851:作戦準備
ローフィカルムから得られた情報は、プレイヤーの陣営にとっては朗報でもあり悲報でもあった。
公爵級悪魔という極大戦力の動向を知ることができたのは大きな前進だ。
条件次第では、彼女は戦いに参戦してこないという点も大きな情報だろう。
(公爵級悪魔はどいつもこいつも個性……というかエゴがはっきりしている印象だったが、ローフィカルムは飛び切りだな)
正直なところ、ローフィカルムは通常の悪魔のスタンスからは逸脱しているように見える。
人間に対して無条件で敵対心を抱いている筈の悪魔が、敢えて敵対的ではないムーブを取っているのだ。
性格面の特別さについては、ドラグハルトとも比肩し得るものだろう。
尤も、その理由については全くもって不明であるため、その行動を分析することは困難なのだが。
(一方で、ローフィカルムとの戦いを避けるためにはエインセルの拠点を攻撃できない、ってのは問題だ)
ローフィカルムの方針は、プレイヤーの行動を大きく二つに限定したと言える。
一つは、ローフィカルムとの戦いを避け、軍勢が万全な状態のエインセルと戦うか。
もう一つは、エインセルとローフィカルムの両名を相手にして、少しずつ拠点を落としながら攻略していくか。
要するに――
「短期決戦か、それとも長期戦か。ってところか」
俺たちの報告を聞いたアルトリウスは、しばし方針を練るとのことで連絡が取れなくなってしまった。
アルトリウスが頭を悩ませているのは、中間的な方針が取れなくなってしまったからだろう。
つまり、エインセルの重要拠点だけを落として決戦に臨む、という作戦は不可能になってしまったのだ。
ローフィカルムと戦うか、戦わないか。俺たちに示された選択肢は、ただそれだけなのだ。
「実際のところ、普通に戦うとしたら拠点を落としていくのが定番ですよね」
「そうだな。その上でローフィカルムが逃げられない状況を作り出し、総力を挙げて討伐する。その後にエインセルからの反撃を受けて撤退することになる可能性は高いが、ローフィカルムという戦力を除くことができればかなりやり易くなるだろう」
緋真の言葉に頷き、想定される作戦に思考を巡らせる。
実際のところ、その方法が一般的だろう。長い時間をかけてでも、少しずつ攻略する方が俺たちにとって有利である。
だが一方で、そうも言っていられない理由もある。
「しかし、俺たちには明確にタイムリミットがある。そして……」
「それだけのんびり攻略していたら、ドラグハルトが有利になる、かしら?」
「……まあ、そういうことだな」
アリスの言葉は否定できず、頷かざるを得ない。
俺たちがローフィカルムと戦うということは、エインセル側の拠点を減らし、その上でローフィカルムの意識をこちらに集中させるということでもある。
それはつまり、エインセルの戦力が減った状態で、こちらは身動きが取れなくなるということだ。
その隙を、ドラグハルトが見逃す筈は無いだろう。奴は必ずや、その隙にエインセルを討とうとするはずだ。
「だからこそ、本来であればいくつかの重要拠点だけを狙ったのちに、エインセルとの決戦に臨むつもりだったんだろうが……作戦が白紙になったとなると、アルトリウスも色々と面倒が増えるだろうな」
「でも結局、ドラグハルトのことを考えると短期決戦しかないんですよね?」
「ああ、そうだな。ただ――」
短期決戦をせざるを得ないということは、これ以上の強化をしている暇がないということでもある。
果たして、今の状態でエインセルと戦うことができるのか。
それも、軍勢を一切削れていない、無傷のエインセルを相手に。
その判断は、非常に難しいところだろう。
「……余裕が無いことには違いない。なら、今のうちにできるだけのことをやっておかんとな」
「作戦はいつごろ開始になりますかね?」
「ドラグハルト側の戦線が膠着しているなら、もう少しはありそうだが……正直、あまり期待はできんな」
