788:狭間の声
精霊がどういった存在なのかということは、ここまで来ておいてなんだが、あまりよく分かっていない。
妖精と同種の存在であることは分かっているのだが、それ以上の情報は持ち合わせていないのだ。
ざっくり、彼らが女神の側の勢力であり、精霊王と呼ばれる存在の配下であることぐらいしか把握していない。
普段接触するような相手ではないため、その程度の理解でも困ることは無かったのだが――いざ接触しそうな状況となると、相手の情報が無いことは中々厄介だ。
「……何とも、面倒な環境だな」
森に入ったばかりだというのに、木々は太く高い。
大きく葉を広げた木々は殆どの雨を遮ってくれているが、やはり足場はあまり良くない。
太い木の根で凹凸が刻まれ、しかも泥にぬかるんだ地面はかなり進みづらいと言える。
靴のお陰で泥だけは何とかなってるが、この凹凸だらけの地面については完全に避けられるものではない。
現状、襲撃は受けていないためそれほど困ってはいないのだが、中々に戦闘はし辛いエリアだろう。
「ルミナ、まだ精霊の気配はあるのか?」
「はい。気配というか、残滓と言うべきか……直接的にこちらを見ているというより、痕跡が残っている程度のようです」
「痕跡ねぇ……そいつがいた場所が分かるのか?」
「接近すれば、何とか」
俺もその気配が掴めないのは、直接こちらを見ているわけではないからか。
そうなると近くにいるわけでもないということになるし、余計に探すことが困難になってしまう。
果たして、その精霊はこちらのことを発見しているのか。
もしも意思疎通が可能であれば接触したいところだが、ルミナのように分かりやすくやり取りができる相手であるかどうかも分からない。何とも対応に困る存在だ。
「ルミナちゃん、その痕跡を追うことってできないの?」
「接近すれば気付けるので、何処にいたかを見つけることはできますが、そこからどこに向かったかを判別させることはできないと思います」
「近場に痕跡が残っていないことにはどうしようもないか」
この森を探索するのにいい手がかりになるかと思ったが、そうそう甘くはないらしい。
一定の目安にはなるかもしれないが、それを頼りに奥へと進むことはできないだろう。
そもそも、普通の人間には捉えられない精霊の痕跡を目印にするというのも酷な話だが。
「しかしそうなると、本当に探索がしづらいエリアだな」
「私の方も、全然気配を捉えられていないわ。というか、この辺りは魔物の気配もないし」
頭上、木の上で枝に腰を下ろしているアリスからはそんな報告が降ってくる。
魔物の出現そのものが無い、というのも不思議な点だろう。
ここに来るまでは度々戦闘があったというのに、森に入ってからはまるで遭遇する気配がない。
しかし、森から生き物の気配がしないということは無く、木々のざわめきの中から動物たちの鳴き声も聞こえてくるのだ。
魔物だけがいない――果たして、どのような理由でそんな環境となっているのか。
「こうなると仕方ないか。ルミナ、次に痕跡の気配を発見したらそっちに向かうぞ。このまま外周を回っていても変化が期待できん」
「分かりました、見つけたらご案内します」
このままでは、時間をかけてただただ歩きづらいだけの森を進むだけになってしまう。
もう少し根気良く粘ってみてもいいかもしれないが、魔物との戦闘すらないのでは時間が勿体ない。
であれば、多少なりとも存在する手がかりに賭けた方がいいだろう。
「しかし、妙なエリアだな。魔物ぐらいは出現するものだと思ってたんだが」
「ノンアクティブが隠れてる……ってわけでもなさそうですね」
「それならアリスが見つけているだろうからな。本当に、ただ平和なだけのエリアだ」
とはいえ、こんな北部まで来てそれしかないエリアというのもおかしな話だ。
精霊の気配の件もあるし、この森には絶対に何かしらの仕掛けがあるはず。
このエリアはティエルクレスが存在したレーデュラムの遥か西。それほど北部に近いエリアなのだから、難易度の高いクエストが存在していて欲しいところだ。
