853:防衛の開始
アルトリウスは既に偵察を走らせていたようだが、どうやらエインセルはワールドクエストの開始と共に動き始めていたようだ。
今までの悪魔と比べると非常に積極的な動きだと言えるが、それに感心している場合ではない。
緒戦だからといって、気を抜いていられるような状況ではないのだ。
「……いきなりこれだけの戦力を展開してくるか」
共有された情報を確認し、思わず溜め息を零す。
エインセルの本拠地と思わしき都市、そこから展開された戦力は数の上でもとんでもない規模であった。
どうやら整備していたらしい道を、長蛇の列が埋め尽くしている。
しかもその多くは、例の装甲化されたサイの魔物――砲塔を持つ戦車が如き怪物だ。
つまるところ、あれはエインセルにとっての機甲師団ということなのだろう。
その他、数多の兵器や資材が運搬されており、エインセルがこちらの攻撃を待たずして殲滅しようとしている様が見て取れる。
「どう見るよ、軍曹?」
「まぁ、どう見ても正面から当たるのは愚策だな。だがそれ以上に……」
「この連中、前線拠点を築こうとしてるな。俺たちの東側への進出を妨げる狙いだろう」
その状況を共に確認しているのは軍曹とランド――共に、現代戦に精通しているメンバーであった。
俺たちの基準からすれば、機甲師団、即ち戦車部隊とはまともにやり合うようなものではない。
少なくとも、空軍の支援なしで相手にできるような存在ではない。
まあ、このゲームの世界ではいくらかやりようはあるだろうが、問題はそれだけの戦力を擁しておきながら、エインセルがまるで雑な動きをしていないということだ。
「この状況なら、奴らは山脈を越えて中央側で陣を敷くだろう。簡易的な陣地とはいえ、防衛兵器を多数揃えた代物だ。戦車もいるとなると攻めるのは容易じゃない」
「対空砲もあるなぁ……随分警戒されてるじゃねぇか、シェラート」
「文句を言われても困るっての。敵の布陣はどの辺りだと思う?」
軍曹の指摘通り、写真の中には運搬される長い砲塔が見て取れる。
恐らくは、シリウスに対抗する目的の対空高角砲だろう。
空から行ってもあれに迎撃されるとなると、なかなかやり辛い。
シリウスだけなら何とか耐えられるだろうが、それ以外に防ぐことは不可能だろう。
そんな陣地がどの辺りに展開されることになるのか――その疑問に、ランドは地図の二点を指し示す。
「最低限、東と北東の二ヶ所。余裕があれば更に数を増やすだろうな」
「俺も同意見だ。ハハハ、こちらの動きが鈍いと見るや、すぐにここまで距離を詰めてくるとはな」
「笑ってる場合じゃないぞ、軍曹。この陣地は制圧したとしても俺たちに殆どメリットがない。敵に有利なだけの代物だ」
軍曹に半眼を向けているランドの言葉だが、それも否定はできない。
山脈の西側に陣を敷かれた場合、エインセルの拠点への足掛かりとして利用するには不便すぎる。最低限、山脈の東側でなければ意味が無いだろう。
つまり、エインセルの前線拠点は破壊はともかく、制圧にはそれほど旨味が無い状況ということだ。
「どうする、こっちから打って出て、陣地の設営を妨害するか?」
「亀みたいに篭っているよりはマシだな。だが、この規模が相手じゃ、完全に妨害することは不可能だろうよ」
俺たちならば、一時的に奴らを撃退することは可能だろう。
しかし、二十四時間戦い続けられるわけではない以上、敵の進出を完全に防ぎ切ることはできない。
奴らが場所を選ばずに陣地を設置してくれば、それを防ぐことは不可能に近いだろう。
集中的に防衛すれば一ヶ所ぐらいなら何とかなるかもしれないが、広く展開されれば対応はできないと断言できる。
「しばらくは防衛だけを考えればいい、とは言うが……いずれは反転攻勢に移る必要がある。その時、こちらが動けない状況にされてしまっていたら詰みだ」
