845:夜天の魔女
公爵級悪魔と俺たちのパーティだけで戦うことができるかと問われれば――正直なところ、不可能であると言わざるを得ない。
人間形態の内ならばまだしも、《化身解放》によって真の姿を現した場合、それは最早レイドでしか相手にできないような怪物へと変貌するからだ。
つまり、この場に於いてこの公爵級悪魔――ローフィカルムを殺し切ることは不可能だ。
今すべきことは、可能な限り生き延びて情報を集めること。
最悪、この場で敗北したとしても、一つでも多く情報を引きずり出しておかなければ。
「『破風呪』!」
相手が魔法使いタイプの悪魔であるならば、《蒐魂剣》は特に通用するだろう。
《蒐魂剣》を組み合わせた【咆風呪】で悪魔たちを包み込み、体力を吸収しながらも相手の魔法の発動を阻害する。
更に、餓狼丸と【咆風呪】によって巻き起こっている黒い霧の中へと飛び込んで、気配を頼りに近場の悪魔の傍まで接近した。
そのグレーターデーモンは闇の中でこちらの姿を見失っていたようであるが、それに対応するように体へ甲殻のようなものを出現させ、防御を固めている。
素早く、そして悪くない判断だ。配下ですら、生半可な悪魔ではないということだろう。
「《練命剣》、【命輝練斬】」
とはいえ、ただ防御を固めた程度で防げると考えているならば、それは甘いと言わざるを得ない。
接近によってこちらの気配に気が付いたらしい悪魔は、迎撃が間に合わないと判断して防御の姿勢を取っている。
とはいえ――
斬法――剛の型、白輝。
踏み込みと共に爆ぜるように勢いを増し、黄金に輝く刃は袈裟懸けに軌跡を残す。
その一閃は、俺の攻撃を防ごうと構えていた腕ごと斬り裂き、グレーターデーモンの体を肩口から両断した。
餓狼丸を解放している今ならば、強力な悪魔が相手でも十分な威力を発揮できる。
「おやまぁ、言われるだけのことはあるもんだ」
だが、配下の悪魔が一撃で削られたにもかかわらず、ローフィカルムの声に動揺の色は無い。
この程度ならばやって来ると想像していたのだろうか、或いは――
「『命餓一陣』」
《奪命剣》を組み合わせた【命輝一陣】を、暗闇の合間から見えたローフィカルムへと向けて解き放つ。
軌道上を掠めた悪魔たちから生命力を奪って巨大化し、ローフィカルムの矮躯へと殺到するその一撃。
しかし、彼女は微動だにすることもないまま、その一撃は命中することなく霧散してしまった。
(今のは……?)
恐らくは魔法によって防がれたのだろう。しかしながら、防壁によって弾かれた、といった雰囲気でもない。
まるで、エネルギーを奪われて消滅したかのような、そんな雰囲気があった。
よく見れば、【咆風呪】の闇もローフィカルムには届いていない。彼女の周囲のみ、効果を及ぼしていない様子だった。
しかし一方で、餓狼丸の靄は足元に広がっている。どうやら、あらゆる攻撃を例外なく遮断するというわけではないらしい。
(分からんが、先に周りの悪魔からだ)
【命輝一陣】を放ったことで、こちらの位置を察知したのだろう。
他の悪魔たちが、こちらへと向けて魔法による攻撃を放ってくる。
ローフィカルムは防ぐだけで攻撃に動く様子はない。ならば、まずは周囲の雑魚から片付けるべきか。
「《蒐魂剣》、【因果応報】」
歩法――烈震。
体勢を落とし、一気に地を蹴る。
放たれた魔法の下を掻い潜るようにしながら《蒐魂剣》の刃で魔法をなぞり、その氷の一撃を刃に宿す。
そして、一気に肉薄したグレーターデーモンへと向け、餓狼丸の切っ先を突き出した。
斬法――剛の型、穿牙。
腕の隙間、そして体に纏った甲殻の節を捉え、餓狼丸の切っ先が悪魔の胸を貫く。
刃に宿した氷は相手の体を凍てつかせ――
打法――旋骨。
刃を引きながら繰り出した肘が、凍り付いた悪魔の胸を文字通り粉砕した。
体勢を崩していた悪魔には回避の余裕などあるわけが無く、胸に大穴を開けた悪魔はそのまま絶命する。
引き抜く手間が省けた餓狼丸に纏わせるのは、蒼く輝く《蒐魂剣》の光だ。
「《蒐魂剣》、【断魔斬】!」
斬法――剛の型、輪旋。
大きく振り抜いた餓狼丸の一閃は、蒼く輝く刃を周囲へと押し広げる。
その一撃により、周囲からこちらに殺到してきていた魔法の攻撃は打ち消され、魔力と化して吸収された。
(こちらの位置を正確に把握して来てやがるな……気配だけじゃない、これもローフィカルムの仕業か?)
