769:融解せし愛の檻 その30
アルフィニールは、この局面に入ってからいくつかの段階を踏んでいる。
第何層、という言葉と共に展開されている能力だが、恐らくはこのエリア全域に影響を与えるものなのだろう。詳細は不明だが、おおよその能力が把握できている。
まず第一層、剥離と呼んでいたそれは、恐らくエリア全体にスリップダメージを与えるものだったのだろう。
これに関しては、ドラグハルトがスキルを展開したことにより相殺され、気にしなくて良い程度までは無効化することができた。
そして第二層、免疫。これは間違いなく化け物を出現させるものだろう。
ここがアルフィニールの体内であると仮定するならば、免疫機能として外敵を排除する能力の存在は理解できる。
更に第三層、アルフィニールが侵食と呼んだそれ。
展開されたばかりでその詳細は不明だが、その性質は既にある程度明らかになっている。この能力は――
「……フィールド全体の、状態異常の付与か」
己のステータスを確認したところ、『侵食』という名の状態異常が発生していた。
ダメージを受けている感覚があることから、これもスリップダメージを与える類のものではあるのだろう。
自動回復に特化している俺にとっては、まだ何とかなる範囲のダメージではある。
しかし懸念すべきは、この『侵食』という状態異常の表示にゲージのようなものが付いていることだ。
僅かずつではあるが上昇してきているこのゲージ。最後まで放っておけばどうなるのかは分からないが、まず間違いなくロクなものではないだろう。
「ぐ、ッ……閣下、これは……!」
「アルファヴェルム、力を貸しておく。今しばし保たせろ」
その影響が最も大きいのは、半透明の化身を背負っているアルファヴェルムのようだ。
かなり厳しい表情で、背後の化身についてもマネキンのような腕が揺れ、姿が明滅しかかっている。
見かねたレヴィスレイトが何やら手を貸しているようだが、あの様子では長くは持たないだろう。
アレが力尽きればドラグハルトも力を発揮できなくなると思われる。
そうすればアルフィニールの能力の相殺もままならなくなり、結果的には全滅することになるだろう。
――もう一度、舌打ちを零す。
「時間がない、か」
可能であれば、少し検証してから作戦に臨むつもりだった。
だが、これではその時間を稼ぐことも不可能だろう。
この状態異常が溜まりきった時か、或いは次なる能力、推定第四層が発動した時か……それが俺たちの敗北となる。
致し方ないが、賭けに出るしか道はなさそうだ。
「アルトリウス、分は悪いが賭けに出る。後のことは任せるぞ」
『クオンさんっ……いや、分かりました。ご武運を!』
アルトリウスは一瞬だけ動揺した声音を発していたが、すぐさまそれを押さえ込んで同意してくれた。
彼がそのような仕草をすることは大変珍しいが、それだけ難しい勝負であることは理解しているのだろう。
ここに至るまで勝ち筋が見えていない。それが、アルトリウスにとってはかなりの負担であったことだろう。
ならば、ここで道を作らねばなるまい――このまま敗北を待つだけなど、冗談にもならないのだから。
「――我が真銘を告げる」
餓狼丸を鞘へと戻しながら、けれどその柄から手を離すことなく告げる。
この賭けに出るためには、餓狼丸の完全解放が必要だ。
しかしそれは、その発動中にアルフィニールへと刃を届かせなければならないという制限を伴うことになる。
――それでも、この戦いで勝利を収めるためには、決断が必要だった。
「我が爪は天を裂き、我が牙は星を砕く。されど我が渇きは癒されず、天へと吼えて月を食む」
鞘の内側で、餓狼丸が脈動する。
漏れ出した黒い炎は俺の右手を焼き、防具も、その内側も黒く染め上げてゆく。
ドラグハルトが、そしてアルフィニールが餓狼丸の気配を察しこちらへと意識を向けていたが、今はそちらに構っている場合ではない。
やるべきことは、そちらではないのだから。
「怨嗟に叫べ――『真打・餓狼丸重國』!」
燃え上がる黒い刃、餓狼丸の真の姿。
その力の全てを感じながら、俺はシリウスへと向けて告げた。
「シリウス、俺へと向けて《不毀の絶剣》を放て!」
「――――ッ!?」
その言葉は、流石のシリウスもそのまま飲み込むことはできなかったらしい。
