849:刻一刻
分かったようで謎が増えた、そんなローフィカルムの話ではあったが、とりあえずある程度は今後の方針を練ることができただろう。
要するに、ローフィカルムのスタンスを探るべきである、という話だ。
正直に言ってしまえば、大公と公爵を同時に相手にすることはできない。
そして、エインセルもその有利を捨てるような真似はしないと考えられる。
であれば、どうにかしてどちらかを釣り出すしかないわけだが――もしもローフィカルムが交渉可能な相手であれば、取引という方法も視野に入るだろう。
(悪魔と交渉なんぞ気に入らんが……正直、分からんな)
果たして、あのローフィカルムはどのようなスタンスでいるのか。
一体何故、俺たちに対して積極的な攻撃を仕掛けてこなかったのか。
こちらを舐めているというだけではないだろう。あの悪魔には、手札を隠す以外にも個々の目的があると考えられる。
それが何であるかを見極めることができれば、何か打開策を得ることが可能かもしれない。
「……ドラグハルト側の戦線には、ローフィカルムは姿を現していないか」
アルトリウスからの連絡を確認し、状況を整理していく。
現状、ローフィカルムは北方の戦線には姿を見せていないようだ。
まあ、派手な魔法を使うとはいえ、姿を隠そうと思えば幾らでも隠れられる存在である。
本当にそちらへ移動していないのかどうかは不明だが、他の公爵級との接触を避ける可能性は十分にあるだろう。
それに、ローフィカルムという札は、ただ見せるだけでこちらの動きを制限することができる。
姿と素性を晒したのも、こちらに対する牽制なのではないか――というのがアルトリウスの所感であった。
(……確かに、奴が姿を見せただけで、こちらは身動きを封じられた。積極的に攻める、という手段も取り辛い状況だ)
ローフィカルムは、ただ一体でプレイヤーの総軍に匹敵する戦力だ。
戦えば消耗は避けられず、かといって無視して進むこともできない。
どのように対処するにしても、情報が足りないというのが正直なところだろう。
「先生、今日はどうします?」
「まずはレベル上げだが……そうだな」
このまま手を拱いていれば、それだけこちらの動き出しは遅くなってしまう。
こちらが攻めに転じるタイミングはいつにするべきか。その判断はアルトリウスが降すべきものではあるのだが――このまま後手の状態でいれば、より不利な方面へと悪化しかねない。
つまり、今すべきことは――
「ふむ。それなら、東に行くか」
「またですか? あの拠点はもういいんですよね?」
「拠点は別にどうでもいいが、顔ぐらいは見てもいいだろう。ローフィカルムがいるかどうか確かめる必要がある」
「……まさか、戦うつもり?」
半眼を向けてくるアリスに、こちらは軽く首を振る。
戦いになる可能性はあるだろう。だが、積極的に戦闘を行うつもりは無い。
必要なのは、ローフィカルムのスタンスを知ることだ。
あの悪魔がどのような方針でいるのかによって、こちらも対応を変える必要がある。
「正直に言うとだな、殺意を向けてこない相手に殺意を返すのは中々難しいんだ。アルフィニールは完全にイカレてたが、ローフィカルムはそうじゃない。向こうから仕掛けてこないなら、こちらも手出しはしないようにするさ」
「あー、まあ分かりますけど……配下の悪魔が攻撃してきたらどうするんですか?」
「身を護るぐらいはするさ。無抵抗に攻撃を受けてやる筋合いは無いからな」
まあ、とはいえ直接的な戦闘状態にはならないよう、注意しておくべきだろう。
下手に戦って明確な敵対関係になってしまっては元も子もないのだ。
それがローフィカルムがこちらの考え方まで読んだ上での動きである場合、老獪なんてものではないが――流石に、そこまでは考え過ぎか。
「とりあえず、上空から拠点を覗き見する程度にしようか。ローフィカルムであれば、向こうから気付いてくるかもしれんしな」