あちらの戦線がどちらの有利に傾くにせよ、膠着状態が崩れればこちらも動かざるを得ない。
そうなれば、この戦いは一気に佳境へと雪崩込むことになるだろう。
それまでに、一体どれだけの強化を積み重ねることができるのか――今はただ、やれるだけのことをやるしかない。
作戦が開始されるまでの時間を、一秒たりとも無駄にせずに動くこととしよう。
* * * * *
「どういうつもりだ、夜天の魔女よ」
「どうもこうも……儂はただ、最初の契約通りにしているだけさね」
滅びた都市にて再建された大要塞、その最奥にて。
要塞全体を一望できるその部屋には、二人の人影が存在していた。
即ち、大公級悪魔エインセルと、公爵級悪魔ローフィカルム。その二名の姿が。
重く低い、大気を震わせるようなエインセルの声音に、窓の外を眺めるローフィカルムは韜晦するように答える。
「儂がすべき仕事は、この大要塞以外の都市防衛。遠く離れた採掘拠点までサービスで防衛してるんだ、文句を言われる筋合いは無いんだがねぇ」
「その仕事は見事だ。貴公以外であれば、その全域をカバーすることは不可能だろう」
悪魔の中でも類まれな――こと、魔法という技術のみで見れば、ローフィカルムは頂点に立っていると言っても過言ではない。
特に、得意としている転移魔法の力が無ければ、その広い範囲をカバーすることは不可能だっただろう。
つまり、その仕事をこなせるのはローフィカルムだけであり、彼女は紛れもなく実直に仕事をこなしていた。
「しかし、何故人間と接触した」
「抜け目のないことだねぇ」
人間――その中でも特に注意している存在に、ローフィカルムは接触した。
エインセルは、その理由を彼女へと問うているのだ。
「初めの接触はいいだろう。その姿を晒すだけで、奴らの動きを封じることはできる。しかし、二度目の接触……先ほどの接触は不要である筈だ」
「そうかい? 儂はその方が有利だと思っているんだがね。時間をかけられるよりは、その方がいいんじゃないかい?」
ローフィカルムの返答に、エインセルは目を細める。
その言葉は、決して否定できるものではなかった。
異邦人たちが長い時間をかければかけるほど、エインセルは不利な状況となる。
そうなれば、エインセルもまたより積極的に動かざるを得なくなり、隙を突かれる可能性も高くなる。
短期決戦は、エインセルにとっても有利な戦況である筈なのだ。
「……貴公は、戦わずにいるつもりか」
「それは状況次第さね。次の戦いでアンタが勝利したなら、儂が戦う機会も生まれるだろうさ」
振り返った金と銀、二つの瞳がエインセルの姿を射抜く。
その瞳の中には何の感情の色も含まれておらず、ただ睨むエインセルの眼孔を反射するのみであった。
「アンタの側には付く。しかし、何処にも肩入れはしない。大公も、竜心公も、そして異邦人すら。儂はただ、全てに公平であるだけだ」
短期決戦の戦いは、いずれの勢力にとっても平等なものとなる。
戦力を削られない状態で戦いが始まるエインセルも、情勢の隙を突くことのないドラグハルトも――そして、小細工なく純粋に戦力で戦う異邦人も。
それぞれの勢力が、ただ純粋な自分たちの力で戦う、その状況。ローフィカルムは、ただ己の立ち位置だけでそれを演出したのだ。
「貴公は……それを、MALICEの在り方と定義するか」
「気に入らなきゃ、陛下は儂のことを消しているだろうさ」
ローフィカルムは、ただそう告げる。
それこそが、己が悪魔としての在り方であると。
逸脱した公爵級悪魔は、己をただ裁定者であると定義した。
人類の壁であり、進化のための障害である筈のMALICEは――全てに公平であることこそが、その在り方に相応しいと。
「……いいだろう。貴公の判断も決して悪いものではない。ならば総力を挙げて、奴らを叩き潰すこととしよう」
軽く溜め息を吐いたエインセルは、己が席から立ち上がる。
それは即ち――大公級悪魔エインセルとの戦いの始まりの合図であった。