成長したシリウスにとっての、切り札とも言える一撃。
その破壊力は、防御貫通の性質も相まって、プレイヤー内で受けきれる者は存在しないと断言できるほどだ。
故に、これは賭けだ。幾度となく目にしてきたが、その力を利用するのはこれが初めて。本来であればもっと呼吸を整えたかったところだが――生憎と、そのような時間は無い。
「俺を信じろ、シリウス! お前がずっと見続けてきた、俺の剣を!」
「グルッ、ルォォオオオッ!!」
俺の言葉に、シリウスは覚悟を決めたらしい。
空気を弾けさせるほどの強烈な魔力が、巨大な尾の刃へと収束していく。
「――『練命因果』、【餓狼呑星】」
迎え撃つは、【因果応報】に《練命剣》を付与した一撃。
単純な威力強化ではあるが、更に【餓狼呑星】を発動したこの一閃は、単純な破壊力だけならばシリウスの一撃を上回るだろう。
問題は、《不毀の絶剣》を見切ることがとにかく難しいことだけだ。
(空間の断裂が一瞬で相手に到達し、空間ごと相手を真っ二つにする。発動も、効果の発現も一瞬――僅かにでも捉え損ねれば、俺の体が真っ二つになる)
故に、これは賭けだ。それも一つではなく、いくつも乗り越えねばならないほどの。
だが、やらねばなるまい。この一瞬一瞬に全霊を賭して、その先にある勝機を掴み取らなければならないのだ。
風の勢を強め、己の感覚を限界まで加速させてゆく。視界から色が消え、耳からは音が消え――モノクロの世界で、俺とシリウスの姿だけが残る。
空間の断裂が届くのはほんの一瞬。不可視の斬撃を目で――というより五感で捉えることは不可能だろう。鍛え上げた、己の直感を頼りにするしかない。
「――――ッ!!」
シリウスが、尾の刃を振り抜く。
それと共に、空間を弾けさせる魔力の気配。波紋のように広がり、断絶の気配を浸透させるその一閃――
斬法――剛の型、迅雷。
――焼けつくような感覚の中で捉えた、その刹那。
爆ぜるように抜き放った一閃は、俺の身を食い破ろうとしていた空間の断裂を確かに捉えていた。
漆黒の一閃はその軌跡だけを中空に残し、俺の目の前で真っ二つに割れた力の残滓は、逆巻くように餓狼丸の刀身へと収束していく。
「グルル……ッ!?」
感覚を戻して最初に聞こえたのは、驚愕に零したと思われるシリウスの唸り声だった。
《不毀の絶剣》は、シリウスにとっても自慢の一撃だろう。
それをこうも捉えられたのだから、驚くのも無理はないというものだ。だが、ここで驚いていては、話が先に進むまい。
「驚くのはまだ早いぞ、シリウス。見るべきは、ここから先だ」
餓狼丸の刀身には、刺々しく爆ぜるシリウスの魔力が宿っている。
【因果応報】は、吸収した攻撃の性質をそのまま利用する一閃となるのだ。
即ち、この一閃にのみ、俺の刃は空間を断ち切る性質を得た。
「世界を斬るか。これは、実に貴重な経験だ」
ただ刃を振るうだけでは駄目だ。その一閃で、アルフィニールの命脈を捉えなければならない。
故に、俺は全ての感覚を押し広げる。己の命を守るために鍛え上げてきたこの感覚を、攻撃のために利用する。
五感――否、第六感を含めた全ての感覚で世界を掴み、捉える。
「《練命剣》、【練煌命刃】――【餓狼呑星】」
限界の生命力を引き換えに、巨大な生命力の刃を形成する。
だが、《生命力操作》でそれをさらに圧縮――サイズを縮めると共に、限界まで刃の密度を高める。
シリウスの銀の魔力、生命力の黄金。それらは全て、【餓狼呑星】によって黒く染まる。
「――《夜叉業》」
最早後先も不要。回復魔法を受け付けなくなろうとも、ただひたすらに破壊力を追い求める。
黒く弾ける魔力を湛え、餓狼丸は大上段で静止した。
こちらを止めようと迫る化け物は、今更ながらにアルフィニールが危機感を覚えたが故か。
だが、それらは『キャメロット』の手によって妨害され、こちらまで届くことは無い。
「緋真とシリウス、お前たちはよく見ておけ。これが――」
己の内と外、その境界を超える。
己とは世界であり、世界とは己である。
不規則に揺らぐ、混沌とした領域――その果てに、俺は一つの気配を捉えた。
「――久遠神通流の追い求める、至高の理だ」
模倣――『唯我』。
それはかつて目にした、ジジイの放つ無謬の一閃。
時間も距離も関係なく――その一閃は確かに、捉えた気配を断ち斬っていた。