798:足爪
ルミナとセイランのネームドモンスター化は、俺たちにとって大きな強化であった。
どちらもかなり強力な強化であるが、ルミナのそれはかなり汎用性に長けていたと言える。
空を舞う召喚精霊たちの一体一体が強化されたおかげで、手数がかなり増えることとなったのだ。
《神域の智慧》のはスキルのクールタイム減少もあり、あまり長いタイムラグは無く再召喚が可能であり、クールタイム中は戦闘を避けるよう意識すれば危険の回避は楽だった。
「ふぅ……結構な数を倒したかと思うんだが、クエストの情報はどんなもんだ?」
「貢献度は溜まってるみたいですけど、基準が分からないんですよね、これ」
「どれだけ貢献度を溜めたら報酬が貰えるのかしらね?」
正直、現在の量でも普通の感覚からしたらかなりの量が集まっていると思うのだが、生憎と基準になるものはない。
流石にエルダードラゴンの、真龍の王に近い力を基準にはされていないと思うのだが。
しかし、これまでに相手にしたのは雑魚ばかりであり、これだけでラーネアの力を削ぐことができているとは思えなかった。
数をこなすべきか、或いはもっと強力な個体を探すべきか――それを判断するための基準がないため、頭を悩ませるしかないのが現状だった。
「一度戻るというのもアリだとは思うが、すぐにクエストを再受注できるかどうかも分からんのがな」
「いっそ、エルダードラゴンに聞いてみますか?」
「確かに、応えてくれそうではあるがな」
口調は古めかしいが、エルダードラゴンは金龍王のような面倒臭さが無い。
ラーネアを封じるという使命に実直と言うべきか、あまり遠回りな行動をする印象は無かったのだ。
尤も、先ほど少し話しただけの印象であるし、その裏側までは分からないのだが。
「まあ、とはいえここまで進んで来ちまったからな。次の戦闘を終わらせたら一旦戻ってみるとするか」
「そんなに消耗していませんから、まだ余裕はありますしね」
数が多く、面倒な性質を持っている相手とはいえ、今のところは成長武器の解放も使っていない。
これまでと同レベルの戦闘ならば、MPポーションを消耗する程度であるため、まだまだ戦い続けることは可能だろう。
その場合、後はゲームの終了時間との戦いになるだけであるため、ギリギリまで戦い続けるという選択肢でもいいのだが。
――尤も、そうそう上手くはいかないだろうと俺は考えていた。
(鎖された蟲は、これから更に強化される。ここまでに出現した種類が楽に対処できるものであったとして、これから先がそうとは限らんからな)
楽に対処できると言っても、瀉血のような特殊性を持つ者もいる。
また残骸や末端についても、シリウスにとっては苦手とする能力を持っていた。
弱い個体であっても油断できないのが鎖された蟲達であるのだが――それがさらに強力な個体になった時、何が起こるのか。その脅威だけは、未だ脳裏から拭うことはできなかった。
しかし、だからといって二の足を踏んでもいられない。今の状態は万全に近いのだから、余裕のあるうちに戦いを継続しておくべきだ。
「……進むぞ。ただし、何が来てもいいように準備はしておけ」
俺の言葉に、仲間たちは揃って頷く。
この場に於いて不測の事態が起こることなど、最初から承知の上なのだ。
未だ謎の多い――というか謎しかないラーネアという存在が相手では、どこで何が起こるかなど全く予測できないのだから。
「ところで、これまで時の綻びの維持ってどうしてたんですかね? こうして掃除をする必要があるからクエストになっているんでしょうし……」
「生半可な戦力では雑魚とも戦えんからな。あの精霊たちが何かしていたのかもしれんが」
ふとした疑問を発した緋真の言葉に、軽く肩を竦めてそう返す。
あのエルダードラゴンもそうだが、精霊たちも謎が多い。
ルミナの判定では味方ではあったのだが、精霊たちはそもそも陣営が異なる認識だ。