杖で地面を突いたローフィカルムは、最初に立っていた場所から微動だにしていない。
だが、奴の視線は間違いなく、暗闇の中に身を隠している俺の方へと向けられていた。
何かしらの魔法を使っている気配はある。だが、その正体を掴むことができない。
直接相対してなお、ここまで情報を隠して見せるとは。
ならば――
「シリウス!」
「グルルルルルルッ!」
俺の声を聴き、複数体の悪魔を同時に相手取っていたシリウスが地を蹴る。
後ろから追撃に放たれる魔法をものともせず、シリウスはその鋭い爪を振り上げた。
狙うは、棒立ちになったままのローフィカルム。
吹けば飛びそうなその矮躯へと向け、強靭極まりない爪を振り下ろす。
「全く……行儀のなっていないトカゲだねぇ」
しかし――その一撃は、ローフィカルムに届く前に動きを止めることとなった。
岩すらも容易く打ち砕くであろうシリウスの剛腕が、傷一つ与えることもできずに受け止められてしまったのだ。
だが、今のは見えた。魔法が発動する気配があったのだ。
ローフィカルムは間違いなく、魔法によって俺たちの攻撃を防いでいる。
ただ攻撃するだけでは防がれると理解したシリウスは、後ろから追い縋ってきた悪魔たちをその尾で弾き飛ばし、同時に尻尾へと魔力を収束させる。
《不毀の絶剣》、その一撃ならば――
「――そら、少しお座りをしてな」
刹那、ローフィカルムはぱちんと指を鳴らす。
その瞬間、シリウスの頭上には黒い球体が出現し――地響きを立てながら、シリウスの巨体が地面へと叩き付けられた。
「グルッ、ァアッ!?」
めり込むように地面を陥没させ、身動きが取れなくなるシリウス。その様に、俺は思わず舌打ちを零した。
恐らくは重力の魔法。アリスの習得した【アングラヴィティ】とは逆に、相手にかかっている重力を高める魔法だろう。
頭上に浮いているあの黒い球体。アレを起点として、一定範囲内に効果を及ぼしているのだろうか。
あれを消すことができれば効果は消えるかもしれないが、《蒐魂剣》は効果範囲が狭い。
あそこに届く効果があるとすれば――
「――【アングラヴィティ】」
だが、俺が行動に移すよりも早く、攻撃機会を捨ててでも姿を現したアリスが、シリウスへと低重力化の呪文を発動した。
生憎と、魔法の出力で劣るアリスでは、ローフィカルムの使った効果を打ち消すほどには至らない。
しかし、それでも、シリウスが動けるようになる程度には効果があったようだ。
「ゥル、ァアアアッ!!」
動きが鈍ったまま、それでも強く足を踏み出すシリウス。
普段よりも大きく足元を陥没させながら――それでも、魔力の篭った尾を振るった。
「ほう……」
空間が裂け、銀色の魔力がスパークする。
周囲の空間ごと相手を真っ二つにする、強力無比なその一撃。
直接尾の届く範囲でその一撃を受けたローフィカルムは――ついに、その強大な魔力を励起させる。
「月属性の使い手がいると思っておったが……闇月を選んだかい」
目に見える形で発動された、ローフィカルムの魔法。その輝きは、シリウスの尾を正面から受け止めてみせた。
属性は不明であるが、シリウスの《不毀の絶剣》を受け止めたということは、時空属性に関連する魔法かもしれない。
だが、それが魔法であるならば――
「《オーバーレンジ》、『呪破衝』!」
漆黒に蒼を纏う槍が、大きく伸びる。
魔法破壊の効果は《蒐魂剣》に劣るだろうが、攻撃のリーチを考えればこれを使う他に道はない。
その一閃はシリウスの尾の下を駆け抜けながらローフィカルムの防御魔法へと突き刺さり――その防壁に、確かな亀裂を走らせた。
「……!」
強大な魔力がスパークする中、障壁越しに見えたローフィカルムの口元から笑みが消える。
そして次の瞬間、シリウスの尾は防御魔法を突破して――誰もいなくなった空間を、真っ二つに斬り裂いた。
「転移魔法……!」
「全く、手癖の悪い小僧たちだね」
いつの間にかシリウスの背後側に出現していたローフィカルムは、再び黒い球体の魔法を発動させる。
二つの黒球を頭上に浮かべられたシリウスは、今度こそ地面に叩き付けられ行動を封じられてしまった。
「しかし、儂を動かせたことは褒めてやるとしようかね……ほら、ご褒美をあげようじゃないか」
そう告げると、ローフィカルムは杖を振るい、周囲に魔力を展開する。
その直後、誰もいなかったはずの空間から、新たなグレーターデーモンが次々と姿を現した。
これもまた転移……戦力を補充することができるとは。
「さて、英雄はこの苦境をどう乗り越えるのか。見せて貰おうかね」
周囲を取り囲まれながら、顔を顰める。
ただ純粋に強い悪魔より数段厄介な戦い方に、苦い思いを抱かずにはいられなかった。