783:拡張地区
エレノアに地図を含めてメールを送信したが、ここに到着するまでにはしばらくかかることだろう。
そもそも、エレノアが商会を離れる余裕があるのかどうかも不明だが――流石にこれだけ大口の商談となれば、彼女も重い腰を上げることだろう。
最低でも、名代として勘兵衛を送り込んでくるはずだ。
しかしどちらにせよ、エレノアたちが来て話がまとまるまではこの街を出ることはできない。
施設は揃っているため補給に困ることは無いだろうが、いつまでも拘束されるのは勘弁してほしいところだ。
「また随分な要求だったわね。突っぱねても良かったと思うけど」
「あの慎重さは彼らなりの生存戦略だからな。そこまでは流石に否定できんよ」
不機嫌な様子のアリスには苦笑を返し、街はずれの区画へと足を進める。
イリュートの言葉は大変横柄であったものの、彼らは現実に滅びの危機に瀕している状態なのだ。
少しでも自分たちの危険に繋がる要素を排除しようという考えは当然のものであると言える。
無論、それでも限度というものはあるため、あまり無茶な要求をされるようであれば拒否するつもりではあったが。
「この街を見捨てることは簡単だ。見なかったことにして出て行けばよかっただけだからな。だが、この街には間違いなく、多数のクエストが眠っているだろう」
「それも、人のいないところではあまり見かけられない、生産系のクエストがありそうですしね」
「……それは確かに、そうでしょうね。見渡して工房が見つからないことが無いくらいだし」
この街の支援という大きなクエスト以外にも、個人単位のクエストがいくつも存在すると考えられる。
となると、『エレノア商会』にとってはこれ以上ないほどの大きなチャンスと言えるのだ。
商会のメンバーは今回の北征を商機とは捉えていても、自分たちの強化とはあまり考えていなかったはずだ。
イリュートの態度はあまり気に入るものではないが、『エレノア商会』の強化と考えれば受け流すことは容易い。
「まあ、その思惑に付き合うからには、こっちも多少はメリットを享受させて貰わんとな」
「クエストだから、向こうもされて困るってわけじゃないでしょうけど」
「一応は協力関係を結ぼうとしているんだから、嫌がらせは考えんでもいいだろうに」
アリスはどうにも、『報復』という考えが強い。
それは彼女なりの生き方から生まれた信念だろうし、それを否定するつもりは無いのだが。
ひょっとしたら、アリスの持つ成長武器の能力も、その辺りを反映しているのかもしれないが――そうだとすると、この武器を選んだ運営は、或いは女神はどこまで見てそれを判断したのか。
考えているときりが無くなりそうなので、そこは置いておくことにするが。
「さて、この先が拡張区画か……この地下をどうやって拡張しているのかは少し気になるな」
「広さは十分に思えましたけど、人口密度はかなり高かったですしね」
「地上を含めての街だったんだろうからな。地上の人間が地下に避難してきたなら、そりゃあ住居も足りなくなるだろう」
果たしてどれだけの人間が地下まで逃れられたのかは分からない。
しかしヴァルフレアの悪魔による地下への追跡が無かったということは、それなりに多くの人間が犠牲になったことだろう。
イリュートの偏執的な態度も、そういった事情を加味すれば無理のない話だ。
坂道を登り切ると、途端に開けたエリアが目に入る。
地下都市の外周、岩壁に面した場所。そこは、地妖族の作業者たちが歩き回りながら、岩壁を切り取る採石場となっていた。
「石材を取り出しながらエリアも広げるってことか。この辺りは鉱床は無かったのかね」
「向こうの方は採掘場っぽくなってますし、場所によってなんじゃないですか?」
鉱床が無い場所は石材を取り出し、ある場所は鉱石を掘り出す。
そうして、エリアを広げながら資材を確保しているということだろう。
一石二鳥ではあるのだが、魔物が出現する危険があるとなると中々に大変な作業である。
と――その工事現場へと近づいたその時、周囲にいた地妖族の男がこちらへと声をかけてきた。
