846:魔女の魔法
「お前さんの小細工も晴れた。そら、そろそろ新しい趣向と行こうじゃないか」
【咆風呪】が消え、視界が晴れる。
餓狼丸の靄も、エリア内に公爵級悪魔たるローフィカルムが含まれているせいか、吸収も完了してしまっている状態だ。
アリスの発生させた霧はあるものの、先程のようにほとんど視界を奪われるという状況ではない。
それに、《蒐魂剣》を組み合わせたことによる魔法の発動阻害も消えてしまった。
どうやら、あのテクニックはそこそこに効果はあったようだが――
「ほらお前たち、少しは気合を入れな」
ローフィカルムは杖を振るい、足元より淡い金色の光が広がる。
それらは周囲の悪魔たちの体を包み込み、その身を回復させると共に光を纏い始めた。
回復と、恐らくはバフ。どのような効果があるのかは不明だが、先程よりも面倒な状況であることは間違いないだろう。
(クールタイムが終わったら、とっとと『破風呪』を再発動せにゃならんか)
とはいえ、あれは発生しているバフまで消すような効果は無かったはずだ。
今こいつらに仕掛けられている補助魔法については、消すことはできないだろう。
どのような効果があるのかは、戦って確かめるしかあるまい。
不幸中の幸いは、ローフィカルム本人が積極的に攻撃をしてこようとはしていないことだろう。
公爵級悪魔が攻撃魔法を放てば、今の《蒐魂剣》でも完全に防ぎ切れる保証はない。
「しッ」
歩法――烈震。
鋭い呼気を吐き出しつつ、力強く地を蹴る。
近場にいた悪魔へと瞬時に肉薄した俺は、その喉笛へと向けて餓狼丸の刃を突き出す。
だが、それに反応したグレーターデーモンは、腕から生やした刃で俺の一閃を弾いて見せた。
反応速度が上がっているのか、或いは純粋な性能か。
どちらにせよ、名無しの悪魔でありながらこの攻撃に反応する力があるとは。
「『生奪』」
左足を前に出し、弾かれた刃を体ごと前へと出す。
そのまま前進の勢いを殺さぬように斜め前へと前進し、刃の切っ先を悪魔の脇腹へと触れさせた。
斬法――柔の型、零絶。
体の捻りだけで振るう一閃が、グレーターデーモンの脇腹を深く斬り裂く。
緑色の血が噴き出し――その傷が、少しずつではあるが煙を上げて修復されて行っている様子が目に入る。
どうやら、ローフィカルムがかけた魔法には持続回復の効果もあったらしい。
ならば一気に殺せば済む話だが、追撃を放つより先に横から別の悪魔が攻撃を仕掛けてきた。
大柄な、俺以上の身長を持つ個体。そこから放たれた拳の一撃を、俺は左手で逸らしながら刃を振るう。
斬法――柔の型、霧旋。
左肘で峰を押し、振るった刃は、悪魔の脇腹に食い込んで胴にまで達する。
そこで刃を捻って臓腑を潰し――
「――『生奪』」
スキルの発動と共に、刃を押し上げながら振り抜く。
胴から胸にかけてを捌かれた悪魔は、流石に耐えきれるダメージではなかったのか仰向けに倒れる形で絶命した。
塵と化して行く血を振るい落とし、先程ダメージを与えた敵へと追撃しようとするが、そちらは既に距離を取って回復を図っているようだ。
その辺り、無理には攻めてこない慎重さもあるらしい。
(面倒だが、まだ何とかなるレベル。だが……何故、本気で攻めてこない?)
疑問なのは、ローフィカルム当人が何故自分から攻めてこないのかという点だ。
シリウスを一蹴し、あっという間に行動不能に陥らせるほどの強力な魔法。
自在に転移を操り、兵士の増員も容易く行う能力。そして、それらに強力な支援を与える技能。
とてもではないが、少数で相手にできるような存在ではない。
実際のところ、圧倒的に不利なのはこちらの方だ。
(ローフィカルム本人が攻撃して来れば、勝負なんてあっという間についているだろうに……!)
