808:炎の精霊
精霊という存在は、基本的にあまり接触できる相手ではない。
人間の生息領域にはあまり顔を出さないし、意図して探さない限りは出会うことは難しいだろう。
だからこそ、その存在は殆どが謎に包まれている。『MT探索会』なら精霊に関する情報はそこそこ持っているだろうが、それでも直接接触する機会は少ないだろう。
常日頃から話すことができるルミナは、存在からしてかなり貴重なのだ。
尤も、流石に最近になるとヴァルキリーに育つ妖精も増えているようなので、ルミナ以外が皆無ということもないのだが。
(それで、コイツは――)
今回目の前に現れたのは、そんな希少な精霊のうちの一体だ。
それも、かなり強い力を持った個体であることは間違いないだろう。感じ取れる魔力は、ルミナのそれよりも更に強大だ。
見た目は巨人――というか、巨大な人型の溶岩である。
じっくり見れば細部まで人型が再現されているようであるが、いかんせん眩しいため直視しづらい。
だが、外見はスタイルが良く髪の長い女性の姿を模しているようであった。
体の大きさはシリウスにも匹敵するほどで、俺たちが立っている地面に身を預けるようにして頬杖をついている。
「精霊、のようだが……アンタは、この地に住まう炎の精霊か?」
『ええ、その通り。お客様が、それも外の精霊が来るのは久しぶりだわ』
体が溶岩で構成されているためよく分からないが、どうやらルミナに視線を向けているようだ。
このエリアは赤龍王の領域であるし、人間が訪れること自体が珍しいのだろう。
そんな俺たちが精霊――それも、ネームドモンスターの領域まで育ったルミナを連れていたから、わざわざ顔を出してきたということか。
こちらとしても接触はしておきたい相手であったし、好都合であるとは言える。
そう考えつつルミナの様子を横目で見ると、彼女は驚いた様子で炎の精霊のことを見上げていた。
「驚きました。貴方のような高位の精霊が住んでいたとは」
『縄張りという意味であれば気にしなくてもいいわ。元より、私の方が赤龍王様の住処を間借りしているようなものだから』
「やはり、赤龍王とは協力関係なんだな」
『ええ。同じ仕事をしているのだから、協力し合った方が都合はいいでしょう?』
真龍と精霊は親戚のようなものであると聞いていたが、行っている仕事も同じなのか。
何となく、世界のバランサーであるという知識はあるのだが、具体的にどのような仕事を行っているのかはよく分かっていない。
果たして、赤龍王や精霊たちはこの地で何をしているのか――疑問はあるが、それは今回の主題ではない。
質問してもいいのかどうかと逡巡しているうちに、体を揺らした精霊は小さな笑い声と共に続けた。
『こんなところで何をしているのか、気になっているんでしょう? 別に隠すほどの話でもないわ』
「そうなのか。なら、実際何をやっているんだ?」
『簡単に言えば、この火山のエネルギーを発散させているのよ。精霊にしろ、真龍にしろ……大きな災害が起こらぬよう、環境を整理するのが私たちの仕事』
その説明に、俺は驚くとともに納得して首肯した。
箱庭は、世界環境のシミュレーションモデルとしての一面を持つ。というか、本来の使用用途はそこにあった。
当然ながら、災害の発生というものもその例に含まれているのだろう。
だが、ここはゲームとして発展している箱庭であり、その運営を邪魔する自然災害は発生させるべきではない。
だからこそ、環境を整える力が必要となるのだろう。
『とはいえ、今は少し大変なのだけどね。真龍たちが減ってしまったから』
「……龍王が討たれた影響か。彼らが担当していた分はどうなっているんだ?」
『難を逃れた精霊が対応しているけれど、間に合っていないから他の属性の者達も手伝っているのよ。今の龍王様たちがあまり住処を離れられないのもそれが理由だわ』
悪魔との戦いに真龍の協力が欲しいところではあったのだが、そう言われると流石に助力を願うわけにもいかない。
真龍が増え、この世界が安定しない限り、龍王たちは自由に動くことはできないと考えるべきか。
まあ、それでも緊急時は何とか動くこともあるのだろうが。
「成程、それならあまり無茶も言えんか」
『ええ、だからこそ赤龍王様への助力の嘆願ということであれば追い返すつもりだったのだけど……もう話はしているのよね』
「向こうから呼ばれたからね」
嘆息交じりに、アリスはそう呟く。
俺たちは別に、赤龍王と顔を合わせるつもりは無かったのだ。だというのに、向こうから無理矢理連れ込まれたのである。