「……一応、戦闘になった場合に備えて、撤退できる準備はしておきます」
もしもローフィカルムと本気の戦闘状態になってしまった場合、流石に撤退せざるを得ない。
その時は、さっさとスクロールを使って逃げることとしよう。
さて、果たしてローフィカルムに接触できるかどうか――
「一体、どう出てくることかね」
誰にも聞こえぬように小さく呟いて、俺は東へと向けて再び出発したのだた。
* * * * *
上空の魔物というのはそれなりに対処が面倒ではあるが、やはり地上を移動するよりは圧倒的に速い。
さほど時間をかけることもなく、俺たちは山脈を飛び越え、山の向こう側の領域へと移動した。
レベリングという観点ではあまり望ましくない移動であるが、今はそれよりも移動を優先すべきである。
あの川に仕掛けられていた感知機構も、高すぎる上空までは届かない。
お陰で、特に悪魔に遭遇することもなく、あの拠点の上空近くにまで到達することができた。
とはいえ、そろそろシリウスの巨体は隠しておくべきだろう。地上から確認しづらい程度のサイズにまで縮めてから、改めて拠点の真上近くにまで接近する。
「さて……ローフィカルムはいるのかね?」
「とりあえず悪魔はいるっぽいですけどねぇ」
「昨日の今日で、もう人員を配置してるのね。案外、エインセルにとっても重要な場所だったのかしら」
既に坑道の復旧に動いているということは、エインセルはそれだけここの資源を重要視しているということなのだろうか。
となると、この間の作戦も、エインセルにとっては意外と大きな打撃になっていたのかもしれない。
坑道が復旧した辺りで再び襲撃を仕掛けるのもいいかもしれないが、それはエインセルも警戒していることだろう。
どのような戦いになるかは分からんし、その辺りの方針はアルトリウスと詰めておくべきか。
「それで、どうだ?」
「今のところ、見当たらないわね。建物もあるけど……正直、悪魔の数がそんなに多くないから、いないんじゃないかしら?」
いつの間にか購入していたらしい双眼鏡を手に、アリスはそう返答する。
この拠点には建物がいくつかあり、その中に入っていた場合はここからでは確認することはできないだろう。
しかしながら、公爵級悪魔とあろう者が一人でフラフラとこのような場所にいるとは考えづらい。
現れるなら、多少は配下を引き連れてやって来ることだろう。
「そこまで期待していたわけじゃないが、当てが外れたか」
「まあ、元々ここにいるかどうかなんて望み薄でしたしね」
「他に思い当たる場所もなかったからな」
残念ながら、ローフィカルムが拠点としている場所については一切情報が無い。
それについてもロムペリアに聞いておけばよかったのかもしれないが、そもそもあいつが持っているのはそれなりに古い情報だ。
元々ほとんど動きのなかったローフィカルムの拠点については、かつていた場所の情報程度しかないだろう。
最悪、エインセルが拠点としている場所を住処にしている可能性もあるが――特に考察できる情報もない、今は考えていても答えは出ないだろう。
「仕方ない。拠点は無視して、東側に降りるとするか」
「つまり、今度は悪魔を挑発して呼び出すってことですか?」
「エインセルの悪魔なら、無作為に襲ってはこないだろうからな。こっちは普通に魔物を狩っておくだけだ」
「庭先まで来て勝手に暴れてるのに、中々喧嘩を売ってる言い訳よね」
にやりと笑みを浮かべたままのアリスの言葉には、軽く肩を竦めて返す。
正直、あまり友好的な接触であるとは言えないが、闇雲に探すことも不可能だ。
流石にエインセルの領地の奥深くまで足を踏み入れるわけにはいかないし、奴らの拠点に近付かない程度に動き回るしかない。
それでローフィカルムに接触できる保証はないが、とりあえず当初の目的であるレベル上げはできるだろう。
さて、果たしてどこまで目的通りに進むか――とりあえずは、着陸できる場所を決めるところから始めるとしよう。