「んー? 何じゃお前らは、ここは危険だから下がっとけ!」
「ここでの護衛を引き受けた者だ。魔物が出る可能性があるんだろう?」
「護衛じゃと? 確かにそんな話はあったが……まさか引き受ける馬鹿がいるとはのぅ」
遠慮の欠片もない言葉に思わず苦笑しつつ、もう一度周囲を見渡す。
今のところ魔物の姿は見受けられないが、危険があることは間違いないのだろう。
作業員たちは、全員防具を装備したまま石を切り出しているのだ。
通常の工事ではあり得なさそうな、異様な光景である。
「確かに、メタリックビーストやアースイーターが出る可能性はあるから、戦えるってんなら手伝って貰うがの……というかお前さん、外から来た人間か?」
「ああ、ジョルトに招き入れて貰った異邦人だよ」
「あーのジジイめ、また勝手なことを。しかし、長が仕事を出したならそれなりに働けるってことじゃろ」
ジョルトは信頼があるのか無いのかよく分からないが、とりあえず仕事をすることは問題ないらしい。
とはいえ、俺たちの仕事はあくまで護衛。それ以外については門外漢だ。
「問題無いなら、俺たちはその辺で待機しているが、何か手伝った方がいいか?」
「要らん要らん、素人が手を出しても仕事の邪魔じゃ。それとも、荷物の持ち運びでもするか?」
「できなくは無いが、護衛対象から離れるのも本末転倒だろうな。まあ、やりようはあるが」
軽く肩を竦め、取り出した従魔結晶を広い場所へと放り投げる。
途端に現れるのは、坑道に入る前に戻していたセイランとシリウスだ。
唐突に現れたその巨体に、地妖族の男は口髭を震わせながら目を見開く。
「真龍! それに嵐の王じゃと!?」
「真龍はともかく、ワイルドハントまで一目で分かるのか……ともあれ、土埃を払うなり、壊れても問題ないものを運ぶなりはできるから、その位の仕事なら振ってくれて構わないぞ?」
「いやお前さん……こんなとんでもない存在にそんなしょぼい仕事をさせるのもどうなんじゃ……?」
本気で呆れた表情をされているが、何もせずに仕事を眺めているだけというのも退屈なのだ。
石切りや採掘には手を出しづらいが、簡単な仕事ぐらいなら任せて貰ってもいいだろう。
「正直、儂としてはその真龍をよく見せて欲しいんじゃがな。《強化魔法》の魔力によって育った真龍じゃろう?」
「それも分かるものなのか?」
「銀龍にも似ておるが、冷気は纏っておらんようじゃからな。癖のない、純粋に鋭い強靭な肉体……最高の武器を打てそうなだけに、儂らにとっては目に毒じゃ」
「……戻しておいた方がいいか」
「いや、目の保養にもなるでな、そのまま出しておいてくれ! たまに仕事も頼むからの!」
すっかり態度が変わった地妖族の様子に、思わず苦笑を零す。
確かに、彼らにとってシリウスは存在自体が垂涎の的だろう。
とはいえ、普通にしていても鱗が落ちることは無く、シリウスもそうそう簡単には身体の一部を渡してはくれないのだが。
とりあえず、ここで仕事をすること自体は問題なくなったようだし、しばらくは待機しておくこととしよう。
(正直、シリウスは重機のように扱えるかと思ったんだが……)
規格外の巨体と膂力を持つシリウスは、岩壁を破壊する程度は朝飯前だ。
殴っただけでもこの辺り一面が崩れ去ることだろう。
とはいえ、岩壁の掘り出しは彼らが慎重に進めている仕事だろうし、安易に破壊してしまうと取り返しがつかなくなるかもしれない。
やはりやれることは、重量物の運搬程度だろうか。しかし切り出した石材を直接掴むと傷だらけにしてしまいそうでもある。
何か大きなコンテナにでも入れてくれれば、運搬も楽なのだが――
「ワームが出たぞ、退避しろーっ!」
「オラ走れぇ、食われるんじゃねぇぞォ!」
「おーい異邦人の! 早速仕事じゃぞ!」
「……たまにじゃなかったのか?」
腰を下ろして様子を見ようとしたタイミングでの騒動に、思わずそうぼやく。
彼らの声に余裕はありそうだったが、それでも緊急事態は緊急事態。
早急に、危険を排除することとしよう。