774:かつての光景
アルフィニールとの戦いの翌日。
大規模な戦いがあったからと言って、俺たちの世界が何か変わるわけではない。
緩やかに滅びへと向かっている――その事実があったとしても、劇的な変化があるわけではないのだ。
つまり、久遠神通流は通常運転。強いて言うとしたら、師範代たちが反省会交じりに門下生をしごいていることぐらいか。
「……正直、相手が悪かったとしか言えんな」
アルフィニールを相手に、役に立てたプレイヤーはあまり多くは無いだろう。
人の形を保っていた前半戦はともかく、後半戦は本当に一部のプレイヤーしか立ち向かうことができなかった。
うちの連中も、無限に出現し続ける雑魚を片付けてはいたものの、アルフィニール本体へ有効なダメージを与えることはできていなかった。
そこそこ《奪命剣》を持っている連中がいるため、全くの無駄であったということは無いのだが――
(大公と戦うには、あまりにも不足しているか)
アルフィニールと戦った実感として、俺たちはまだ大公と戦うステージに立てていない。
今回奴に勝つことができたのは、ドラグハルト達によるアルフィニールの能力の制限に加え、有効な攻撃手段を発見できたからだろう。
そして、俺が『唯我』の真似事をできるようになったから、か。
あの日、その性質を掴めていなければ。そして、ティエルクレスとの戦いの中で実感できていなければ――恐らく、俺たちは全滅していたことだろう。
「……チッ」
聞こえないように舌打ちを零し、嘆息する。
勝てたものは勝てた、それでいい。しかし、先のことを考えると頭を悩ませずにはいられない。
その実感は、恐らく緋真も――明日香も持っているのだろう。
だからこそ、今コイツはひたすらに素振りを繰り返しているのだから。
(悪くは無いんだがな……)
明日香の素振りによる剣閃は、理想的であると言ってもいい。
しっかりと姿勢を整え、呼吸を乱さず、一本一本を正確に打ち込んでいるのだから当然ではあるが――それでも、一朝一夕にこの完成度に到達できるものではないだろう。
だが、それを繰り返している明日香の表情は、決して晴れやかなものではなかった。
数度繰り返し、修正しては首を傾げる――その様子は、俺としても理解できるものであった。
何しろ、何年も前の自分も、同じ行動をしていたのだから。
「うーん……」
しきりに首を捻っている明日香は、どうやら『唯我』の取っ掛かりも見えていないらしい。
何かの仕組みがあるということを理解できているだけでも御の字なのだが、大した向上心である。
そうでありながら、俺にそれを問いかけてくることは無い。答えないということも、また理解しているのだ。
俺が初めてジジイの『唯我』をこの目で見たのはいつのことだったか。
まだ旅に出る前、学生の時分であったように思える。
あの時の俺は何も理解できなかったが、それでも確かに違和感のようなものは感じていた。
であれば――
「……そうだな」
「先生?」
「いや、奥伝も合戦礼法も習得しきれていないお前にはまだ早いかと思ったが、糸口程度は見せてもいいだろうと思ってな。俺もそうだったから」
木刀を手に立ちあがり、正眼に構える。
それを受け、明日香は目を見開き慌ててこちらへと向き直った。
あの時のジジイが、何を考えて俺に『唯我』を見せたのか、それは分からない。
だが――それは確かに、今こうして実を結んでいるのだから。
「いいか、明日香。模倣しようとするな、感じ取れ」
「感じ? えっと、それってどういう――」
「模倣し、自分に落とし込むのはお前の癖だろうが、今は忘れろ。それよりも、この感覚を肌で感じ取っておけ」
整息し、集中。今の俺であろうとも、『唯我』は静止状態からしか放つことはできない。
これはジジイの剣であり、俺の剣ではない。真似をするのが精一杯で、その模倣もまた完璧ではない。
これを俺自身に落とし込むには、今しばしの時間が必要となるだろう。
だが――これは紛れもなく、最果ての剣なのだ。
「行くぞ」
「っ、はい!」