こちらを狙って殺到してきた魔法を【断魔斬】で消滅させ、お返しに【命輝一陣】を放つ。
この攻撃で相手を倒し切ることはできないだろう。だが、目くらましにするには十分だ。
宙を駆ける生命力の刃を追って地を蹴り、その一撃を防いだ瞬間に懐へと潜り込む。
斬法――柔剛交差、穿牙零絶。
密着状態、至近距離からの刺突。
その一撃は、狙いを違えず悪魔の心臓を穿ち、一撃で絶命させる。
たとえ持続回復を持っていようと、バフによりステータスを強化されていようとも、急所への致命の一撃は耐えきれる筈もない。
消えていく悪魔から餓狼丸を引き抜き――俺は即座に刃を振るった。
斬法――柔の型、流水。
俺の頭へと向けて振り下ろされていたのは、巨大なバトルハンマーであった。
こちらの頭蓋を砕かんとするそれは、グレーターデーモンの腕が変異したもの。
その一撃を逸らして地面へと流し落とし、更にそれを足場として跳躍して悪魔の頭上を取る。
斬法――柔の型、襲牙。
そのまま、肩口より心臓を穿つ軌道で刃を差し込み、こちらもまた一撃で殺す。
そしてその体から転げるように着地した俺は、再びこちらを狙ってきた魔法の数々に舌打ちを零した。
「チッ……《蒐魂剣》、【因果応報】!」
前へと飛び出し、こちらに命中しそうな魔法に刃を差し込む。
高速で飛来する雷であろうと、軌道が分かっていれば防ぐことも容易い。
雷を吸収した餓狼丸は青白く輝き――槍の如き腕を突き出してきた悪魔の攻撃に合わせる。
斬法――柔の型、流水・渡舟。
餓狼丸にて突きの一撃を逸らし、その上を滑らせるようにしながら刃を走らせる。
跳ね上がった一閃はグレーターデーモンの首を正確に捉え、一撃で切断してみせた。
刎ね飛ばされた首は空中で消滅し――けれど、それを確かめる暇もなく次の攻撃に対処する。
どれだけ効率的に殺しても、まるで動揺する様子が無い。名無しの悪魔とて恐怖心はある筈だが、それほどまでにローフィカルムの力が高いということか。
(戦えてはいる、が――)
シリウスは行動不能にされているが、他のメンバーは問題なく動けている。
強化されているとはいえ、名無しの悪魔が相手であれば負けるような道理はない。
ローフィカルムはただ自分の戦力を削られているだけのようにも見える。だが、奴の表情は余裕のまま変わることはなかった。
あいつが表情を歪めたのは、シリウスの尾が命中しかけたその一瞬だけだ。
この程度の配下など、失っても惜しくは無いということなのだろう。
(何のために姿を見せた? ローフィカルムは……俺たちを仕留めるために来たわけではない。なら、一体なぜ?)
まるで、俺たちをこの場に留めさせるために戦っているかのような――そこまで考え、俺は目を見開いた。
そうだ、ローフィカルムは、俺たちをここに釘付けにするために姿を現したのだ。
――拠点の防御を、手薄にするために。
「ひっひっひ、気付いたようだねぇ若造」
「チッ……! 緋真、拠点だ!」
「ああ、もう! そういうことですか!」
群がっていた悪魔を炎で薙ぎ払った緋真は、俺とローフィカルムの言葉で状況を理解したようだ。
それとほぼ同時――遠方で、爆発音が響く。
その方角は紛れもなく、あの坑道があった方向であった。
「しかし、気付くのが遅かったね。残念だが時間切れだよ」
「……俺たちがいないにせよ、他の異邦人がいた筈だ」
「それでも、お前さんらほど鼻が利くわけではなかろう。いくらでも、やりようはあるさね」
厭味ったらしく嗤いながら、ローフィカルムはそう口にする。
そしてその直後、彼女の足元には再び銀色の魔力が励起された。
あの魔法のパターンは、これまでも何度か目にしている――転移の兆候だ。
「さて、義理は果たした。長居は無用だね……次に会う時は、殺し合いにならないことを祈るよ」
それだけ、一方的に口にして――ローフィカルムは、周囲の悪魔を残してあっさりと姿を消したのだった。