無論、赤龍王に無理な依頼をするつもりもなかった――まあ、悪魔との戦いに戦力が欲しいことは事実であるが。
「別に、赤龍王を無理に連れ出そうっていう話じゃない。個人的に探し物があってここまで来ただけさ」
『探し物ねぇ。さっきからの様子を見た感じ、鉱石かしら?』
どうやら俺たちがここに来るまでに、採掘を続けていたことを確認していたらしい。
まあ、採掘ポイントを見つける度に立ち止まっていたのだから、それも当然だろうが。
「『炎王結晶』か、『炎の精霊石』を探している。精霊石は知っているんじゃないかと期待しているんだが」
『精霊石? そんなものを何に使うつもり?』
「コイツの武器の鞘を作るために。今のままじゃ、十全に力を発揮できているとは言い切れないからな」
俺の言葉を受け、緋真は篝神楽を抜いて精霊の方へと掲げた。
それを目にし、炎の精霊は表情を変える。どうやら、それが何で出来ているのかを即座に把握したらしい。
『赤龍王様の爪を武器にしたというの?』
「一応言っておくが、向こうから渡してきたんだからな? 流石にこちらからへし折るような真似はできん」
今の戦力ならもしかしたら可能かもしれないが、それをするには全力を発揮しきる必要がある。
戦いを挑めば赤龍王も応じるだろうが、流石にこのタイミングでそこまでの消耗をするわけにもいかないだろう。
この精霊も俺たちがそこまでのことをしたとは考えていなかったのか、落ち着いた様子で頷いている。
『良い出来ではあると思うわ。赤龍王様の力を、可能な限り引き出しているでしょう』
「だが、力を発揮するにはどうしても時間がかかるもんでな。その対策として、それらの素材を求めているのさ」
『そう……赤龍王様の力を世に示せないというのは良くないわ。それなら、これを持って行きなさい』
そう告げると、炎の精霊は俺たちへと向けてその巨大な指先を差し出した。
彼女の人差し指、その先端に強烈なまでの魔力が収束し――やがて、シズクのように紅の珠が零れ落ちる。
それは透明でありながら、中心へと向けて深紅の魔力が収束していくように揺らめく、美しい宝玉であった。
普通に熱いので布で包んで持ち上げつつ、俺は精霊へと問いかける。
「ありがたいが、いいのか?」
『貴方たちが戦えば、その分だけ悪魔は減るのでしょう。赤龍王様が爪を預けるに足る戦士と評価したなら、渡して惜しいものではないわ。それに結晶もその辺で手に入るでしょうから、しっかり手に入れていくことね』
鷹揚に頷いた精霊は、溶岩溜まりのほとり辺りを指差しながらそう告げる。
本当ならどちらかだけでいいはずなのだが、まああって損をするということもないだろう。
両方あったら、もっと便利なものが造れるかもしれないしな。
「ありがとう、助かった」
『構わないわ、こちらとしても仕事が楽になれば良いのだから』
果たして悪魔を倒すだけで仕事の楽さに直結するのかどうかは疑問だったが、精霊だし考え方のスパンが長いのかもしれない。
ともあれ、目的のアイテムの一つは手に入ったし、もう一つもすぐ近くで手に入りそうな気配である。
さっさと集めてこの危険なエリアからおさらばするため、精霊の前から辞去しようとし――しかし、それを遮るように精霊の声がかかった。
『……ねえ、光の戦乙女。貴方、精霊王様からの言葉は聞いた?』
「は……いえ、精霊王様からですか?」
『その様子だと、聞いてはいなさそうね』
思いがけない内容の話に、ルミナが戸惑った様子で首を傾げる。
対し、精霊は軽く肩を竦めながら、ぼんやりと俺たちから視線を外す。
その視線の向かう先には何もない。だが彼女は、火山の中から遥か彼方を見つめているようであった。
『王の盟友、悪魔の頂点の一角を討った剣士が姿を消したそうよ。注意することね、貴方たち』
詳細の知れぬ、あっさりとしたその言葉。
しかし、それ以上を語るつもりもなかったのか、炎の精霊は俺たちの困惑を他所に、再び溶岩の中へと姿を消したのだった。
俺たちは顔を見合わせ、困惑を隠しきれずに首を傾げる。
「いったい、どういうことだ?」
「さあ……言葉通りに捉える以上に情報は無いのでは?」
「何の話なんだか全然分からないけど、とりあえず目的を達してから落ち着いて話したらいいんじゃない?」
暑さに辟易している様子のアリスの言葉に、俺たちは困惑を残しつつも頷く。
何が起きているのかは分からないが、相談するならもっと涼しい場所でやるべきだろう。
このひたすらに暑いエリアからはさっさとおさらばして、落ち着いた場所で考えることとしよう。