同じく木刀を構える明日香は、俺の攻撃を待ち構える。
その姿を真正面に捉えた俺は、ゆっくりと切っ先を持ち上げ――明日香の意識が高まったその刹那に、前へと踏み込んだ。
模倣――『唯我』。
「――――っ!?」
――反応することもできず、自らの眼前で止まった木刀の切っ先に、明日香は大きく目を見開く。
決して速い一閃ではなかった。本来であれば、明日香は攻撃を防ぎ、鋭い反撃を放っていて然るべき一撃だろう。
だが、明日香は防ぐことも躱すことも、切っ先を僅かに動かすことすらできなかったのだ。
「これは……!?」
「俺もかつて味わった感覚だ。ジジイと斬り合うっていうのは、こういうことなんだよ」
ジジイは、この『唯我』を息をするように操る。
どのような体勢であったとしても、この理へと到達することができるのだ。
それに対応できるようになるまでに、俺は二十年近い時間をかけたのだから、今の明日香に理解できないのも無理はない。
「虚拍……ではないですもんね。寂静でもない。先生の姿は見えていましたし……でも、避けられなかった」
「理解はできんだろうが、覚えておけ。これはそういう剣だ」
今だからこそ理屈を理解できるが、言葉で説明することはできない。
これは鍛え上げた感覚の延長だ。自らの感覚と結びつけることができなければ、理屈を聞いても身にはつかない。
「とはいえ、コイツがあったから大公に勝てるって話でもないんだがな……偶然、この一撃がアルフィニールによく効いたってだけだ」
「どうなんですかね? 他の大公も同じ性質なら効くかもしれないですけど」
「その辺は、戦ってみないことには分からんだろうな」
そもそも、次にどの大公と戦うのかも決まっていない。
先の予定など何も決まっていないのと同じなのだ。
それに、どちらの大公についてもまだまだ情報が少なすぎる。
アルフィニールとの戦いでは、それが原因となってあれほど不利な状況に追い込まれたのだ。
今後は、もっと慎重に戦わなければならないだろう。
「まあ何にせよ、しばらくはアルトリウスの宣言通り、強化に勤しむしかあるまい」
「北を探索、ですか。ティエルクレスのイベントみたいなのが他にもあるんですかね?」
「仙人なんかもいたんだ、他にもあってもおかしくは無いだろうさ」
あの仙人のことについては、既に厳太へと教えてある。
既に接触はした様子だったが、詳しいクエストの内容までは聞いていない状況だ。
スキルを持っている者として、何かしらの専用イベントがあったとしてもおかしくは無いだろう。
ティエルクレスのこともあるし、他にも何らかの高難易度クエストが隠されていたとしてもおかしくは無い。
それは、未だ探索が進んでいない北部全域に同じことが言えるのだ。
「流石に大公と接触するのはリスクが高いだろうが、情報の収集はしておくべきだ。何にしても今は準備期間――今のうちに、どこまで強くなることができるか。今後の戦いはそこにかかっているだろうさ」
アルトリウスの提案に反対する理由は無い。
力不足は大いに味わった。ならば、それを補うために全力を尽くすしかないだろう。
相変わらず、考えることが山積みで大変そうではあるが、多少はその手助けをしておきたいところだ。
「先生は、そういうクエストを見つけたらどうするつもりなんですか?」
「俺たちの強化に繋がりそうだったらやる、そうでないなら報告だけってところだな。時間も無駄にはしたくない」
どうせプレイヤーの数は多いのだ。詳細に調べるのは俺たちじゃなくてもいい。
そういう意味では、ティエルクレスとの再戦も気になるが――まあ、それはいいだろう。
スキル枠に余裕がない以上、あまりティエルクレスのスキルを求めに行くのも効率が悪い。
レベルを上げつつ、あちこち動き回ってみるべきだろう。
「さて、探索の時間が減っちまっても勿体ないからな。満足したなら、日課を始めるぞ」
「はい、お願いします!」
まずは、やれることを一つずつ片付ける。
目標へと辿り着くために、その一歩を模索していくこととしよう。