821:鬼人族の修行
「なあ、アンタちょっと待ってくれ!」
「む……拙僧のことか?」
そこにいたのは、袈裟を纏う僧侶風の男であった。
三度笠を被っているため人相は分かりづらいが、一部が割れた傘からは鬼人族の角が現れていることが見て取れる。
この辺りには――というか、この世界観にはそぐわない和装。それは紛れもなく、俺たちが向かおうとしている寺院に関連したものだろう。
和装とはいえ、袈裟に刀というのは中々に違和感のある組み合わせだったが、とりあえずそこは置いておくこととしよう。
「アンタ、鬼人族だろう? 少し話を聞かせて欲しいんだ」
「構わぬが……其処許も同輩であろう?」
どうやら、彼もこちらの種族を把握することができるらしい。
角を出しているわけではないのだが、《識別》系統のスキルでも使ったのだろうか。
まともあれ、話ができそうな相手であることは助かった。
これなら、情報を仕入れることができるかもしれない。
「それ関連の話だ。ここからさらに東へ向かったところに寺院があると聞いたんだが、アンタはそこから来たのか?」
「うむ、拙僧は陸魂寺より修行に旅立った者。六道之行に挑む者である」
「陸魂寺っていうのが、その寺院の名前なんですね」
どうやら、有力な手掛かりを手に入れられたようだ。
六道之行とやらについても少々気になるが、今はそれよりも先に、必要な情報を確認するべきだ。
「俺たちは、真化種族としての力を高めるためのクエスト……修行を探している。それがその陸魂寺にあると踏んでいるんだが、心当たりはあるだろうか?」
「ほう……であれば、其処許の読み通り、陸魂寺こそが我ら鬼人の向かうべき場所であろう。しかし――」
鬼人族の僧侶は、一度言葉を止めてじっと俺と緋真の姿を見つめる。
やはり、《識別》系統のスキルだろうか。
三度笠の影から俺たちを見つめる僧侶の目は、感嘆と敬意に満ちていた。
「其処許らは、既に修羅道之行を修めているように見える。或いは、初めからそれだけの業を積んだこと、女神より認められたということか」
「……羅刹族のことか?」
「然り、つまり其処許らには、六道之行は意味を成さぬであろう」
その言葉に、俺と緋真は眉を顰めて顔を見合わせる。
あまり直接的な話し方ではなかったが、恐らくその六道之行とやらは、鬼人族から羅刹族に変化するためのクエストなのだろう。
六道なのに修羅道しか説明が無いということは、もしかしたら他にも派生種族がいるのかもしれないが。
だがどちらにしろ、それは俺たちが求めているクエストではないだろう。今のところ羅刹族であることに不満は無いし、種族を変えるクエストは必要としていない。
「そうか……それなら、種族としての力を強化するための修業は無いのか?」
「うむ……それは六道之行の先にある修行である。其処許らであれば挑むこともできるやもしれぬが……さて、それは拙僧には判断できぬことだ」
「いや、存在が確認できただけでも十分だ。感謝する、そちらも頑張ってくれ」
「ああ、こちらも先達と――そう呼んでいいのかは分からぬが、この出会いのお陰で実に参考になった。其処許らの武辺、拙僧には届かぬ領域であるが……目指すべき場所が見えたと言えるだろう」
どうやら、彼もこちらの能力を一部閲覧することで、羅刹族の力をある程度把握できたらしい。
勝手に見られたことに思うところが無いとは言わないが、それが情報料の対価となるなら構わないだろう。
軽く礼をしつつ彼と別れ、その背中を見送りながら改めて情報を確認する。
「やはり、目的地としては合っていたようだな。詳細は分からんが」
「種族スキル強化をする前に一つクエストが必要だった、ってことですかね。内容は聞かなかったですけど……」
「聞いても良かったが、参考になるかどうかは微妙だったからな」
俺たちがやる必要があるのかどうかは分からないし、やるにしても同じ内容になるのかは不明だ。
