816:真化のその先
「……やはり、まだ届かなかったわね」
「よく言う。まだ本来のレベルにも戻っていないだろう」
口の端に垂れた血を拭い、呆れを交えつつそう告げる。
何事もなかったかのように起き上がったロムペリアは、砂埃を落としつつ肩を竦めた。
人間種族へと変わるに当たり、ロムペリアのレベルは半減していたはずだ。
それが完全に元通りになったというわけではない。であるにもかかわらず、ここまで食い下がってみせたのだ。
俺に匹敵するレベルにまで修行していたら、勝負は分からなかっただろう。
「しかし、随分と対人向けに力をつけたものだな」
「私の目標は貴方だもの。当然でしょう」
何ともまぁ、熱烈なアプローチであるものだ。
尤も、それを否定するつもりもない。そのために人間にまでなったのだから、コイツの覚悟は大したものだ。
とはいえ、ロムペリアの言う通り、この先はしばらく勝負をする余裕もないだろう。
このタイミングで戦うことができたのは僥倖だった。
しかし――
「思った以上に強くなっていたな。魔眼まで使ってくるとは……種族由来のものか?」
「ええ、そんなところね」
どうやら、詳細に話すつもりは無いらしい。
現在のロムペリアの種族は、確か夜魔族とかいうものだったか。
具体的にどのような能力を持っているのかは知らないが、精神に作用するタイプの状態異常を付与するものだろう。
もしも抵抗できなければ、負けていた可能性もある。
(アリスのほど問答無用で付与する効果でなくて助かったな)
アリスの持つ《闇月の魔眼》は、状態異常耐性を強制的に貫いて効果を発揮する。
たとえ発動に気付いても、目を合わせていたら避けられないだろう。
あれで与えられる効果はほんの一瞬ではあるのだが、アリスの間合いならば一瞬でも十分だ。
「ふむ。かなり鍛えられてきてはいるが、まだ対人戦の経験が足りんようだな」
「……まあ、否定はしないわ」
「であれば、帝国に行ってみたらどうだ? あそこの闘技場ならば、様々な相手との対戦経験を積めるだろう」
この辺りでプレイヤーを相手に勝負を挑むのもいいかもしれないが、よりレベルの高い対人戦闘を望むならばあちらの方がいいだろう。
上位のランカーはかなり対人戦に特化したタイプのプレイヤーや現地人が揃っているらしいし、ロムペリアにもいい経験になる筈だ。
そんな俺の提案に対し、ロムペリアは驚いた様子で目を見開いた。
「貴方がそんな提案をしてくるなんてね」
「別に意外な話でもなかろう。それなりに協力しているだろうに」
「……そうだったわね。でも、借りを作るつもりは無いわ」
何とも面倒臭い性格のロムペリアは、俺への返礼を探すかのように周囲へと視線を巡らせる。
別段、この程度の雑談を貸しにするつもりもないのだが、それでは己が納得できないということだろう。
元悪魔のくせに、何とも生真面目であることだ。
そんなロムペリアは、アリスの姿を捉えてその視線を止める。注目されたアリスは何事かと首を傾げていたが、ロムペリアはその反応を気にも留めずに続けた。
「そこの娘、闇月族でしょう?」
「それは……まあ、その通りだが」
「それなら、一度マーナガルムの元を訪ねてみることね。その種族特性を強化できるとしたら、月の力を司るあの狼でしょうし」
何気なしに放たれた、唐突な提案。
色々と聞き捨てならないその内容に、俺たちは揃って絶句することとなった。
アリスの種族がかつて戦ったネームドモンスター、マーナガルムに関連しているというところまではいいだろう。それは俺たちも想像できる範囲だ。
しかし、種族特性の強化とは一体何なのか。そのような話、聞いたこともないのだが――
「これで貸し借りは無しよ。エインセルとの戦い、勝利を期待しているわ」
「あ、おい……!」
一方的に言葉を継げ、ロムペリアは踵を返す。