精霊王なる存在とは未だに会ったことが無いが、エルダードラゴンはそれと協力しているということか。
(ルミナの上司みたいなもんだろうし、会えるなら一度会ってみたいものではあるが……)
真龍とはそこそこ出会えるものの、妖精や精霊とは中々顔を合わせる機会がない。
精霊王は妖精女王と似たような存在だろうと思っているのだが、果たしてどの程度協力的なのか。
女神の勢力であることに間違いはないのだが、まだまだ不明な点は多い、謎多き存在だ。
ともあれ、ラーネアの封印に時空の精霊が協力していることは事実。
奴らの眷属を削る戦いをしていたとしても、決して不思議ではないだろう。
「……っ」
「アリスさん?」
ふと、アリスが足を止めた。そしてそれとほぼ同時、意識を集中させていた俺の感覚が違和感を捉える。
気配が遠い。先ほど鎖された蟲の群れを倒したにしても、他の個体との距離が離れすぎている。
否、これは――奴らが離れて行っているのか。
「アリス、奴らの気配が遠ざかっているが――」
「奴ら? いえ、私が感じたのはそうじゃなくて……何か、違和感というか」
「違和感?」
要領を得ないアリスの言葉に、思わず首を傾げる。
《超直感》によって与えられた感覚だろうが、流石に言語化できないものはこちらには察知できない。
だが、アリスの様子からして気のせいではないのだろう。
俺もまた意識を集中させ、周囲の気配を捉えるように拡散させる。
鍛え上げた俺の感覚と、アリスの持つ《超直感》。共に優れた感覚であると自負するそれは――
「……来るわ」
「全員、備えろ!」
――突如として出現した、巨大な気配を捉えていた。
まるで空間から滲み出るかのように現れたそれは、無数の肉の節足が絡みついた、二十メートル近くにも達する巨大な円錐状の物体。
巻き付いている節足の隙間からはいくつもの黄色い瞳が覗いており、それらはすべてこちらの姿を捉えていた。
あまりにも悍ましいその姿に、背筋が凍るような感覚を覚える。
「『鎖された蟲の足爪』……ッ、これが、爪の一本ですって?」
変わらず、体の末端。しかしながら、毛先などと比べれば明らかに規模の大きい、足の爪の先端部。
鎖された蟲ラーネアに、果たしてどれだけの足が生えているのかは知らないが――それはただの一本だけで、あまりにも強大な魔力を漂わせていた。
「最大警戒! 公爵級を相手にするつもりで戦え!」
己へと全力の強化を施しながら、感じる魔力の強さにそう結論付ける。
詳細な能力は不明だが、コイツは公爵級悪魔に匹敵する脅威であると。
尤も、ただの足の爪の先端部だけでそれだけの力を持っているということには、戦慄を禁じ得なかったが。
「ルミナ、セイラン! お前たちは魔法による攻撃を優先! まずは敵の能力を把握するぞ!」
「分かり、ましたッ!」
「ケェエエエッ!」
雷の翼と共に空へと舞い上がったセイランは、《一番槍》の効果を発揮するために真っ先に攻撃を仕掛ける。
放たれるのは、黒く逆巻く竜巻の一撃。紫電の雷光を伴いながら、乾いた音を立てて直進する黒い風の渦は、その巨大な爪へと正面から突き刺さる。
末端程度であれば跡形もなく斬り刻むその一撃は――巻き付いている節足を、僅かに吹き飛ばすだけに終わった。
「こいつは……!」
《一番槍》のスキルが発動しているため、今のセイランの一撃は非常に大きな攻撃力を持っていたはずだった。
にもかかわらず、足爪に対してはかすり傷程度のダメージしか与えられていない。
防御力、魔法防御力が恐ろしく高いのか、或いは何かしらのスキルか。何にせよ、普通に戦っても、この化け物を倒し切ることは困難だろう。
ここまでは雑魚ばかりであったというのに、突然ここまで難易度を上げてくれるとは。
「――貪り喰らえ、『餓狼丸』!」
間違いなく最大限の脅威。全力を出し切るつもりでなければ、生き残ることも難しいだろう。
ふわりと浮かび上がった足爪を見上げながら、俺はその結論と共に餓狼丸を解放したのだった。