンネルを破棄しようとしてくるだろう。
もしもトンネルを通っている最中に破壊されれば、当然ながら通っている者たちは生き埋めになる。
それらが死に戻ることになるのは言うまでもないことだろう。
「それなら、破壊するしかないか。だが、適当にやっていいのか?」
「まあ、この辺りなら人が住んでいる場所も無いですから、多少崩落して山崩れが起きても問題は無いです」
「そうか。なら……シリウス、こっちに来い!」
俺の言葉を聞き、緋真に体を炙って貰っていたシリウスが顔を上げる。
先ほど体に付着していた粘着剤であるが、どうやら火には弱いらしく、弱めの炎の魔法を当てることで除去は可能だった。
とはいえ、柔らかくなっている間に拭い落とす必要があるし、その場ですぐに除去するというわけにもいかなかったのだが。
あの粘着剤は回避するべき代物ということではあるが、生憎とシリウスはあまり回避に秀でてはいない。
対策は考えておかねばならないだろうが――とりあえず、今はこのトンネルだ。
「グルル」
「粘着剤はほぼ取れたようだな。なら、この穴に向けてブレスを吹き込んでくれ」
「グルッ?」
普段あまり効かないような指示だったからだろう、シリウスは困惑した様子で首を傾げる。
まあ、トンネルを破壊する為というにはかなり大雑把な方法ではあるのだが、遠距離まで満遍なく破壊を振り撒くにはシリウスのブレスが最も適しているのだ。
アルトリウスに視線で確認すれば、彼も苦笑交じりに頷いて、他の面々へと後退の指示を出している。
彼らが距離を取ったことを確認し、俺は改めてシリウスをこの場に呼び寄せた。
地属性魔法に依って固められているとはいえ、シリウスのブレスに耐えきれるとは思えない。
困惑した様子ながらも、シリウスは地に伏せて顔を前に出し、トンネルの内部へと突っ込んだ。
「流石にトンネルの反対側までは通らんだろうが……まあ、ここを破壊する程度なら十分だろう。やってくれ」
「グルルッ」
シリウスのブレスは広範囲に届くとはいえ、流石に山の向こう側までは射程範囲外だ。
しかし、トンネルの中に吹き込むならば拡散するブレスも一点に集中するだろうし、多少は射程も伸びることになるだろう。
少なくとも半分ぐらいは崩れ落ち、その余波で更に奥まで崩落することになるだろう。
トンネルに頭を突っ込んでいるのは中々間抜けな絵面であったが、これが最も効率のいい破壊となる筈だ。
シリウスは大きく息を吸い、魔力を高める。姿勢的に少々やり辛いだろうが、そこは頑張って貰うしかない。
そして――
「グルァアアッ!」
普段よりは気合控えめに、強力な魔力を帯びたブレスが解き放たれた。
広範囲に広がるはずの《ブラストブレス》は、その逃げ場を失って一点に集中。
しかもシリウスが顔を突っ込んでいるため手前側に逃げることもなく、ただひたすらにトンネルの内部を蹂躙する。
そしてその直後、周囲には地響きにも近い衝撃が響き渡った。
更には、断続的に起こる振動。山自体が揺れているような感覚に、俺はいつでも後退できるように準備する。
そして――シリウスが顔を突っ込んでいたトンネルは、ぺちゃんこに潰れるように崩壊した。
「グルッ!?」
当然、シリウスの頭も土砂に埋もれることになるが、その程度で潰れるほど柔な体はしていない。
強引に頭を引っこ抜いたシリウスは、顔を振るって土砂を払い落とし、勢い良く鼻息を噴き出している。
鱗の隙間に土が入り込んでいたら不快だろうし、そこは後でチェックしておいてやるか。
ともあれ――
「トンネルの破壊は、これで十分だな」
「ええ、そうですね。とりあえずここは離れましょう、いつ山崩れが起きてもおかしくないですから」
山の内部でブレスが炸裂したのだ、それぐらいの衝撃になっていてもおかしくはない。
山崩れの予兆があるかどうかには注意しつつも、俺たちはさっさとその場を離れることとした。
ともあれ、これで一先ずの問題は解決したと見るべきだろう。
まあ、根本的な問題は何一つ解決してはいないのだが。
「アルトリウス、今回の敵の動き、どう見る?」
「こちらに対する攻撃そのものは本気だったと思います。ですが……あらかじめ、撤退のタイミングも視野に入れていたのかと」
「タイミング的には、指揮官が倒されたら即時撤退、ってところか」
「簡単な条件付けではありますが、だからこそ意思統一は図りやすい。名無しの悪魔たちにとっては、その方が良かったのでしょうね」
アルトリウスの口調の中には、苦いものが混ざっている。
今回の件、アルトリウスは勝利であるとは見ていない様子であった。
拠点の破壊という第一目標を達成できた時点で、勝利であることは間違いない。
しかしながら、完勝であるとは言い難い結果だろう。
「悪魔たちを最後まで戦わせたところで、悪魔側にはメリットが薄い。僕らをある程度落とせたところで、結局は復活しますからね」
「まさか、エインセルがそこまで部下の損耗を気にするとはな」
「……どうでしょうね。メリット、デメリットを考え、メリットの大きい選択肢を選んだとも考えられますから」
現状、エインセルの意図を完全に読み取ることは不可能だろう。
だが、アルトリウスの意見も的外れであるとは思えない。
事実、その撤退という選択肢こそが、俺たちにとって最も都合の悪い展開だったのだから。
「敵の攻撃を防げたとはいえ……これからどうするんだ?」
「それに関しては、ある程度見通しは立っていますよ。こちらの準備は、とりあえず完了しましたから」
「ほう……つまり?」
「こちらのトンネルもまた、開通しました。これで、次の作戦段階に移ることができます」
そう告げて、アルトリウスは口元に笑みを浮かべる。
今回の戦いはしてやられた。しかし、いつまでもそのままではいないと――そう、宣言するかのように。
その表情に、俺もまた口元を笑みに歪める。
「成程。それなら、詳しく話を聞くとしようか」
「ええ、始めましょうか。ここからは、こちらも積極的に仕掛けますよ」
未だ、不利としか呼べぬこの状況。
しかし、それを打破するための布石を打つことはできたのだ。
状況をひっくり返すためにも、全力を尽くして事に当たるとしよう。