その辺り、『MT探索会』なら根掘り葉掘り聞いているのだろうが、流石にそこまでやるような気概は無い。
ともあれ、必要となる情報は聞けたのだ。後は、実際に足を運んでみるべきだろう。
「とりあえず、クエストがあることは確認できたんだ。後は現地で話を聞いてみることとしよう」
そうなると、『MT探索会』の連中が何故情報を手に入れられなかったのかが謎であるが――まあ、存在は確認できたのだから、同じように見つけられないということは無いだろう。
少なくとも、六道之行という重要なワードを手に入れることができた。
それさえあれば、何かしらの情報を手に入れることは可能な筈だ。
「何にせよ、目的地は確定だ。まずは現地に行って、調べてみることとするか」
答えがあることは分かったのだ。そこに至るまでの経緯が分からなくても、想像も調査もできる。
後は、自分の足で調べてみることとしよう。
* * * * *
海へと続く道、その横にそびえる小さな山。
陸魂寺は、その山間に建てられた寺院であったようだ。
流石に山間の寺院の敷地に直接降りるわけにもいかず、俺たちは一度街道へと着陸し、長い石段の先を見上げる。
上空から見た限りではそれなりに広い寺院だったが、入り口となる石段はあまり目立たない見た目だった。
一応、見上げれば山門があることだけは確認できるが、何となくで辿り着くことは難しそうな場所だ。
「しかし、この世界観でここまで和風な様相というのも、中々違和感があるな」
「貴方たち二人はいいんじゃない? 一応、それっぽい見た目だし」
石段に足を掛けつつ、アリスの言葉に苦笑を零す。
そう言うアリスは、正直雰囲気に合っているとは言い難い姿であった。
尤も、一番違和感があるのは、服装はそれっぽいのに北欧の雰囲気を漂わせているルミナなのだが。
まあ、こんな世界なのだ。今更服装に文句を言われるようなこともないだろう。
「それにしても、『MT探索会』の人たちは何でクエストを見つけられなかったんでしょうね?」
「さてな。ああやってあっさりと答えてくれた感じ、別に隠しているというわけではなさそうだが」
教授たちもありそうだとは感じていたようだが、その確信には至っていなかった。
ここで直接聞くことが問題だったのか、或いは何か条件があり、偶然俺たちはそれを達していたのか。
流石に羅刹族がどうこうというような理由ではないだろうが――
「条件は不明だが、クエストがあること自体は間違いない。それに、六道之行なるキーワードもある。さっきの男が言っていたところでは、修羅道之行とやらもか?」
その名前からして、六道に関連する修行なのは間違いないだろう。
だが、六道のうちの一つは人間道――即ちは現世を示す概念だ。
俺たちが今いる場所こそが人間道であると解釈できるし、人間道はクエストにはならないのかもしれない。
尤も――
(天道なんてどうするんだかな。鬼人から天人になるとでも?)
天人や天女が種族として成立するとはあまり思えないのだが――まあ、明らかに俺たちには相性が悪いだろうし、それはあまり気にしなくてもいいだろうが。
天道を除くとすれば残り四つ。修羅道が修行となるのであれば、四悪道――畜生道、餓鬼道、そして地獄道に関連したクエストがあるのか。
そこまで考えて、思わず苦笑を零す。
「先生? どうかしました?」
「いや……こんな話を作った奴の気が知れんと、そう思っただけだ」
神仏の有様を再現できるわけでも無かろうに。
女神と言っても、元は人間のプログラムだ。ここに示された思想も、人の手によって再現されたものに過ぎない。
或いは、このような末法の果てにさえ、神仏の救いが残っていると信じているならば。
――この世界を作った時、その要素を取り込ませた人間は、果たして何を考えていたのだろうかと。そんな益体も無いことを考えながら、俺は山門を潜り寺院へと到達したのだった。