「つまり、籠城ばかりもしていられないってわけだな。俺たちの仕事はそこさ」
「要するに、防衛はアルトリウスに任せて俺たちは遊撃と破壊工作をしろってことだろ」
いちいち迂遠な軍曹たちの説明に半眼を浮かべつつ、そう結論付ける。
防衛は重要だが、ある程度能動的に動いて、敵の手を潰していく方が効率的だ。
元より、軍曹の部隊はそういった作戦の方を得意にしている。
正直、俺も待ちの姿勢でいることはあまり得意ではないし、軍曹と共に動くのであれば文句は無い。
「まあ、やることは分かったが、具体的にはどう動くつもりなんだ?」
「シェラート、お前たちは目立って戦えばいい。というか、お前らが戦うと派手になるからどうしても目立つだろ?」
「その間に、俺たちが隙を狙うってスタイルが基本だろうな」
「……否定はできんが、囮かよ」
基本的には巨大なシリウス、眩く輝くルミナや、派手に攻撃魔法の音を立てる緋真にセイラン。
本気で戦おうとした場合、俺たちはどうしても隠密行動には向かないのだ。
となれば、俺たちが陽動に動くのは確かに合理的だと言える。
問題は、敵の攻撃が俺たちに集中する点であるが――まあ、何とかするしかないか。
「やるのはいいが、何処を狙うんだ。その辺、情報を仕入れてくるのはブロンディーの仕事だろ」
「あいつも今は忙しそうだからなぁ……今回は特に情報は無しだな。とりあえず、こちらで仕入れた情報で動いていくぞ」
あのクソビッチを野放しにしておくことにも、そこはかとない不安を感じるが、連絡が付かない以上は仕方ない。
どうせロクでもないことをやっているのだろうが、ドラグハルト側の子細な情報を仕入れられるのは奴の手腕によるものだ。
エインセルの方については、一旦こちらで何とかするしかないか。
「了解、とりあえず出撃するならいつでも出られるから、そっちも準備ができたら言ってくれ」
「おう、それほど時間はかからんから、少し待っていてくれ」
軍曹の言葉に軽く手を振り、その場を離れる。
かつてデルシェーラの氷によって覆われていた都市、現在のプレイヤーにとっての最前線。
『エレノア商会』によってかなりの改造が施されている状況ではあるが、果たしてエインセルの兵器を相手にどこまで対抗することができるのか。
その辺り、敵の攻勢を少しでも弱めるためにも、俺たちの仕事は必要となるだろう。
「何だか、ここまで不透明な状況での戦いも珍しいですね」
「そうだな。ローフィカルムがいきなり決戦に持ち込むような真似をしなけりゃ、もうちょっとやりようはあったんだが」
勿論、その方法が取れないというわけではない。
だが、ドラグハルトという対抗勢力がいる以上、その選択肢のリスクは無視できないものとなってしまうのだ。
残念ながら、現状ではかなりの博打を打って戦う他に道はない。
一時的にドラグハルト達と手を組むことも含め、多数のリスクを背負わなければならない状況だ。
「ともあれ、今は少しでも不利を減らす。エインセルは甘い相手じゃない。隙を見せれば、それを利用してくるだろう」
ただでさえギリギリの状況では、こちらの隙は致命的な損失に繋がりかねない。
俺たちの仕事がただの時間稼ぎで終わってしまえば、今後に繋げることは困難となってしまうだろう。
身動きが取れなくなってしまえば致命的だ。エインセルがそれを狙っているかどうかはともかく――それが可能な状況となれば、積極的に封殺しようとしてくるだろう。
まずは、それを避けるために動かなければ。
「不透明な状況だが、とにかく動いて手立てを探る。自分の仕事に集中し過ぎて、思考を止めんようにな」
「……ですね。ここまで来て、押し込まれて負けるなんてつまらないですから」
ロクに戦わないうちから負けるなど認められないと、緋真は僅かに笑みながら頷く。
コイツも中々、戦争というものに慣れてきたものだと――こちらもまた、小さく首肯を返したのだった。