まあ、発見することそのものが難しいという話はやめて貰いたいところだが。
(雨が降っていて太陽の位置は分からず、高い木々で空は殆ど遮られ、明るさの差か森の外も逆光で見づらい。まるで、別の世界に閉じ込められたかのような閉塞感。魔物のこと以上に、何かが異質だ)
生憎と、その違和感を言語化するほどの語彙は無いのだが。
それでも、このエリアが異質であることだけは間違いないと断言できる。
言い知れぬこの違和感が、胸裏に引っかかり息苦しさを覚えていた。
「……! お父様」
「感知したか? よし、案内してくれ」
早速探していた気配を見つけ出したルミナは、首肯して先導を開始する。
少しだけ森の奥に入るようなルート。外からは離れ、振り返れば木々の間に外の光が消えようとしていた。
まるで誘われているような様相に軽く溜め息を吐きながら、少しずつぬかるんだ地面を踏みしめてゆく。
そうして導かれた先は、何か目印があるわけでもない森の一角であった。
「ここで合ってるのか?」
「はい、間違いありません。どうやら、《時空魔法》の魔力が使われたようです」
「妙に点々としてるのは空間転移をしている影響か……アリス、何か感じ取れるか?」
「いや、魔力の気配があることしか分からないわね」
《超直感》は何かあることを感じ取れるが、それが具体的に何なのかまでは分からないようだ。
ティエルクレスのスキルとて万能ではない。発見したなら、それを調べるのは別の方法を探さねばならないのだ。
とはいえ、俺たちはその類のスキルをあまり持っていないわけなのだが。
「ルミナ、他の痕跡の位置は感知できるか?」
「いえ、近場には無いようです」
「そうか……そして、その精霊からも特に接触してくる気配は無いと」
少し歩いただけで痕跡が発見できたということは、そこそこ多く存在しているのかもしれないが、それが件の精霊と直接繋がるのかどうかは不明だ。
残念ながら、これだけでは有力な手掛かりとは言えないだろう。
「どうします、先生? このまま奥に向かって進んでみますか?」
「そうだな、その方が何かしらの変化は起きるかもしれないが……ちょっと待ってくれ」
「……? はい」
俺が何をするつもりなのかは分かっていないようだが、とりあえず首肯した緋真はそのまま数歩距離を取る。
緋真が離れたことを確認した俺は、大きく深呼吸をし、そのまま瞑目して意識を集中させた。
俺では精霊の気配を感じ取ることはできない。また、魔力の痕跡もこうして目の前にあってようやく気付ける程度だ。
俺の感覚で、これを追いかけることは難しいだろう。
(……だが、あの感覚であれば)
原理としては、『唯我』と同じ。
己を押し広げ、空間そのものを捉えるあの感覚。
人間の用いる五感、その限界を超えた先にある世界。
木々のざわめきも、動物たちの声も、緋真たちの呼吸音すら遠のいて――己の感覚が、内と外の境界を超える。
『――――!』
何かと、視線がぶつかる。
否、それは現実の感覚ではない。俺は目を閉じていて、誰かと視線が合うことなどあり得ない。
俺の感覚が、その気配を掴んだその感触を、そのように捉えたというだけだ。
それと共に響いたものは、どこか声のように聞こえる音の羅列であった。
姿形は分からない、発した音の意味も理解はできない――けれど、それは確かにそこにいた。
「……掴んだ。恐らく、向こうの方角だな」
「いや、それは流石に無茶苦茶じゃないですかね」
緋真が呆れた様子で半眼を向けてくるが、そう感じ取れてしまったものは仕方ない。
そもそも、俺がしたのはこの目の前にある気配と似た気配を探っただけであるため、この方角に向かうことが正解なのかも分からないが。
だが、次なる気配を探すための手掛かりぐらいにはなるだろう。
(それに、向こうもこちらの気配は捉えたみたいだからな)
こちらが覗き込んだことにより、向こうもこちらの姿を捉えた。
果たして、それでどのような反応を示してくるか――何かしらのアクションを期待して、先に進むこととしよう。