軽く呼び止めようとはしたのだが、彼女はそのまま足を止めることなく立ち去って行った。
その背中を見送り、思わず緋真と顔を見合わせる。
「種族特性の強化? 聞いたことはあるか?」
「いえ、全然……今の口ぶりからして、真化後の種族を強化するみたいですけど、彼女もやったんですかね?」
夜魔族の能力を強化するクエストを経験した――となれば納得できる話ではある。
尤も、それがどこで行われたクエストなのかは全くの謎なのだが。
しかし、それが事実であるとするならば、他の種族にも同様のクエストが存在する可能性は高い。
アリスだけではなく、俺や緋真についても同様だろう。
「とりあえず、アリスのクエストがマーナガルムのところにあるってのは納得できる話だ。俺たちの方は分からんが……」
「んー……何か、それっぽい報告例はあるみたいですね。種族が合わなくてクエストは請けられなかったみたいですけど」
「ほう、それなら信憑性は高いかもしれんな」
画面を開き、ネットを確認しながら呟かれた緋真の言葉に、俺は思わず笑みと共に首肯する。
今回の探索は、多くのプレイヤーが広い範囲を調べている状況だ。
そのおかげで、これまでは発見されなかったようなクエストがいくつも発見されているらしい。
その中には、種族特性の強化に繋がるようなクエストも存在したのだろう。
これだけ広範囲に調べているなら、少しぐらい見つかることも不思議ではない。
「でも、私や先生の種族のものは見つかっていなさそうですね……」
「そうか。まあ、それは致し方ないな。教授に相談するだけして、こっちはマーナガルムの方に向かうとするか」
「ありがたいけど、いいのかしら?」
「今は行く当てが無いんだ、構わんさ」
エインセルの動きは気になるが、今すぐに俺たちが手出しをできる話ではない。
しばらくは、アルトリウスたちの方で情報を検証して貰うしかないだろう。
逆に言えば、自由に動き回れる余裕があるのは今ぐらいだ。
今のうちに、調べられるところは調べておいた方がいいだろう。
「とはいえ、マーナガルムのところに行くとなると月齢を確認する必要があるんだが……今はどうだった?」
「流石に昨日の夜がどうだったかまでは覚えてないですねぇ」
「まあ、調べれば出てくるでしょうけど、マーナガルムに接触するだけなら月齢は関係ないんじゃない? 称号があるんだから」
アリスの言う通り、称号を持っている今の俺たちであれば、マーナガルムに襲われることなく森の深層へと至ることができる。
接触するだけなら、それで問題ないとは思う。しかしながら、本当にそれだけでいいのかは疑問が残るところだ。
「ただ接触するだけでクエストを受けられるならそれでいいが、月齢を求められた場合は厄介じゃないか?」
「それはそうだけど……行ってみないことには分からないじゃない」
確かにアリスの言う通り、もしもその時にしかクエストを受注できないのであれば、そういう通知がされる可能性はある。
月齢を待つ必要があるかないかはともかくとして、一度足を運んでみるのも間違いではないだろう。
仮に月齢を待つ必要があったとして――その答えが満月なのか、新月なのかはまた疑問ではあったが。
「よし、それじゃあ……質問は教授に投げて、夜を待つか」
「結局、会いに行くには夜である必要はあるのね」
「戦うわけじゃないですけど、一応その方が接触しやすそうですしね」
夜を待つ以上は急ぐ必要もない。
種族特性の強化クエスト――これについて、羅刹族の例があるかどうか、未発見でも心当たりがあるかどうか、教授に確認しておくこととしよう。
羅刹族は、確か鬼人族の特殊個体であるという話だったか。
であれば鬼人族の種族クエストと同じ場所に何かしらのヒントがある可能性は高い。
その辺りも含めて、教授の考察を聞いてみることとしようか。